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一人前の身勝手な人:創作

依頼人の言っている事に疑問点はなかった。しかしながら、正直なところ、こういったタイプの人間の仕事を引き受けるのは、私は嫌なのだ。

「私はね、言論の自由を優先させているのですよ。といっても、どこで何を言ってもいいという訳ではないのですよ。電車の中で、『この人痴漢です!』と無闇矢鱈に叫んでしまったら、髪を刈り上げた、正義感の強い青年なんかが、何もしていない人間を取り押さえるでしょうね。そんな事はしませんよ。でもね、正しいところで正しい事を言って何が悪いのですか?そう思うでしょ?」

依頼人は45歳の女性。おかっぱ頭に赤い縁の眼鏡。どの時代にもいる、レズビアンの社会運動家みたいな出で立ちだ。

「それで、お客さんにああいった発言をしたのですね?」

「そうですよ。ああいった発言って言いますけど、そんなに悪い事を私はしたのでしょうか?嘘を言うよりはマシでしょ?それをね、私の姿を写真で撮って、ツイッターに投稿するのは何かの犯罪でしょ?ツイッターできるなら、自分で調べればいいでしょうが」

その通りだろう。言っている事はよくわかる。

「まぁ、訴えるという事でしたら可能ですよ。無断で写真をSNSに投稿する事は肖像権侵害と評価できます」

「そうでしょ?それなら訴えますよ!こんなに気分の悪い事はないわ。今も私の写真をみて、嫌な事に、共感している人がいるなんて考えるだけで腹が立つわ」

訴えるという事が、どういう事なのかわかっているのか試してみようと思った。

「では、着手金は20万円になります」

案の定、依頼人は「えっ」という顔をした。

「そうよね。そう。その通りよね。その前に、今回の事で、その、ソンガイバイショウっていうのかしら?どれぐらい、もらえそうなの?」

「精神的な損害賠償金、まぁ慰謝料っていうのが、大体10万円ってところでしょうね」

投稿記事の性質と、拡散の規模から言って、50万円まではイケるかと思ったのだが、一般的な相場を言う事にした。

「10万円のために、20万円も!?それおかしくない?」

「あと、報酬金として賠償金の16%頂きます」

私はわざと素っ気なく言った。もしかしたら、怒って帰るかもしれない。しかし、その方が好都合だ。彼女と話をしているだけで私はイライラしてきた。

「もういいです。ちなみに、私が自分で訴える事はできるのですか?」

「ここからのご相談は料金が発生しますが、よろしいでしょうか?」

ここで私は、彼女の態度を模倣してみようと思った。

「それともご自分でお調べになりますか?」

意趣返しとまではいかないが、依頼人の客の気持ちはよくわかる。そのつもりで煽ってみたのだ。

「あなたのお名前を教えてください」

一瞬、頭が真っ白になった。依頼人は私の期待と真逆の態度をとった。怒って帰るか、怒って私に抗議すると私は思っていたのだ。しかし、彼女は無表情になり、静かに口を開いたのだ。

「先ほど、名刺をお渡ししましたが」

「名前を教えてください」

私は彼女の異様な態度に圧倒されかけていた。早く帰ってほしい。

「あの、私の名前はこちらに書いてあります。これでよろしいでしょうか?」

渋々、名刺をもう一枚取り出した。漢字の下には、ローマ字で私の名前が書いてある。もっとも、難解な苗字でもなければ、名前でもない。それでも、私は自分の名前を口に出すとよくない事が起こりそうだと予感した。

「もういいです。あなたの名前はわかりました。私がここに来たことを忘れてください」

赤い縁の眼鏡が滑稽に見える程、彼女はおとなしくなり、先ほどまで、自分の正義を主張していた態度が嘘のようだった。気持ちの悪い変わり様に、呪いでもかけられるのかと私は不安になったが、こういうことはよくある事だ。ぶつけようのない怒りに直面した時、人は言葉を失う。しばしば、私が使う手段だ。相手を貶めるには一番効果がある。

論理の逃げ道を塞ぐことで、相手の動きを止める。中には暴力でそれを抗う者もいるだろう。しかしながら、それこそ相手の破滅だ。法こそがこの世を支配している。それを利用することで、私は強くなれるのだ。

「わかりました。お力になれなくて残念です。それでは、お帰り下さい」

私は立ち上がり、ドアを開けた。有無を言わさずに早く帰らしたかったのだ。

「そうね。無駄な時間をとらせてすみませんでした。もう、肖像権の侵害とかはどうでもよくなったわ。あなたの名前、憶えとくわ」

負け惜しみだな。こういう吠え面をみるのが私の生きがいだ。

「はい。ありがとうございます」

私は満面の笑みで送り出した。

こういう事があるので、私は本名を隠している。私の名前を知られてはいけないのだ。私の名前は……。
教える訳がない。しかし、私は依頼人の名前は憶えた。

終わり


一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!