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黄金猿(こがねざる):創作

山の中のサルタの屋敷に、カワタの使いがやって来た。港にヒトが現れたそうだ。それで、どうすればよいかと指示を仰いできたのだ。そんな報告を受けたサルタは、しばらく考えあぐねいた。

この島の猿は、2種類。山に住む猿と、港に住む猿がいる。山の猿は、木の実や山菜、時には、鳥やウサギを捕まえる事もある。天候に気を付ければ、比較的安全な日々を送ることができる。対して港の猿は、山の猿を、臆病者だと揶揄している。彼等は、漁に出る事を好む。波が高い日でも、お構い無しに船を出す。魚はどちらの猿達にとってもご馳走なのだ。当然、深追いしすぎて、漁に出たまま帰って来ない船もある。そんな危険すらも、楽しんでいるのが、港の猿なのだ。

座敷からは、コシアブラの木が見える。もうすぐ小さな花が咲く季節だ。「来年の春も、黄緑色の芽を食えるかな」と訳もなく、サルタは思った。

気性が荒くて、腕っぷしの強い港の猿が、この島のお頭になる。それが、通例となっていた。しかしながら、サルタは違った。山の猿がお頭になったのだ。しかも、最年少で。
サルタは、とにかく体が大きい。それでいて、そういった猿にありがちな、愚鈍なところが全くない。象徴的なのが、金色の毛だ。薄茶色とちがい、光り輝いたその姿は、小猿の頃から、特別な猿だという事を島中に印象付けたのだ。
お頭になってから、10年が経つ。その間、山の猿と港の猿の抗争は一度もなかった。

この10年間の最も大きな出来事は、海の向こうからやってきた。前にヒトが現れたのは、4年前だった。その時は、サルタが先頭に立って、ヒトを威嚇した。抵抗することなく、あっさりとヒトは帰っていった。それ以来、ヒトを目撃した猿はいなかった。

今回もヒトはすぐに船で帰っていったという。「帰っていったなら、それでいいでねぇか」とサルタは思った。それを、どうすればいいかと問われても、サルタは返答に困った。ただ、腑に落ちない点がある。使いの者の話だけでは、詳しい事がわからない。考慮しても、どうしようもない。サルタは、危険な事に足を踏み込む覚悟をして、自分が、港に足を運ぶ事にした。

カワタは、サルタの姿を久しぶりに見た。若さと威厳を兼ね備えた姿。それを裏付ける大きな体躯。何よりも、金色の体毛は、神々しさの衣を身に纏っているようだった。姿だけではない。島のナンバー2のカワタとサルタの差は、埋めることができない程ひらいている。サルタを前にするだけで、カワタはねっとりした汗をかくのだった。

「活気がねぇな」

「そんな事がすぐにわかんのか」と、カワタは改めて感心した。同時に、些細な事でも報告しておけばよかったと悔いた。サルタは港につくと、カワタを見ることなく、すぐにそう呟いた。そして煙を吸い込み、一瞬息を止めてから吐き出した。

「最近は、何故だかわかんねぇんですが、船さ、出しても魚がいつものように獲れねぇんす。それでも毎日、期待して船を出しては、落胆している日が10日程続いてるんす」

カワタは、サルタよりも一回り以上年上だ。彼らの社会に年齢は関係ない。実力で序列は決まる。

「おめぇは、ヒトを見たんか?」

二匹の目の前を、背中に子猿を乗っけた雌猿が横切った。子猿は、サルタ達のほうを大きな目で、ジーと見ていた。

「俺は見てねぇす。けんども、ヒトを見た奴からは話を聞いたんす。あいつら芋でも木の実でもねぇ、見たこともねぇこんな食いモンをバラまいたみてぇなんす」

子猿を背負った雌猿は、一度も猿達の方を見ることなく通り過ぎた。

「なんだそれ。うめぇんか?」

カワタの手には、見たことのない、食いモンと呼ばれた、少し溶けたモノが、銀色の包みにくるまれていた。

「うめぇっす。黒い板みてぇな見た目なんすが、甘ぇんす。もしかしたら、それを配って俺らの警戒心を緩めるのが狙いかもしれねぇす」

年上の子分はわずかだが、頬を緩めた。サルタはそれが本当に美味であるのだと悟った。

「それでお前ぇはどうしてぇんだ?」

短くなった巻き煙草を片手に、目をトロンとさせ、サルタは煙をゆっくりと口から出した。カワタは、ねっとりした自分の汗が、頬を通過し、滴となって、地面に落ちた事に気がついた。

「とにかく、ヒトがどこにいんのか、見つけるべきでねぇすか」

「あぁ?ヒトは帰ったんでねぇんか?」

「あぁ、一筋縄ではいかねぇ」カワタの汗は止まらない。「お頭と話すんのは、俺、苦手だぁ」とはいえ、カワタが何か言わない事は不自然な状況だった。

「それが、今日、ヒトを見たと言う小猿がいたんす。まだ、この島にヒトがいるんなら、捕まえるしかねぇす」

「ほぅ。勇ましいことでねぇか。できんのか?」

再びカワタは言葉を詰まらせた。「早くこねぇか」と祈るように、僅かに視線をずらした。

「できんのか?」

サルタが微笑んでいるように見えた。できる、できねぇの話ではないのだ。

「やるか、やらねぇかの話だと、言いてぇんだろ?」

敵わねぇ。カワタの汗は止まらなかった。

「もうすぐ、その小猿とその母猿を若ぇモンが連れて来るんす。とっ、とにかく、俺も聞きたい事があるんす」

カワタは震えを隠すことができなかった。

「面倒くせぇな」サルタは、カワタを見てそう思った。意図がわかんねぇ。サルタは、そう思うが、確信している事がある。
「こいつは、小猿が来んのを待ってんじゃねぇな。俺を殺そうとしてんだな。何故、こうなった?ヒトと通じてた奴がいるんだな」そうとしか考えられなかった。

「レザとジザだな?」

その瞬間、カワタは地面にへたり込んでしまった。「謀り事など、お頭の前では意味がねぇ」もう遅い事はわかっていた。

「へぇ」

カワタの態度をみて、サルタは声を出して笑った。そしてすぐに、カワタを足蹴にして、唾を吐きかけた。

「クソが。ヒトは?ヒトは来てねぇんだな?」

「へぇ」

再び、カワタの腹を蹴り上げた。グガッと、あばらが折れる音を、カワタは自分で聞いた。それから、サルタは頭の毛を掴み、カワタの目を見た。

「レザとジザはここに来んだな?」

「そっそこに、そこに、いるんす」

カワタが指さした。サルタが振り向いた。

2発。はじめに2発の乾いた爆発音が鳴った。その後、狂ったように、レザとジザは引き金を引いた。ドライファイアになっても、指の動きを止めなかった。

「やめろ!やめろって言ってんだカス野郎!」

カワタは叫んだ。あたりは白い煙に包まれた。カワタの腕にも弾が当たった。自分の描いた絵が実現したのに、カワタは恐ろしくなった。4年前、人が現れた時からカワタはこの日を待っていた筈なのに、思いがけず、後悔をした。

「俺はぁ、お頭になれねぇ」

レザとジザはカワタの双子の息子だ。漁に出たと見せかけ、ヒトの船に乗せた。サルタを殺す手立てを用意させたのだ。カワタがそんな事ができたのは、一番初めにヒトと接触したからだ。息子をヒトの船に預けるのは賭けだったが、その賭けにカワタは勝ったのだ。

「親父、やったな!これで、島は俺達のもんだ」
レザとジザは人の服を着ている。それを見た時、カワタは吐き気がした。ヒトの力を借りなければ、サルタを殺せない。そんな事のために、カワタはとんでもない事をしてしまったと思った。ヒトがレザとジザに与えたのは、服だけでなく、二人の手の中にある、銃とよばれる武器だった。

「おい!レザ!これさえあれば、気に食わねぇ奴はこの、ゴールデン野郎みたいにぶっ殺せるな!」
「ハハッ!クソ野郎にデカい顔される事もねぇ!なんなら、山のクソ野郎を全員殺しちまうか!」

ヒトから何を教わったのか知らない。カワタの二人の息子は、確実に何かを失った。

「やめろ!おめぇら、もう喋るな!カスが!黙れってんだ!」

父親の咆哮に芋引いたのか、双子は二人で目を合わせた。

その時に、サルタの体が動いた。



「くだらねぇ」サルタは思った。「こんな事のために、息子をヒトに預けたカワタも、おもちゃを手にして、強がっているガキもくだらねぇ」サルタは、予備動作なしに起き上がった。

「嘘だろ!?こいつ、一体何なんだ?」
「マジか!クソ、弾がねぇ。ジザ!走れ!」

サルタは、唾を吐いた。カワタはその場から動けないままだった。

サルタは、港に落ちてある石を2つ掴み上げた。それから、スゥーと鼻から空気を吸い込み、2回連続して石を投げた。
当然のように、レザとジザは後頭部を抑えながら、地面に倒れこんだ。

「さて、カワタ。どうしたもんだ?おめぇさえよければ、息子がどうなろうと知った事じゃあねぇっていうんか?ヒトに貸し作って、この島をどうすんだ?」

遂にカワタは意識を失った。



その後、島にはヒトの船団が訪れた。
黒い大きな船からは、爆音とともに、火の玉が飛んできた。それによって、港の船は全て焼き尽くされた。
何匹もの猿が、火ダルマになり、海に飛び込んだ。

カワタはその様子をサルタに見せられていた。

「おめぇのせいだ。同時に、俺のせいでもあるんだ」

救える猿は救った。カワタもそれを手伝った。

「どうてぇんだ?おめぇ、どうするつもりなんだ?」

山に避難できた猿にとっても、これから苦難の道が待っている。

「やるか、やらねぇかしか選択がねぇ。なぁ?もうやるしかねぇんだ。わかるか?こんな島で、誰が一番なのかってことは、馬鹿げたことだ。こうならねぇように、すんのが頭ってもんだ。そういう意味では、俺も頭の資格がねぇな」

カワタは、泣いていた。遅すぎた涙では、救えるものも救えないのだった。

おわり

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!