こたつのあるお正月
炬燵(こたつ)のある家が少なくなった。多分それを知らない若者のほうが多いかもしれない。私が大学生の頃は、4畳半に炬燵というのが貧乏学生の住む部屋の定番だった。勉強机にも暖房にもなる炬燵はまさに万能家具の一つで、寒い冬はそこに足を突っ込んで布団をかけて眠り、生乾きの洗濯物を入れておけばふんわりと乾かすこともできた。
映画「神田川」のロケ地の近くの下宿には風呂が無く、風呂おけにシャンプーと石鹸をいれて銭湯に通った。神田川は大雨の時は水位が上がり、何度となく道路が冠水して、西武線の運行が乱れることもあった。テレビもオーディオもなく、冷蔵庫はあったが、中には缶コーヒーくらいしか入ってなかったと思う。別に私だけが貧乏だったわけではなく、まわりには同じような学生が大勢いた。学校の近くに行けば出世払いでチャーハンを食べさせてくれる食堂や、社会人の先輩が立ち寄り、我々学生におごってくれる定食屋もあったので、仕送りやバイト代が入るまで食つなぐのはそんなに困難ではなかった。どうしても食べるものが無いときには、自宅から通う友人の家におしかけた。食事と風呂にありつけるので、ありがたかった。
今も貧乏学生はいるだろう。しかしあの時代の「貧乏」とはちょっと感覚が違うのかもしれない。
新型コロナの影響で、バイトもできない、学校にいけない、友達にも会えない学生が音を上げていると報道されている。当時の私だったら、とっくに栄養失調で倒れていたと思う。
何にもない時代の象徴的な家具、そんな炬燵が豊かな時代に姿を消したのはなぜだろう。住宅の建材や暖房器具が発達して、部屋の中が寒くなくなったのが主たる理由だろうし、そもそも畳の部屋が少なくなったからかもしれない。いずれにせよ夏の蚊帳と同じように、冬の炬燵も日本の季語から消えて行った。
みかんを食べながら炬燵で紅白歌合戦を観る。今年の正月はこの風景を復活させた。母の住む実家に家族全員(ワンコも)で帰省し、古い炬燵と布団を引っ張り出して、和室で正月を迎えた。こうして古き良き「文明」が少しずつ蘇り、現代で喝采を浴びる。これはまた楽しいものだ。
【2020年(令和2年)1月18日】
今日の横浜はみぞれ混じりの雨模様です。予報では都心にも積雪の可能性、となっています。東京の雪と言えばチエミの大学入試の日を思い出します。地下鉄の駅からキャンパスまでの道が真っ白な雪で覆われていて、轍を踏みながらすり足で歩きました。それでなくても神経質な彼女の顔は、緊張と寒さで蒼白になっていました。今となれば笑える思い出話ですが、そもそも滑り止め受験もせず、早稲田だけを受ける、という決断自体が無謀ですよね。父さんの反対をおして上京を決めた彼女の覚悟のあらわれだったのでしょう。
年末の帰省、楽しかったです。家族全員で帰ったのは11年ぶりです。片道1,000キロのドライブも、子供たちと交代しながらの運転だったのでなんとかなりました。特にユウは名古屋で毎日のように営業車に乗ってるので、高速走行にも慣れたものです。彼の滑らかな運転のおかげでケージの中のチェリーも安心して眠っていました。荷物を満載したプリウスの中に大人4人と柴犬が乗るとさすがに窮屈でしたが、「狭いながらも楽しい我が家」といった風情で、子供たちともいろんな話をしながら、12時間の道中を楽しむことができました。私が子供の頃に父さんが連れて行ってくれた家族旅行はいつも車でした。電車や飛行機の旅に憧れたこともありましたが、今回の旅行で、ハンドルを握りながら、あの頃の父さんの気持ちが少しだけ理解できたような気がします。
12月28日の午前3時くらいに家を出て、ちょうど京都あたりで夜が明けました。SAのドッグランでチェリーを遊ばせ、コーヒーを飲み、背中や腰を伸ばします。ひんやりとした空気がとても気持ちよかったです。
ユウがハンドルを握っている時は、私とナツが後部座席で眠りました。助手席の妻との会話が時折耳に入ります。恋愛について、仕事について・・。今どきの母子というのはずいぶんとフランクです。私が23才の頃に母さんとあのような会話ができたとはとても思えません。時代が違うんでしょうね。
母さんとチエミ、そしてわが家全員が下関に集ったはいつ以来でしょう。私が子供の頃には当たり前だった、和室のテーブルに料理をいっぱいならべて、家族全員で食事する正月。久しぶりに実現できてとても楽しかったです。炬燵(こたつ)を囲んでテレビを観て、笑い声が絶えない段落。ちいさな犬が人間の間に割り込み、炬燵掛布団をめくって中に入ろうとする様は、私が子供の頃の「古田家の正月」そのものでした。紅白を見終え、全員で亀山神宮、赤間神宮、乃木神社を三社詣しておみくじをひきましたね。
今年は良い年になるといいですね。
【2020年(令和2年)2月29日】
気がつくと閏年の2月ももう終わります。明日からは3月。春の始まりと卒業の月です。そんな折にとんでもない疫病が流行ってしまいました。新型コロナウイルス。街からマスクが消え、昨日からはついにトイレットペーパーやティッシュもなくなりました。やれやれですね。下関は大丈夫ですか?
私が香港に赴任した直後のSARSの騒ぎを思い出します。マスクと手洗い、うがいくらいしか対策がなさそうです。あまり人ごみに近づかないように気をつけてください。バスも本当は危ないのでしょうが、極端に行動を制限するのも気が滅入りますよね。下関はまだ感染者がいないので大丈夫だと思いますが。
SARSの時みたいに、あっという間に収束して、経済も産業もV字回復となればよいのですが、どうでしょう。事は少しばかり深刻かもしれません。
年末年始の帰省時の写真を整理しています。スマホという文明の利器のおかげでたくさん写真を撮りました。本当は、メールで送付すれば携帯でも見れるはずですが、アナログな母さんにはちょっと無理そうなので、印刷して送りますね。仏壇に飾って父さんにも見せてあげてください。綾羅木海岸で撮ったチェリーとのツーショット、気に入っています。小学生の頃、まだ学校にプールがなくて、水泳授業はこの海水浴場にロープを張って行っていたことなど、ナツやユウにいわせると「ありえない!」ことのようです。
ライトアップされた朱色が鮮やかな赤間神宮、学校でひととおり歴史を学んだ二人は「壇ノ浦の合戦」「耳なし芳一」くらいは知っているようです。亀山神宮のふく(河豚)の像は私も知りませんでした。故郷での新たな発見がまた一つ増えました。
発見と言えば、竹崎の釜山タウンにある「やすもり」という焼肉屋さんもそうです。あのあたりでは有名な焼肉屋さんで、名物「とんちゃん」を食べに他府県からも常連さんが来るそうです。韓国料理店や韓国の所在を扱うお店が立ち並ぶ街の中に、おいしい韓国焼き肉屋さんがあることに不思議はないのですが、予約がとれないほどの人気店となるとやっぱりびっくりですね。ホルモン料理の中でも下関がが発祥の地といわれる「とんちゃん」。妻や息子たちは初めて食べたのですが「うまい!」と好評でした。なんでもっと早く連れてきてくれなかったのかと責められました。何はともあれ、川棚の瓦そばに続く「かならず行くべし!故郷の名店」の登場です。なんか嬉しいなあ。
まだ行ったことないけど、松田優作が通いつめたチャンポン屋さんや、大きな海鮮丼が有名なお店などが市内にあるそうです。今度帰ったら行ってみましょう。
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