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親指ひとつで世界が変わるとでも?−2

改めてはじめに謝っておきますが、構成も考えず書いている所謂"駄文"であるので、もしライター様が書くようなスッキリしたとてつもなく読みやすいものじゃないと蕁麻疹が出てしまう方は迷わずブラウザバックをお勧め致します。
すみません。

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足柄にたどり着いた僕らは、次の目的地を"あの"スケッチブックに大きく書き出した。" 名古屋方面 "と書いたスケッチブックを掲げた。
一回めはかなり上手くいった。運が良かった。次はこうもいかない。
そうは口にしながらも僕らは漠然とした自信に満ち溢れていた。
5分後、僕らの前に車が止まった。
「えぇぇぇぇぇぇ」と情けない声が口を衝いて出てきた僕らに
「岐阜までですけど、良かったらどうぞ!」
そう声を掛けてくれたのは60代のお爺さんだった。

千葉に住むこの男性は岐阜の旧友に会いに行く途中との事だった。
いつもは妻と子供が一緒なのだが、今日は珍しく一人だから乗せてくれたそうだった。
40代の頃、仕事詰めで妻にも構えず、自分自身も精神的に余裕が無くなりかけていた時、今まで全く興味も無かった妻が入っていた宗教団体に入った。
すると何か心に小さい拠り所が出来た。ポジティブに考えることが上手くなった。
宗教団体には入っているけど、勧誘はしない。ただこの世界は色んな運命が交差していて、奇跡のような出会いを繰り返している。出会った人達はみんなそれぞれ考え方が違うけど、宗教が違おうが何が違おうが認め合うことが大切だと。
そんな自分を救われたきっかけである妻に孝行をこの先の人生でしていきたい。
ゆっくりと優しい口調で話してくれた。
宗教団体と聞くとあまりいいイメージを持つ人は少ないんじゃないかな。
僕もそうだ。でも彼との出会いで僕は生まれてから26年間で膨大な固定概念を身に纏ってガチガチに武装してきたんだなぁと感じた。
自分が拳を構えれば相手も拳を構える。自分が下げれば相手も下げるのだ。
たまにイかれたやつが一方的に殴りかかってくることもあるが、そんなイレギュラーは捨て置いて。
彼との出会いでまた自分が知り得なかった人に触れられた。
そしてあっという間に僕らは愛知は守山にたどり着いた。

18時30分。辺りは暗くなり場所も場所なので、順風満帆だったヒッチハイクも流石に難航を極めるのではないか。SAで野宿を覚悟し、再び"名古屋方面"と書かれたスケッチブックを掲げた。
誰が聞いても嘘みたいな話だと思う。だが本当に起こったことを話す。
掲げて1分。過疎っている真っ暗闇のSAで、車がとまったのだ。
「一宮までだけど良かったら!」と女性が声を掛けてくれた。
「友人と夕食を食べに行くけどもし良かったら一緒にどう?」
この一言によって僕らの、この旅の歯車が一気に動き出した。

名古屋は一宮。「エグロン」というオムライスのお店に向かった。
車内ではその女性が音楽好きでカメラもやっている事がきっかけでかなり和やかな雰囲気だった。今から会う友人も音楽好き。そしてヒッチハイク経験者で、電話で僕らの突然の合流を伝えられても訳も聞かず二つ返事で「いいよ〜」とOKが出た。
1、2ターンくらいは「どうしよう...」「いや、でも...」といったやり取りがあるもんだとばかり思っていた僕らは多少呆気にとられた。
現地に到着し、彼に会った。帽子を被った優しそうな目つきの男性だった。

彼はつい最近まで東京に住んでいたこと。今は家業を継いでいること。趣味で絵描きをしているということ。
"趣味で"というから興味本位で絵を見せてもらった僕は度肝を抜かれてしまった。
絵の一つ一つにメッセージがある。まさしくアートだった。
実際に目撃したいとまで思った。
彼曰く、家業があるから絵を売ろうとも思わない。展示も別に急がない。と。
僕が勝手に感じた事だが、
利に惑わず、自分と自分を取り巻く人達、環境を感じてアウトプットをするだけ。
名古屋で出会った彼からアーティストの本質の一筋を垣間見た。

夜も更けヒッチハイクの旅に期限を設けていなかった僕らはゲストハウスに宿泊することにした。嬉しい事にゲストハウスに向かう車内で
「明日良かったら岐阜タンメン一緒に食べに行こ!」と彼女に誘って頂いた。

ゲストハウスの方曰く「日本人のヒッチハイカーは初めて。」との事でとても親切にして頂いた。
コミュ力がバカになっていた僕は一緒に泊まっていたロシア人男性に「where are you from?」と中学の時習った英語で唯一覚えている短文を投げかけてみた。
ロシアとの事だった。感受性もバグりつつあった僕はその一瞬の異文化交流に感動し、小躍りを始めそうだったのだが、その後疾風怒濤の英文が青年の口を衝いて出てきた。体感した事のない英語のシャワーを頭から被った僕は怯んだ。
その後ゲストハウスのスタッフさんから教えてもらったのだが、そのロシア人の青年は東京で10000円のママチャリを購入し、岐阜まで4日かけてやってきたという。
怯んだ。1度で2度怯んだ。とっさに害悪ポケモン"トゲキッス"のエアスラッシュを髣髴としてしまった僕は自分の学の足りないNintendoで染まりきった呑気なこの頭を恨んだ。
※リンクにトゲキッスの動画を貼っておく。必要があるとは思えないが老婆心だと思ってくれると幸いです。

そこそこ脱線してしまったがまとめるとゲストハウス最高だった。

次の日、朝10時にチェックアウトした僕らを昨日の女性が迎えに来てくれて、岐阜タンメンのお店に連れて行ってくれた。


ラーメンは"二郎系"と"家系"しか認めない僕だったがまんまとハマった。
深い。味わいが深い。マリアナ海溝くらい深い。4玉替え玉した。
食べ終わった後、どうやら期間限定で毎月1日〜10日しか営業していない「デフコロニー」というカフェがあるそうなので、連れて行ってくれた。
道中車内で"揖斐川ワンダーピクニック"というフェスが10月にあると聞いた。
どうやらデフコロニーをやっている夫妻が実行委員らしいのだ。
ボランティアスタッフを募集しているとの事なので可能であれば参加したいと思った。
デフコロニーに到着すると、常連の音楽好き夫妻とデフコロニー夫妻(なんか変な呼び名になってしまっているのは気にしないで頂きたい。)が迎えてくれた。
「ヒッチハイカー達連れてきた〜」と女性。「え〜すご」と皆様。
寛容すぎるし素敵すぎる。全てを包み込まれた。この岐阜という土地で。
素敵な店内は革細工が並び、革と珈琲の香りだった。
僕はアイスカフェラテ、フジマルはメイちゃん(夫妻が飼っている羊)の乳で作った自家製プリンを楽しんだ。
先ほどのフェス"揖斐川ワンダーピクニック"も快く参加させてくれる事となった。

デフコロニー付近でたまたま無料野外フェスが開催されており、3年前よく一緒にやっていたバンドにも奇跡的に再開することが出来た。
何だろう。本当に奇跡ばかり起こる。信じられないが実際に起こっている。
初対面の僕らをこんなにノーガードで受け入れてくれる方々がいる。奇跡だ。
ヒッチハイクに出なければ、自らを突き動かさねば絶対に出会わなかったであろう人達に今会っている。そう考えていると、多少大げさに聞こえるかもしれないが

今この瞬間にも、僕の世界はどんどん変わっている。そう信じて疑わなかった。


次がきっと最後です。長くてごめんなさい。

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