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999文字というカウント

 自分の中にあるものが自分でも整理がつかなくて、不必要に尊大な素振りをしてしまう。初期設定の自分が他人の立場にいた時に、どう振舞えるかなどという想像をする時に、上から目線で、その対象となる立場に優越感を抱く。
 その初期設定な自分が、今の自分の立場で、今の自分の中にあるものだと錯覚して、余裕な態度をとってしまう事。
 訳がわからないという事を言語化すると、意味がわからない文章になりますね。
 わかりやすく何かを伝えるという事をしたいのに、自分がわかっている事など何もなくて、結局どうやって文を作ればいいのかわからなくなります。
 あえて人混みを歩くと、すべてがちっぽけで、孤独という言葉だけが頭の中に思う浮かびます。すれ違う他人に根拠のない嫉妬をするから孤独なのか、不必要な自尊心で人を見下しているから孤独なのか、そんな事もわからないのです。
 誰かに向けた救いの言葉を与えたいのに、自分が救われたいという事ばかり。これは肉体的な苦痛が原因なのか、それとも精神が自由過ぎるが故の一種のカタルシスに快楽を得ようとしているなのか、二択ではないのに二択にしたくなります。
 新年あけましておめでとうございます。
 その言葉がやけに悲しくて、それでもその言葉を口にして、今の自分が嘘で作って辻褄が合わない設定をしてきた事に後悔をします。
 伝わらないと自覚しているのに、noteにこんな事を書くのは、かまって欲しいという願望が行動になっている事です。
 悲観的である訳ではなく、混乱がずっと続いていて、もっと表層的な事だけを考えて、シンプルになればいいのにそれを見下して馬鹿にしている。
 物語の一つも思う浮かばず、何を書けばいいのかという事に尻込みして、決断を先送りにする。
 乖離するのは現実と、自分の尊大な勘違い。かといってその状況に快楽を得ている。他人に理解を求めて甘やかされても、それが得られるのは有限。
 訳の分からない文章を自分の中に仕舞う事ができずに、ここに書く事を許してください。
 その言葉一つに裏があるなら教えてください。
 そして、僕はそれを否定するでしょう。
 中年男性が書いてあるのが痛いと認識できるだけのメタはあります。そうやって自己防衛するという姑息な事だってできます。
 なんだろ。こう、もうあと少しで自分が補完できそうなのに、悶えているのが最後まで続くのではないかという不安が怖いのかもしれません。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!