自由と不自由 幸と不幸
最近は結論の出ないことをよく考える。
つい最近考えていたことは、北朝鮮の人たちは幸せだろうか?ということ。
彼らは様々な規則で縛られており、TwitterやInstagramなどのSNSを使うこともできなければ、好きなものやこと、各々が持っているであろうそれぞれの思想を自由に表現することすら許されず、もしそれらの規則を破れば家族共々公開死刑されるということを何年か前にテレビを通じて目にした。
彼らに許されているのは、自国の指導者に忠誠心を持って一生を捧げること。
僕がまだ小さかった頃、北朝鮮人がテレビ取材を受け、カメラに向かって「偉大なる指導者が創り上げたこの国に生まれた私達より幸せな人が、この世界にいるのでしょうか!」と、そのようなことを興奮しながら訴えかけていたのをよく覚えている。
その頃は、「この人たちは本当に不幸だな。かわいそうだ。」と決めつけていたが、最近は本当にそうだろうか?と、疑問に感じる。
北朝鮮に比べ日本では、SNSはもちろん、SNSを通じて首相に「この役立たず!早くやめろ!」と言う自由もあれば、基本的に国民の大半が好きなことや夢を追いかけ、それらを職業にする自由もあり、好きな人と結婚することも、毎日好きなものを食べることも、海外へ移住することすらも許されており、これらに対し、普通に生活していたら自分が自由なのかもわからない程に自由である。
にも拘らず、キラキラした目でそれらの「許容されている自由」を思う存分楽しんでいる人は今の日本にどれくらいいるのだろう?
北朝鮮に行ったこともなければ、北朝鮮人の友達がいる訳でもないので、真実は誰にもわからないが、彼ら北朝鮮人は北朝鮮という国で生きることに「洗脳」という形で心から幸せを感じているのではないだろうか。
形はどうであれ、その人が「私は幸せだ」と感じているのであれば、それも一つの幸せなはずだ。
もしくは洗脳されずに、北朝鮮という国で生きるという覚悟を決め、その置かれた環境で小さなことに感動し、喜びを感じながら生きている人もいるのではないだろうか。
逆に日本では、毎朝絶望感に浸りながら仕事に向かう人もいれば、スマホやゲーム、SNSという世界に入り込みすぎてどちらが現実世界か区別が付かなくなっている人や、自分という姿を隠して他人を誹謗中傷する人もいる。
果たして皆さんはこれらの自由な日本人と、不自由な北朝鮮人、どちらが幸福だと考えますか?
人が何に幸福や喜怒哀楽を感じるかは、本当に人それぞれなので、そもそも「どちらが幸福?」などと言っている時点でナンセンスなことは百も承知ですが。。。笑
冒頭でも言ったように、結論はありません。
ただ、誰かの考えるきっかけにでもなればいいなぁと思い書きました。
終始まとまりがない文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました😊
少しでも興味がある方は、
ジョージ・オーウェルの小説『1984年』や、
1970年代のカンボジアの独裁者、ポルポト政権について書かれた本を読むことをお勧めします🙃
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