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創作デブとガリ以外は読むな!10

デブとガリは、「体育会」の大学生だった。本来の上下関係に敏感で、それなりに声も大きくて、それなりにノリがいい大学生だった。それが今では過去に囚われて行動する事に臆病になっている。

ちなみに「体育会系」と「体育会」は違う。「体育会系」という言葉を使う人のほとんどは「体育会」ではないと思う。また、飛行機にファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがあるように、体育会にも違いがある。1部リーグと3部リーグでは試合の規模が違う。観客数で比較ができるだろう。3部リーグの試合を観戦するのは、選手の友人や保護者、チームのOB、同じリーグのチーム関係者ぐらいだ。対して1部リーグの試合となると、チーム関係者以外に、フットボールファンも見に来るのだ。学生連盟も集客の為にいろんな施策を考えている。また、チームスタッフの分業体制が出来ているかどうかの差もあるだろうし、レギュラー争いの熾烈さ加減も差があるのだ。強豪校のチームとそうでないチームとでは、実力は勿論の事、環境やそれによって作られる意識も違うのだ。

 「体育会」というのは「勝つ」ことが目的の団体だ。「勝つ」ために成長する組織である。3部リーグのチームの全てが、目的意識が低いわけではない。リーグの入れ替え戦に勝つチームは目的意識の高いチームである。飛行機が目的地に飛ぶように、ファーストクラスもエコノミークラスも目的に向かっているのは同じ事だ。ただ、飛ばない飛行機は「体育会」ではない。「体育会系」というのは、「勝つ」事が目的ではなく、「体育会」のイメージを再現しているだけの団体の事だ。そういう団体や、自称「体育会系」の個人は存在する。

「勝つ」ことが目的の組織の中では「勝利」に「貢献できる人間」が一番偉い。そういう上下関係があるのだ。「貢献できる人間」というのは、身体能力が高い人間かもしれないし、的確な判断ができる人間、または作戦を考える事が得意な人間や、完璧なサポートが出来る人間の事かもしれない。そういう存在が一番尊敬される組織が「体育会」である。一年生でも「貢献できる人間」は偉い。成長に向けて努力する人間は力強い存在感がでて、そういう人間にチームは導かれるのだ。

単に「こいつはなんでもいうこと聞きますよ。俺ら体育会系ですから」という類の事を言う人は本当の「体育会」ではないと思う。無条件に先輩が偉いという風潮は昔の考え方だ。「貢献できる人間」に対して、「なんでもいう事聞きますよ」と言えないだろう。そういう発言をする人は、 理不尽をそれっぽい理屈にするバカの類である。年功序列とは違う組織が「体育会」だ。


一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!