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【小説】『テオ』第3話

 井田の家は、文具店がある通りの裏道をいくつか曲がった先に佇んでいた。二階建ての日本家屋で、築地塀と黒っぽい瓦屋根、そして敷地内にそびえる大きな松の木が重厚な雰囲気を醸し出している。ここに来るのが久々なせいか、知っているはずのその外観に思わず息を呑んでしまった。
「やっぱりすげぇな。築何年?」
「うーん……たぶん、70年は経ってると思う」
「新しくしないの?」
「ところどころ業者さんに頼んでリフォームしてるよ。でも僕、この雰囲気が好きだから、あまり大きくリフォームしたくないんだ」
 言いながら、井田は格子窓のついた引き戸を開けた。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
 井田に続いて中に足を踏み入れると、すっと畳の匂いがした。遠くで鳴る風鈴の音も相まって、なんだかとても懐かしい気分だ。
 そして俺たちは、障子で隔てられた居間に入った。中央に大きなちゃぶ台があって、座布団が敷いてあって、隅に大きな木製の棚があって、壁には古い、おそらく井田の親戚の写真。唯一テレビだけは薄型の新しいもので、今俺たちが現代にいることを思い出させてくれた。
 俺たちが座布団の上に座ると、井田は麦茶を出してくれた。それから隣のキッチンの冷凍庫を開け、俺たちにアイスを選ばせてくれた。
「何が良い?」
「えーと、俺は……チョコ味のソフトにするわ。霧島は?」
「俺はバニラのコーンで」
「じゃあ僕は……カップにしよう」
 よく目を凝らすと、冷凍庫の奥に大量のアイスが見えた。バニラやチョコレート味だけではなく、イチゴ味や抹茶味もある。
「……多くね? 家族の分?」
「ううん、これ全部僕の。いつでも食べられるように保存してあるんだ」
「やべぇな、大ファンじゃん」
「毎日食べても飽きないからね」そう言って井田は笑った。

 居間に戻った俺たちはアイスを頬張りながら、テオについて語り合った。
「俺さ、考えたんだけど、あいつが幽霊だとはどうしても思えねぇんだよな。俺たち全員にも、川瀬さんにだって見えてるんだから」
「そうだよな。さっきはもしかしたら、って思ってたけど、あのきらきらした目を思い出したら……」
「目?」
「テオに、趣味で自由帳に描いてた絵を褒められたことがあったんだ。すっごいきらきらした目ですごいね、上手だねって言ってくれて。幽霊ならあんなに目を輝かせることは無いだろうなって」
「生気に満ち溢れてるもんな」
「そうそう」俺が頷くと、井田はおもむろに立ち上がり、「絵で思い出した。ちょっと待ってて」と階段を上っていった。それから三分ほど経って、戻ってきた彼の手には小学校の卒業アルバムがあった。
「この前みんなで話し合った後、僕もアルバム見たくなって探してみたんだ」
 井田はアルバムをめくり、あるページを開いて机の上に置いた。「本校のあゆみ」と書かれたそのページには、これまでの小学校の歴史が西暦や年号とともに記されている。
「へぇ……結構細かく書かれてるな。そんなにアルバムよく見てなかった……」
「読んでみると結構面白いよ。いつどこの改修工事が終わったとかちゃんと書いてあるし、あと……ほら、ここ」井田はページの中のある部分を指差した。
「えーと……『二〇〇五年六月。創立三十五周年を記念し、本校卒業生の画家・我伊野照生がいのてるおさんの作品が寄贈される』……?」
「すげぇ! うちの小学校から画家が出てるなんて、今まで知らなかった!」
「後から読んでみるといろんな新しいことが分かるんだよね。みんなでこれ見ながら話さない?」
「いいね。井田、ありがとう」
「ううん、こちらこそ。皓がテオの話してくれなかったら、このアルバムずっとしまったままだったから」
 俺たちはアルバムをめくりながら注意深く目を通していった。どうしてこんなに小学生の頃の思い出に夢中になっているのか、自分でもよく分からない。ただぼんやりと、このアルバムがテオの謎を解き明かす鍵になると感じていた。

「怖い話クラブ……」
 クラブ活動の写真が載ったページに辿り着くと、井田がそう呟いた。
「あー、あったな。怖い話や都市伝説を調べて語り合うやつ。井田も入ってたのか?」
「ううん、僕はイラストクラブだったんだ。今になって少し後悔してるよ」
「お前、怪談とか好きだもんな。先輩に紹介したら絶対喜ぶと思う」
 竹村が言った。彼からそんな話は一度も聞いたことが無かったので、俺と井田は目を丸くした。
「え、先輩?」
「竹村の?」
「ああ。俺の部活に同じ露原小学校出身の先輩がいるんだけど、その先輩も怪談好きでさ。小学生の頃は怖い話クラブに入ってたらしいんだ。だから井田とは気が合いそうだなって」
 いつも冷静な井田の目が輝いた。隣にいる俺も、彼とは別の理由で食いついた。
「ま、待て待て。今、『同じ小学校出身』って言ったか?」
「え? あ、ああ」
「その先輩に、今連絡できるか?」
「ああ。なんで?」
「テオのこと、聞いてみて欲しい」
「でも、先輩はテオのこと知らないだろ」
「そうかもしれないけど、今日分かったことを話せば、詳しく調べてくれる気がするんだ」
「……あー……確かに。めちゃくちゃ喜んで協力してくれそうだな……よし、分かった。連絡取ってみるわ」
 竹村はスマートフォンを操作して、先輩にメッセージを送った。
「今、テオのこと調べてるっていう説明と、今日分かったことをまとめて送ったぞ。後は返事を……ん? うわ、既読付くの早……え?」
「どうした?」
「な、なんか、今からそっちに合流してもいいかって……」
「え⁉︎ 今から来るの⁉︎」
「テオについてすっごい興味持ってくれてて、一緒に調べてくれるって……マ、マニアって怖ぇ……」
「マジかよ……」
 俺たちは先輩の行動の早さに驚き、同時に安心した。今まさに不思議なことが起こっているのだから、その分野に詳しい人が来てくれるならとても心強い。
「というわけで、井田。急にこんなことになってごめんな。ここに先輩来ても大丈夫か?」
「大丈夫だよ。僕も一緒に話してみたいし」
「サンキュー。じゃ、井田の家に来るように伝えとくな」
 竹村がメッセージを送ったのを確認すると、井田は座布団をもう一つ敷き始めた。

                  〈つづく〉

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