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返答次第

「突然すみません。隣の部屋に住んでいる者の姉です。弟の姿を見ませんでしたか?」
 ドアを開けると眩しかった。夜勤明けの僕は、眠ろうとしていた所だった。
「いえ。見た事がありません」
 直接ドアを叩く音と、若い女性の声が聞こえたから、僕は何事かと思い、ドアを開けたのだった。
「そうですか」
「何かあったのですか?」
 不純な目論見もあった。22、3ぐらいだろうか。その女性は僕よりも少し若くみえた。近づき難い美貌から、冷やかな印象を受けたが、肉感のある唇の形が少し崩れていて、いかにも困っているという感じがした。
「いえ。本当にすみません。なんでもありません」
 気になって、僕は眠気の事を忘れてしまった。
「いや。もしかしたら、少し前に見たような気がします」
 完全な嘘ではない。若い男をこのアパートで見た事がある。
「それは確かですか? 本当ですか?」
 猛禽類を思わせるような目つきを感じた。そこで僕は、疑いを持った。例えば、彼女が隣の部屋に住んでいる若者を殺した。それで、その被害者を最後に目撃した人物を探している。そうだとすると「見た」という回答は僕にとって危険な選択かもしれない。突拍子のない妄想だが、彼女は普通ではない様子がした。
「いや。若い男の人を見ただけで、隣の部屋の方かどうかは定かではありません」
 人の部屋のドアを叩いておきながら「なんでもない」という人間に関わってはいけない気がした。
「そうですか。急に押しかけてすみませんでした」
 しかしながら、このままドアを閉めるには名残惜しい美人だと僕は思った。
「もし、何かわかればご連絡いたしましょうか?」
 当然、彼女が連絡先を教えてくれる事はなかった。

 それから3時間ぐらい経った後、再びドアを叩く音がして僕は起こされた。
「すみません。隣の部屋の者です。お聞きしたいことがあります」
 今度は男の声だった。僕が出るまでドアを叩くような気迫を感じた。
「なんですか?」
 僕はわざとらしく、今起きたばかりという、しょっぱい顔をしながらドアを開けて応対した。
「突然すみません。今日の昼頃、私の姉がこちらに来ませんでしたか?」
 再び僕は眠気を忘れた。
「知りません」
「ならいいです。誰に聞かれても、そう答えて下さい」
 昼間の女性に似た、綺麗な肌をした青年だった。僕の嘘を知っているような口ぶりだった。
「本当に姉弟なのですか?」
「やはり、来たのですね」
 彼の目つきが鋭くなった。僕は寝たいだけなのに、とんでもない事に巻き込まれる予感がした。


おわり


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