アメリカで停学になった話2
前回の続きです。今回はアメリカの高校では、停学中に何をするのかという事を書きます。
僕とジョンは校長室に呼ばれました。その時の僕は罪悪感に囚われていました。当たり前ですが、自分だけが悪いと校長に僕は言ったのです。
経緯を尋ねられましたが、それはジョンが答えました。自分が借りたものを返さなかったので殴られたと。
ジョンは根っからの嫌なやつではありませんでした。自分にも非があったと言っていました。
それを聞いて僕は自分は本当にひどい事をしたと後悔しました。
校長の判断で、ジョンはお咎めなしで、僕は5日間の停学となりました。
日本の停学は自宅謹慎なのかもしれませんが、アメリカの停学は自宅にいてはいけません。学校とは違う施設で、朝から夕方まで過ごさなければならなかったのです。
僕が行かなければならなかったのは、幼稚園が併設されている施設でした。昼食はなぜか園児と一緒に食べるように言われました。子供に「なんでここにいるの?」と聞かれても、英語で何と言えばいいのかわかりませんでした。それで「僕も5歳なんだ」と適当な事を言ってやり過ごしていました。5日間、そのことをしつこく聞いてくる子供が一人いました。
昼食以外は机一つ分のスペースを、パーテンションで四方を間仕切りされたブースに入る事を命じられました。
その狭いスペースで一日を過ごさなければいけなかったのです。その間、ひたすら教科書を書き写すという、頭がおかしくなりそうな作業をする事を命じられました。
英語をスラスラ読めない僕は、文章の意味を理解できないので本当に頭がおかしくなりそうになりました。当然、書き写すことも面倒になって居眠りでもしようと思ったのですが、そこの職員は、不定期にブースを覗きに来たのでした。眠る事も許されませんでした。
その施設では、僕以外に何人かの高校生が同じことを同じ時期にさせられていました。
そこでは、他の高校生と接触する事を許されていませんでした。昼食の時もそうです。僕だけが園児と一緒に食べるように言われていたのです。
誰が近くのブースにいるのか知りませんでした。ただ、隣から頻繁に舌打ちが聞こえてきました。僕も気持ちはわかりましたが、普通ではないその状況に、舌打ちの音で気が狂いそうになりました。当然、職員は舌打ちした生徒に注意していましたが、それでやめるような生徒は停学にならないでしょう。
狭い空間と舌打ちと叱責。そして意味が分からない作業を5日間続けると流石に僕は疲れました。
貴重な体験だとは思っていません。
反省すべき点が多く、恥ずかしい過去の一つです。停学になった経験が何かに活かされているとしたら、手を出した方が悪いという事を、身をもって知った事です。
暴力という行動をしてしまえば、相応の罰を受けなければなりません。それが嫌だから暴力を振るってはいけないという訳でもありません。
人を物理的に傷つけて、解決できることはありません。余計に事態が悪化するのです。たとえ、言葉で差別的な言葉を投げかけられても、耐えるか、言葉で言い返すことしか社会では許されないのです。
その後、ジョンは僕に1ドルを返してきました。けれども、そこから彼との友情が深くなることはありませんでした。彼には謝罪して、許しを得ましたが、気まずくてあまり話もしませんでした。
停学が明けてから、他の生徒たちは、僕の事を「カラテキッド」という映画に出てくる日本人の名前で私を呼ぶようになりました。僕は帰国するまで、その学校では「ミスターミヤギ」として過ごすことになったのでした。
※日本ではベスト・キッドというタイトルですね。
また、その日から頻繁にドラッグテストをやらされるようになりました。違法薬物の使用検査です。田舎の町とはいえ、そういったものを手に入れる事は簡単です。僕は学校から目をつけられたのです。月に2回のペースで実施されました。当然一度も陽性になった事はありませんでした。
もう20年も前のアメリカの高校での出来事です。
他の学校の停学がどういうモノか知りません。懲罰は懲らしめるために罰を与える事です。
それで罪を犯したものに更生を促すのでしょう。
「ショーシャンクの空」にという映画でこういうシーンがありました。
面接官
終身刑で既に40年か。 更正したと思うか?
レッド
更正?更正ね どうゆう意味だか
面接官
君が社会に……
レッド
それぐらい分かる。更正というのは国が作った言葉だ。
君たちに背広やタイや仕事を与えるために。
罪を犯して後悔してるか知りたいのか?
面接官
後悔は?
レッド
しない日などない。罪を犯したその日からだ。
あの当時の俺は、1人の男の命を奪ったバカな若造だった。
彼と話したい。まともな話をしたい。
今の気持ちとか……
でもムリだ。
彼はとうに死に この老いぼれが残った。
罪を背負って更正?
全く意味のない言葉だ。
不可の判を押せ。これは時間の無駄だ。
正直言って仮釈などどうでもいい。
レッドは黙って横を向く。そして面接官は仮釈放可の判を押す。
僕は更生というのは、この映画のレッドが言うように、社会が作った言葉だと思っています。
更生を促すポーズをする事で、体裁を保てるからです。
人が人を更生させることは不可能です。
僕たちは、自分の事を自分で知るしか変わる事ができません。
20年前の事を今更振り返っているのは、僕は変わるという選択を今、選んでいるからです。
罰は人から与えられるのではなく、自分で許すことから始まるような気がします。
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!