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小説 喫茶店 第2話

第2話

茹だるような暑さの中、Sは、今日も喫茶店に向かっていた。あの時から、これで、すでに7回目だ。

確かに、最初に喫茶店に行った時は、震えが止まらないほど、恐ろしい思いを味わった。人生の最後の1時間が差し引かれた、と急に聞かされたのだから。

しかし、よくよく考えてみると、人生のたった1時間を失うだけで、これほど元気が回復するのである。
睡眠を多くとるより、マッサージや整体を受けるより、あるいは、サプリにお金を費やすより、むしろ、はるかにお得なのではないか、とSは思った。なんなら毎日でも通って、いつも元気な体でいたい、と、そう思うようになっていた。

喫茶店に行った後は、だいたい翌日いっぱいは、元気を保っていられるので、Sは、あれから1日おきのペースで、喫茶店に通い詰めていた。

そう。あの、小さな喫茶店だ。

今日も、店に着くと、Sは、いつものカウンター席に座った。マスターは、2回目からは、話しかけてこなかった。無言で、コーヒーをSの目の前に置いた。妙に心の奥底に響く、マスターの低い声を聞かずに済むので、Sは、むしろ、その方がありがたかった。

コーヒーを一口飲みながら、壁に掛かっているたくさんの時計を眺めると、いつも、すぐにどれか1つが光って見えた。そして、なぜか、それと解るマスターが、無言でSの前まで、その時計を運んできた。そして、Sが、その時計を見つめれば、時計からは、コチコチ、コチコチ、と小さいが鋭い音が刻まれて、それを聴いているSの意識は次第に薄れていく・・・。


ふっ、と気がつけば、今日も、身体中に元気が戻っていた。肩も、腰も、そして心まで、全て軽くて、Sは、満足だった。
7回目ともなると、さすがに心に余裕が出てきて、Sは店内をゆっくり眺めることもできるようになっていた。

薄暗い店内をゆっくりと見回してみると、テーブル席が4つ、カウンター席が4つ、置かれていた。 そして、それぞれの席に、それぞれ一人ずつが座っていて、目の前には、何かしらの飲み物と、そして、時計 が置かれていた。

時計の形や大きさはまちまちで、大きい時計、小さい時計が、その人の体の大きさや年齢、性別とは関係なく、それぞれ置かれているようであった。 そこにどんな決まりがあるのかは、見当がつかなかった。

今日の店内で、中でもSの目に留まったのは、一番奥のテーブル席に1人で座っている女性と、テーブル越しに置かれた大きな時計だった。うつむいているので、容姿や年齢はよく分からなかったが、髪の長い華奢な体の、遠目には若そうな女性だった。

その女性の前に置かれた時計は、女性の体と、ほぼ同じくらいの大きなもので、テーブルには置けないのか、床に直接、置かれていた。Sの席からは、その大きな時計の秒針が見えなかったが、それは1秒ずつ、コチコチ、コチコチ、と確実に時を刻んでいるはずだ。

と、次の瞬間、女性はゆっくりと立ち上がると、ふらふらと歩きながら、Sの横を通り抜けていった。そして、喫茶店のドアを開けると、吹き込んだ風にワンピースの裾をなびかせながら、店の外に出て行った。ドアからは外の光が差し込み、その女性の後ろ姿が、眩しい光の中に吸い込まれて消えていくように、Sの目には映った。

ドアが閉まって、Sは、前を向き、残りのコーヒーを飲もうとした。
と、その時だった。

店の外から、キ、キ、キーという、車のブレーキのような音。
その後、ドスンという音。
続けざまに、ドサッ、という音。
その後、間も無く、店外からは、ざわざわと、人が集まり騒いでいるような喧騒が、店の中まで聞こえてきた。

Sは、一瞬、何が起こったのか、分からなかった。しかし、次の瞬間、全てがSの中で繋がった。
女性の前に置かれていた、やけに大きな時計。ふらふらと出て行く後ろ姿。そして、衝撃音。
もしかすると、いやきっと、あの女性は、今日で、全ての時間を使い果たしてしまったのではないのか・・・。
だから、店の外で・・・。

Sは、落ち着こうと、コーヒーを口に運んだ。カップの中でコーヒーが小刻みに揺れていた。

と、その時、Sは、さらなる恐ろしい事実に思い至った。
時計の大きさだ。
Sの前に置かれる時計は、毎回、徐々に大きくなってきていたのだ。今日、Sの目の前にある時計は、初めて来た時より、確実に、2、3倍は大きくなっていた。このままで行くと、このまま店に通っていると、時計はどんどん大きくなっていくだろう。するといつかは、ついには、等身大の大きさにまでなっていき、ついにはあの女性のように・・・。

コーヒーカップを手に持ったまま、Sは、ただ、ただ、震えていた。

To Be Continued


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