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シン・セカイ2

前回のお話

「どこに向かっているのですか?」

キャデラックのエスカレードの後部座席から、カツキは運転席と助手席に向かって質問をした。レザーとウッドで構成されたインテリアはゴージャスだが、それほど重厚感があるわけでない。それでも、いつもと違う雰囲気がするとカツキは思った。それもそうだ。それまでカツキは、自動運転以外の車に乗った事がなかった。車というのは乗り心地が全てで、運転を楽しむという発想がないのが一般的だ。

「北ぺスプッチさ」

自己紹介なしに、運転席の褐色に焼けた肌のコーカソイドの男が、どちらが返答するべきかを確認するように、助手席のリサを一瞥してから答えた。

「北ぺスプッチ?空港に向かっているという事ですよね?」

カツキが驚くのも無理はない。北ペスプッチ地方までは海を隔てて11,000㎞以上離れているのだ。

「まさか!そんなことしてたら、すぐに捕まっちゃうよ。君の常識では考えられないかも知れないけれど、このまま行くよ」

今度はリサが答えた。前に会った時には感じなかったが、見た目に反してかなり年上ではないかとカツキは思った。

「俺の名前はカルロ。デバイスを見ても、俺の情報は出てこないだろ?察しの通り、俺もペルディドスだ。今から、モンターニャ・富士に行く。そこから、アルタル砂漠に飛ぶんだ」

唐突な自己紹介にカツキは面食らった。「ペルディドス」とはここ最近、ニュースでよく聞くようになった言葉だ。彼等自身は、自分達が救世主だと言い、中央のこの世界の全てのシステムを司るビハーバーは、彼等をテロリストだと報道している。今の状況では、ビハーバーを信じる人が少数派だ。こんなことは今までなかった。

「言ってみれば、瞬間移動すんの。この車ごとね」

リサの言っている意味がカツキにはよくわからなかった。瞬間移動の技術など聞いたことがない。1,1000㎞も離れた場所に行くからには、飛行機に乗るのが普通だと思っていたが、富士山周辺に大きな空港はない。こんな事態に動じないほどカツキは強くなかった。

「同じレイライン上にある龍穴は、物理的な高速移動ができるの。まぁ、説明するの面倒だから、着いたら実際にやってみるし。キミが何もしなくても、キミがいると私達がするよりも速くそれができんの。言ってもわかんないだろうけど」

「それって、僕の父親が関係しているのですか?」

「そんなとこかな。ちなみにだけど、君のお父さんってのは、私のカレシ。意味わかんないっしょ?」

リサはそう言うと小さく笑った。カツキには理解しがたい事ばかりが起こっている。

世界は少しずつ、大きく変わりはじめた。混乱と絶望に支配されながら、生き延びようとする人々は競うように文明を諦めている。
彼等が、はじめにする事は、モニトレオを除去すること。つまり、ビハーバーからの恩恵を放棄し、自分で考えるという面倒を選択しようとしているのだ。

ビハーバーが主張していた『死と距離のある社会づくり』という言葉はまるで破れた旗のように、風にたなびいていた。

ビハーバ。

この世界の全てのシステムを司る名称。カツキも詳細は知らないが、詳細を知る必要のない存在の事だ。昔でいう政治や経済、福祉もエネルギー開発もビハーバが発案し、ドロイドが実行している。人間は労働から解放され、労働は義務ではなくなったのだ。そればかりか労働自体が娯楽の一種になった。
この世界の人間の寿命は個人差もあるが、モニトレオを摂取した人間は、平均して110歳ぐらいまで生きるのだ。しかも、ある時期まで老化することなく、活動的に動ける。つまり、若い期間が長い。故に常に人間は娯楽を求めなければならない。半ば娯楽こそが義務となっている。誰も食うために働く事はない。最低限の生活は誰もができる。食料備蓄が十分にあり、それが飲食店に行けば誰でも食べられる。飲食店でサービスする人間は労働者ではない。どういう事かというと、ホストする側の方に娯楽性がある。例えば、レストランでは食事を楽しむよりも、調理や配膳をする事のほうが娯楽としての価値が高いのだ。そういった労働体験は予約制になっており、年単位で埋まっているそうだ。
食料の供給やエネルギー、その他のインフラは人間が生産する必要がなくなった。
衣服も無限にもあるようなデザインから選び、独自の経済システムにより手に入れることが出来る。また、そういった設備があるところに行けば、着たまま新しい衣服が瞬時に製造される。それが可能になったのは、適応材料という素材の発明による。適応材料とは細胞外成分、つまり生物と無生物の間の物質からできている。ナマコの皮を応用した技術だ。ナマコは手で捕まえると体を固くするが、放っておくとまた柔らかくなる。皮の中に固さをコントロールできる組織、キャッチ結合体組織というものを持っている。その組織からヒントを得て発明したものである。通常時はゲル状の物質だが、刺激を加える事でどんなものにも応用できる素材となるのだ。水分を多く含んでいるので、用済みの際には、大部分は特定の微生物による分解ができ、残ったものは再生可能になる。環境負荷の少ない素材であり、日用品から、自己修復する特性を活かして人工衛星の素材にまで応用されている。

最適化が全ての分野でほぼ完璧に行われており、例えば食料も、人が生活するうえで最低限のものは、すべての人類に配分される。故に生産管理と資源調査はビハーバにとっては重要な業務である。

それだけではない。
現代人の生活は『氣』の解明により、以前の世界と全く健康維持の概念が変わった。『氣』というのは人間が元々持っている力の事。科学が全盛期の時には嘲笑されていたこともあったらしいが、現代では主に医療に広く応用されている。以前の世界では、人体を刃物で切開して、腫瘍を取り除く医療技術が当たり前だった。だが、一度切った内臓は、処理を間違うと酸化の原因になる。果物だってそうだろう。切らずにおいてある桃と、切った桃を一日でも置いてみれば、後者の方は茶色く変色する。長く細くは機能するかもしれないが、刃物で切った臓器と言うのは厳密には元通りにはならない。ところが、『モニトレオ』という極小の機器が開発されてからは、前時代の医術は不要になった。
『モニトレオ』が体内で個人の現状を感知し、それを常にデバイスに送信する。その情報からは、健康状態がわかるだけでなく、食事の提案がされて、病気を未然に防ぐことが出来る。万が一罹患したとしても、自己治癒力を促進して状態を回復させる。もちろん怪我をしても、その力が働く。現代では事故に遭遇する確率が極端に低いが、骨折したとしても短期間で修復できるようになった。『モニトレオ』発明以後、人間は不健康という悩みから脱却できた。機器だけに頼るだけでなく、ビハーバは呼吸法を人間に推奨している。呼吸法といっても、肺だけに頼るものではない。足裏から呼吸するように『氣』を体内に取り入れて、それを体に循環させて、再び足裏から放出させる方法が主流だ。

病気に怯える生活など過去のものになった筈だった。
人間関係のストレスも極限まで減った筈だった。
貧富の差も人種差別もなくなった。そればかりか、国境もなくなり、通貨もなく、宗教さえも人類は乗り越えたのに、人々は自らの手で自分の命を絶つのだ。

ペルディドス達は、それがビハーバーの暴走だと主張して、ビハーバーは、ペルディドスによる思考汚染だという。

何を信じればいいかわからない。いままで、ビハーバーの言葉に疑問を感じなかった人々は、自ら考える事に慣れていなかったのだ。

それはカツキも同じだった。

【続く】

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!