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アパート:超えられない壁

隣に住んでいる人の姿を見た事はあるけれど、何をしている人なのかはわからない。
アパートなんてそんなもの。そう言い切る事で、俺は孤独を隠してしまいたい。
というのも、ここを離れる事ができないまま3年が経とうとしているが、俺はこの建物の前で沈黙し続けている。俺はただ物思いに耽るだけ。そして疲れたら眠るのだ。
そうだった。その筈だった。彼女に話かけられるまでは。

「すみません。ここの住民の方ですか?」

昨夜の事だった。アパートの前で、俺よりも少しだけ背の低い彼女に話しかけられた。華奢な体つきだったので、威圧感はなかったが、女性の中では背の高い方だろう。

「そうですが……」

午前になっていた時間帯だったので、急に話しかけられて怖かった。それに、正直に答える事でトラブルに巻き込まれるのではないだろうかと戸惑った。しかしながら彼女の容姿が綺麗に見えたので、下心が芽吹いてしまった。もしかしたらという事を想像してしまった。

「あぁよかった。私、タチバナと申します。実は先ほど大きな怒鳴り声や、悲鳴が聞こえたんです。もしかしたら、子供の声だったかもしれません。それで気になって出てきたのです。聞こえませんでしたか?」

なぜだかわからないが、俺は瞬間的に警戒のオーラを纏った。同時に自分の下心を呪った。深夜にこんな事を尋ねられるのは普通の事ではない。

「あっいや、すみません。急に話しかけられたら迷惑ですよね?しかもこんな時間に変な事を聞いてすみません。時々、こういう事があるんですよ」

タチバナさんの顔は綺麗だった。どんな顔をしていたのかハッキリと思い出せないが、それだけは憶えている。

「そんな事ないですよ。そういう事って、おかしな事ではありませんよ。でも誰もいませんね。大丈夫ですよ。こんな時間ですし、部屋に帰った方がいいんじゃないですか?」

俺はそう言う事にした。孤独は嫌だったが、それ以上こんなところで立ち話をするべきではないと思ったのだ。

「そうですよね。勘違いだったかもしれません。すみませんでした」

彼女が意外にすんなりと納得して、俺はホッとした。

昨夜の事だ。タチバナさんか。
俺の姿を、視る事のできる人間に初めて出会った。彼女は幽霊ではないだろう。おそらくあれが視える人間なのだろう。

俺は孤独が嫌いだ。
彼女にまた、視つけてもらう事にしよう。


おわり


一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!