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Torn チョベリバ4

前の話
 俺はムラカミと話がしたい訳ではなかった。しかし、ムラカミは違った。他人の気持ちなどを無視して、俺は帰ろうと思ったが、帰ったところで何も変わらない。今の俺の戻る場所というのは、20年以上も前の実家で、そこは存在するのに、なぜか遠い場所のような気がする。かといって、リンカや、ヨウスケと暮らしていた家に戻る術がわからない。俺は酷く不安定な心持だった。考える事を全て放棄して、現実を受け入れてしまいたいのだが、その現実が何なのかがわからなくなった。
「ゆっくり話できないかな。コウキ君はそうするべきだし、そうする事になっているんだ」
 ムラカミは、この現象の何かを知っているような口調だった。それから、意味はないが、俺の頭にエレベーターに乗ってきた老婆の姿がよぎった。あの老婆なら何かを知っているのかもしれない。
「お前は何かを知っているのか?」
「何かって? 君たちがプールに忍び込んだ事とか?」
 俺達はとっくに着替え終わって、二人とも帰り支度はできていた。俺が同窓会で会ったムラカミは、眼鏡をかけていたが、目の前のムラカミは細い目をしていた。それ程眼が良くないから、癖で目を細めているのかもしれない。どういうつもりか知らないが、気に入らない目で俺の事をムラカミは見ていた。
「そんな事じゃない。時間が戻った事の原因だ。何か知っているんだろ?」
 俺の声は、いつの間にか少し大きくなっていた。
「まぁまぁ。そんなに興奮しないでよ。そうだ。うちに来てよ。僕が知っている事を説明するから」
 なんで、俺がムラカミの家に行かなきゃならないのだろうか? 一度は若くなった自分を受け止めたつもりでいたが、ムラカミもタイムスリップした事を知って、俺は混乱しそうだった。もしも、時間が戻ったらと願う事はあった。そう思う事と、実際そうなってしまった事は全然違う。全く同じ人生を歩む事などできない気がしてきた。前の現実の今日の俺と、今の俺は違う。こんなところでムラカミに会ったことなどなかった。もう現実は変わっている。それがとんでもなく、恐ろしい事に思えてきた。
「そうだ。コウキ君。本を持って来ただろ?」
 本? リンカが誰かに借りてきたという小説の事か。なぜか、俺と一緒にタイムスリップしてきたのだった。
「なんで、お前が知っている?」
「やっぱり、持っているんだよね」
 ムラカミの事が再び細い目をした。俺はわからない事ばかりで、怒りと、たまらないほどの無力感に支配された。怒りの正体はわからない。しかし、無力感というのは、どんなにあがいてみたところで、元の現実に辿り着く事もできないという諦めだとわかった。
「本がどうかしたのか?」
「僕はそれが欲しいんだ」


つづく


 

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!