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クリスマスとめぐりめぐる優しさ

 毎日更新と言うほどたいした物ではないけれど、続けていくことで得られるものもあるかもしれないと考えて、今晩もディスプレイと向き合っている。今回は、ジェンダー関係の話題ではなく、クリスマスにまつわる思い出を語ろうと思う。

 誰にとってもそうかもしれないが、クリスマスは私にとって特別なシーズンだ。キリスト教系の高校に通っていたのも、クリスマスを特別視する一因だと思う。私が通っていた高校は、かなり本格的にクリスマスを祝っていた。11月の終わりには校舎の外装や中庭がイルミネーションで飾られ、盛大に点灯式が行われた。玄関にも大きなツリーが設置されて、登校時に目にする度に、うきうきとした気持ちになったものだ。待降節(イエスさまの誕生を待ち望む期間。別名アドベント)には、朝の礼拝で歌う讃美歌も、「もろびとこぞりて」や「あらののはてに」などクリスマス一色になった。

 しかし、私のクリスマスは楽しいばかりのものではなかった。むしろ、繁忙期、いや社畜期間と言ってもいいほど過酷な時期でもあった。私は合唱部に所属していたのだが、11、12月は教会や商業施設への訪問演奏で土日がほとんど潰れてしまった。

 極めつけは、クリスマス礼拝の聖歌隊の練習である。毎年クリスマス礼拝では、合唱部と校内の合唱コンクールで選抜されたクラスの生徒たちで構成された総勢100人以上の聖歌隊が歌うことになっていた。礼拝までのおよそ1ヶ月半は、放課後はほぼ毎日音楽室で缶詰になっていた。

 練習もさることながら、礼拝本番も気を抜くことができない。聖歌隊は約1時間の礼拝の間、火がついたロウソクを片手に立ったり座ったりを繰り返すのだ。ちなみに、もう片方の手には讃美歌集を持っているので、ロウソクからロウがたれようものなら、身動きが取れずに大惨事になる。さらに、牧師さまのお話に感じ入りすぎて、夢の世界へと旅立ち、自分の眉や前髪を焦がす生徒が必ず数人いた。

 苦労も多かったが、あのような大人数で歌える機会はそうそうあるものではない。クリスマスの時期が近づく度に、あのときの苦労と感動がよみがえってくる。大学生になってはじめて、クリスマスを恋人と過ごせないのは負け犬という思想に触れたのだが、恋人でなくとも聖歌隊の友人とクリスマスを迎えられたのは幸せなことだったと思う。

 クリスマスと言えば、私は高校時代に不思議な体験をしたことがある。いつの年だったか、クリスマス礼拝の日の夜に、私は校門の前で親の迎えを待っていた。校内の明かりも消え、辺りの暗さと寒さに心細く思っていたとき、先輩らしき人が後ろから声をかけてきた。
「あなた、聖歌隊で歌っていた子でしょう。おつかれさま。良かったらこれをもらってくれない?」
 そんな言葉と共に彼女は私に何かを手渡した。よく見るとそれはクッキーがたくさん入った袋だった。とてもうれしくて、何かお礼をしたいから名前を教えてほしいと言ったものの、彼女は名乗ることなく立ち去ってしまった。その後、校内に彼女らしき先輩はいないものかと探したが、結局見つけられないままだ。あの時、聖歌隊は全員帰宅し、生徒会の人間もまず残っているはずがなかったのだが、彼女はいったい誰だったのだろう。クッキーは家に帰って美味しく頂いたので、彼女が実在の人だと言うことは確かなのだが……。

 クリスマスがやってくる度に、私は彼女がくれた優しさを思い出す。あの日以来、自分も誰かにさりげない優しさを贈れる人間になろうと努めてきた。優しさがめぐりめぐって、いつか彼女の元に辿り着くことを願ってやまない。

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