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体育座りの罠

体育座りって不自然な座り方だと思いませんか?
膝を抱きかかえるように座ると、背中は丸くなって腰に負担がかかりますし腕も疲れます。
大人になった今では、あの座り方をすることはありませんが、小学生の頃は普通にしていました。
そればかりか、体育座りが最も礼儀正しい地面への座り方だと教えられました。あの座り方をせずに胡坐をかいていると、行儀が悪いと小学校の時に先生に指摘されたことがあります。

ちょっと調べてみたら、こんなことを書いている人がいました。

この体育座りが強要する姿勢は、子供たちに一つの振る舞いを強制する効果がある。それは、「自縄自縛」である。体育座りは、自分の手で自分を縛る。そして、肩をすぼめ、胸を圧迫する。教員や学校に対する「手も足も出ない」「息を殺している」状態を内面化させる。こうした一つの「システム」によって、上位権力に対する「姿勢(メンタリティ)」が植え付けられていく。いつもいつもこの形を強制することは、教員にたいする、ひいては学校、いや外界にたいする一つの身構えを恒常化することを強いることだ。竹内敏晴『思想する「からだ」』より

これが本当だとしたら、僕たちは知らない間に、権力に服従するような教育を受けていたことになります。では、いつからこの座り方が学校で始められたのかというと、

「『体育座り』は1965(昭和40)年に文部省(現・文部科学省)が学習指導要領の補足として発行した『集団行動指導の手びき』で『腰をおろして休む姿勢』として紹介され、全国に広まったようです」と話すのは、日本身体文化研究所代表で武蔵野美術大講師の矢田部英正さんです。
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/education/10186/

少なくとも55年前には文部省の文章に登場していたようです。
ただし強要している訳ではなさそうです。

こころと体はつながっているという話は聞いたことがあります。
両手を突き上げて、天を仰ぐようなポーズは自己肯定感を高めると言います。それをするだけで、何となく気分がよくなるのは僕はわかります。
また、スポーツの場面で得点を決めた選手や、勝利を掴んだ瞬間にガッツポーズをする人は多いです。
そのポーズを何でもない時にするだけで、爽快な気持ちになります。
僕の場合だと、ガッツポーズするだけで、タッチダウンをとった瞬間の記憶が蘇ります。

そういうポジティブなポーズに対して、体育座りはネガティブなイメージがあります。
暗い部屋で一人で体育座りしていると、「つかれた」「運が悪い」「どうしよう」「来世に期待しよう」なんてことを考えてしまいそうです。

体育座りってあかんのちゃうかな!?
なんで、学校ではこれやっての?
やめさしたほうがええんちゃうん!!

そう思います。
なんで、あの座り方がメジャーになっているのでしょうか?
もしかしてGHQとかの施策なのかもしれません。
そんな邪推をしてしまう余地がある座り方です。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!