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【小説】ある駅のジュース専門店 第32話「笠岐の道祖神」

 いつこの世に生まれたのか、定かではない。
 気づけば見知らぬ人々が、地に両手をついて口々に叫んでいた。私の傍らには、大きな石を削って整えた、なんだかよく分からないものがどんと建っている。
「お願いします……どうか、どうか」
「わしらの村を守ってくだせぇ」
「病気が村に入らんように!」
 ムラ? ビョーキ? いったい何を言っているんだ。人々の話に耳を傾けてみると、どうやら隣の村で川の氾濫と土砂崩れが起き、その影響で病気という悪いものが流行り始めているらしい。病気がこの村にも入ってくるかもしれないので、私に村を守って欲しいというのだ。
「本当に、これで大丈夫なんでしょうか……?」
 村人の一人が、私の目の前にいた一人の男に問う。男は白く綺麗な着物を着ていて、手には細い紙が何枚も付けられた長い棒を持っていた。
「ええ。いずれきっと、この村をお守りくださいます」
 男の言葉に、私はただ狼狽していた。
 守る? 私が? 村を? なぜだ。そもそも私はいったい何だ。どうしてこんな所にいるんだ。
 困惑しながら辺りを見回すも、人々は皆真剣な瞳で私——というより、私のそばにある石の建造物を見つめている。この建造物にどういった意味があるのかは分からない。しかし、そっと触れてみると、幾人もの職人が夜も寝ずに汗を流して作り上げたものだと分かった。
 どうしてここまでする。どうして。
 村人たちは地に手をつけたまま、建造物に向かって深々と頭を下げた。強い懇願だった。その光景を見ているうちに、自分がやらなくてはという気持ちがむくむくと芽生えてきた。
 私はきっと、必要とされたから生まれてきたのだろう。自分がいったい何者なのかはまだ分かっていないが、この村を守るという使命があるのなら、全うしたい。人々の思いに応えたい。
「お願いします。おさえさま」
 呼ばれた瞬間、それが私の名前になった。

 私は石碑というらしい建造物のそばで、村の入り口の番を始めた。最初は自分の使命にしか目を向けておらず、身体すら無かったので、入り込もうとする病気をひたすら弾き飛ばすことしか出来なかった。だが、村の中で楽しげに遊ぶ子どもたちを眺めているうちに、自分もあの中に入ってみたいと思うようになった。
 私は辺りに病気がいないことを確認すると、着物や草履を見よう見まねで身につけ、少女の姿になって子どもたちの輪に近づいた。
 村人は平穏を愛し、変化を厭う。突然一緒に遊びたいと申し出てきた見知らぬ少女を、子どもたちは訝しげな目で見て追い払った。やはり距離を縮めるのは難しいか。私は肩を落とし、石碑が建つ林の方へ踵を返そうとした。
「ま、待って! 遊ぼうよ、一緒に」
 後ろから一人の少年が呼び止めた。
「鶴吉! 知らん奴には近づくなって、母ちゃんから言われたろ⁉︎」
「でも、きっと悪い子じゃないよ」
「お前なぁ……」
 鶴吉というらしい少年は周りの視線も気にせず、私と一緒に遊びたいと繰り返し言ってくれた。そして、鶴吉に根負けした他の子どもたちが私を仲間に入れてくれたのだった。
 子どもたちと遊ぶのはとても楽しかった。時間を忘れて思いきり没頭できるし、遊ぶ中で病気と戦う際に応用できそうな動きも習得できる。そして何より、子どもたちの明るい顔が見られるのが幸せだった。ずっと皆と遊んでいられたらと思った。
 しかし、いつまでも子どもたちと遊んではいられない。いつ病気が村に入り込もうとしてくるか分からないので、村の入り口に戻って見張らねばならない。
「帰っちゃうの?」
「ああ。もうそろそろ戻らないとな。皆も、気をつけて帰るんだぞ」
「また、遊んでくれる?」
「! ……勿論だ。また遊びに来る」
「ほんと? また来てくれる?」
 目を輝かせる子どもたちを見て、決心した。村の周辺に敵がいない時に限られるが、定期的に遊びに来よう。彼らの期待を踏み躙ってはならない。
「……ああ。また、一緒に遊ぼう」

 その日から、私は少女の姿で過ごすようになった。
 ただの子どもだと思って近づいてきた病気をねじ伏せ、蹴飛ばし、村の外へ放り出すと、村に病気があまり寄りつかなくなった。今まで暗い表情が多かった村人たちにも笑顔が見られ、安心するとともに誇らしく感じた。
 ああ、この村で生まれて良かった。
 これからも、この村と共に生きよう。この村を守り続けよう。それが私の、たったひとつの使命なのだから。

                〈おしまい〉

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