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リメンバー・ザ・タイム:創作

「あの時と同じだな」タイゾウは、苦笑いとも、照れ笑いともいえるような、笑みを浮かべた。
あの時といっても、記憶の糸をすぐに辿れる時間の長さではない。

「これと同じ偶然は何年前だ?俺が、ハタチそこらの年齢の頃だ。70年以上も前か」
そう考えると、よくもまぁ、生き永らえたもんだとタイゾウは感嘆した。その反面、ジジイになるという事は、案外実感しないもんだと彼は思った。

当然、体の反応は遅くなった。しかし、頭はスッキリしている。昔、タイゾウが抱いていた老人像よりも、今の自分の方が若いのではないかとさえ思ってしまう。
もしかしたら、今の自分が、老人だと自覚できない程、老けただけなのかもしれない。その可能性も否定できない。

「確かに、ヤマダさん、出身は神戸ですよ」

ここの職員は、親切な人間が多い。まぁ、若い職員が少ない分、角が丸くなった連中ばかりともいえるか。
ここに入所できる老人というのは、ある程度、自分で頑張ってきた人間か、自分の息子や娘が、社会的な成功者かのどちらかだ。
タイゾウは前者の方だ。娘夫婦に、同居を打診されたが、むしろ、そっちの方が窮屈だと思った。

「あんたは、この曲を知っとぉんか?」

60歳そこそこの職員が、少し笑ったように見えた。

「ああそうか。既に同じ質問を、俺は何度か聞いとったなぁ。やっぱり俺はジジイやね」

タイゾウは、わざと自嘲した。しかしながら、「それだけの余裕はあるな」と少し誇らしくなった。

「リメンバー・ザ・タイム。ティディ・ライディがプロデュースしたヤツですよね?」

「こりゃ、何度もしたり顔で語ってるな」とタイゾウは、鼻から息を漏らして、笑うような仕草をした。

「当然、クインシー・ジョーンズの頃もええんやけど、俺は、デンジャラス以降の方が好きやなぁ。その、ヤマダさんはどの曲がええとゆうとった?」

タイゾウは、マン・イン・ザ・ミラーというタイトルを期待した。

「どの曲かは、私はわかりません。すみません。でも、ヤマダさんが、マイケル・ジャクソンがお好きだという事は間違いないですよ。よく聴かれています。ただ、実はヤマダさん、あまり調子がよくなくて......」

無理もない。100年近く生きるという事は、そういうものだ。
職員が言いにくそうにしているという事は、寿命が尽きる寸前か、或いは、痴呆が始まっているのかもしれない。

「なぁ。ヤマダさんに会うことはできへんやろか?」

「もちろん、できますよ。というより、ヤマダさんのお知り合いの方に、お願いしたいぐらいです」

お願いしたいとは、妙な話だとタイゾウは思った。

「もしかして、あれか?その、ヤマダさん、ボケとぉんとちゃうか?」

遠慮がちに言おうとしたが、タイゾウは、他の言い回しを思いつかなかった。

「そういう兆候があります。私達にも、そうなのですが、誰とも会いたくないというか......」

タイゾウには、思い当たる節があった。

「言葉が荒くなるんやろ?」

「上品な方なのですよ。ヤマダさんが、タイゾウさんの思い出の方だとしたら、いいきっかけになると思うのです」

何のきっかけだ?と、タイゾウは訝しげに首を傾けた。だが、それよりも、人生の縁という喜びを見つけたタイゾウは、興奮していた。

「俺の彼女も、マイケル・ジャクソン好きやわ」

同い年のヤマダ・シゲルが、ハンドルを持ちながら、前を向いて言った。
もう、70年以上も前の事だ。
その日、タイゾウとシゲルは初めて会った。初対面の会話の話題が、好きな音楽という事はよくある。特に、シゲルはハウスDJをしていたので、必然的にそういう会話の流れになった。

「そうなんや。彼女は同い年か?」

「いっこ上や」

何でもかんでも、ニシジマさんに結び付けようとして、タイゾウは期待して聞いたわけではない。そもそも、その時点で、シゲルの彼女がニシジマさんだという事など、タイゾウは、想像もしていなかった。

2人は、派遣アルバイトの帰り道だった。派遣と言っても、日雇い労働と同じ意味だ。その日は、石膏ボードの荷揚げ現場に2人で行った。タイゾウは、大学を卒業後、「その日暮らし」をしていた。就職活動を熱心にしてこなかった。むしろ、就職難という、時代の流れのせいにして、特定の企業で働く事を拒んだ。そうかと言って、タイゾウに、他にしたいことがあるわけではなかった。
希望と、才能に恵まれ、それを活用できる仕事に就いている状態を幸福と呼べるだろう。逆に、不幸とは、希望と才能に恵まれながらも、無為な状態にあることをさす。
タイゾウは、不幸ではなかった。無為に過ごすからこそ、その時間が、珠玉となる事もあるだろう。若い頃のタイゾウは、無為な時間を過ごしていた自覚があった。しかしながら、未来の彼は、無為を珠玉に変える事ができた。結果を出したから、過去の全ては、幸福に変わったと言える。

「へぇ。大学院生なんか?偉いなぁ。将来、何目指しとるんや?」

その日の現場は、片道、車で2時間弱も離れていた所だった。当然、初対面とはいえ、会話する時間は十分にあった。特に、帰り道は、お互いの人となりがわかっていたので、話が弾むことが多い。

「俺か?トイレの設計やな。汚い・暗い・怖い・臭いというイメージを変えるような、公共トイレのデザインをしたいんや」

「トイレ?ばりおもろいやん!お前、へんこやな!」 

そう言ったものの、堂々と、未来を語れるシゲルのことが、タイゾウは羨ましかった。

「そういう、お前は、何かないんか?こんな生活をやっとるんやから、何か目指してるもんがあるんやろ?」

語れる未来など、タイゾウにはなかった。

「俺は、目指しとぉ事なんかないな。そんな事は、よぉわからん。まぁ、いつか小説書こうと思っとぉけど、そんなんも本気やないなぁ」

そんな、タイゾウの事を、シゲルがどう思ったのかという事はわからない。それよりも、言葉のアクセントの違いにシゲルが気がつかなかったら、タイゾウは、ニシジマさんとの縁に特別な事を感じなかっただろう。

「お前、神戸出身やろ?」

「そうやけど、それがどぉしてん?」

神戸の出身者は、自分の、独特な言葉使いに気がつかないことがある。若い頃のタイゾウは、そういった事を気にしない性格の持ち主だった。

「言葉でわかるわ。俺の彼女も神戸出身やねん」

神戸近辺の言葉は、関西弁の中でも独特だ。特に、動詞の語尾変化の「~とぉ」がよく使われる。
また、「あんたほんま、へんこやな」という言葉の意味は、「あなた、ほんと、面白い人ですね」というニュアンスになる。ただ、「へんこ」には、「訳わからない、理解できない奴」といった、軽蔑した言い方があるので注意しないといけない。
「ばりおもろいやん!」も独特な言い回しだろう。「ばり」とは神戸弁で「すごく」といった意味。良い意味でも、悪い意味でもテンションが上がった時に、つい「ばり」と言ってしまうのが神戸人だ。

「ちょい待てや。お前、どこの大学行っとぉねん?」

タイゾウは、ピンときた。「マイケル・ジャクソン」、「1つ年上の彼女」、「神戸出身」ときて、大学名が同じなら、可能性が高い。

「工繊大や。それがどうしてん?」

やっぱりな。とタイゾウは思った。

「お前の彼女、ニシジマさんやろ!?」

「はぁ?お前アキちゃんの事知っとるんか?」

シゲルの声も大きくなった。

「アキちゃん!?お前、知っとぉも何も、俺は、ニシジマさんと同じ小学校と中学校やったんや。そんで、大学ん時は、同じバイトやったんや。それは、どぉでもええんやけど、俺、中学ん時から、ニシジマさんの事、好きやったんや!お前、なんちゅう奴や!ダボ!」

「ダボ」とは、神戸弁で「アホ」「バカ」といった意味合いで使われる。「どあほ」が転じて「だぼ」になったとも言われている。

「お前、何言うとんねん。ってか、すごい偶然やな!」

無論、タイゾウは怒っている訳ではなかった。シゲルにもそれは伝わっていた。神戸の言葉は、少々荒いところがある。

「お前、羨ましいな。ニシジマさんと付き合っとぉ奴に初めて会ったわ」



タイゾウとニシジマさんには、少なからず、縁というモノがあった。小、中学時代、タイゾウはニシジマさんと一言しか話したことがなかった。どういう状況か、タイゾウは忘れたが、「あんた、アホやな」と言われただけだった。単に、タイゾウが1つ年上のニシジマさんに一方的に憧れていた。

タイゾウが、マイケル・ジャクソンを聴き始めたのも、ニシジマさんの、何かの作文を読んでからだった。彼女は、熱狂的なマイケル・ジャクソンファンだった。その作文には、マイケルに対する情熱が溢れていた。音楽に興味のなかったタイゾウだったが、「ニシジマさんの好きなモンやったら、一度は聴いとかなあかんな」と思った。タイゾウには、そういった、ストーカー気質なところがあった。

しかしながら、マイケル・ジャクソンを聴いたタイゾウはドハマリした。音楽は勿論、PVがタイゾウのお気に入りだった。特に、デンジャラスのビデオは、VHSテープが痛むまで何度も繰り返し見た。当時、バスケの漫画が大流行していた事から、マイケル・ジョーダンや、マジック・ジョンソンといった、有名バスケットボールプレイヤーが出演している事にタイゾウは感激した。また、特に、エディー・マーフィーが出ているリメンバー・ザ・タイムは90歳を過ぎるまでに、何回聴いたか、わからない程だ。

中学時代は奥手なタイゾウだったが、大学生になって、京都に来た頃には、垢ぬけていた。
それこそ、ニシジマさんの事も忘れてしまうほどだった。
ところが、下宿してから始めたビアホールのアルバイト先で、ニシジマさんに再会したのだ。

「誰や?あんた」

ニシジマさんが、タイゾウの事を知らなくても、無理もない。彼女の記憶に残るような、アクションをしていなかった当時のタイゾウが悪い。

「僕、同じ中学校出身やったんですよ!ほら、ウンベとか、憶えとらんですか?同じ部活やったんです」

ウンベというのは、タイゾウの1つ上の先輩の事だが、彼は先輩を敬うような性格ではなかった。

「はぁ?あんた、ホンマにスミチュウやったん?」

「そうですよ!こんな事あるんですね!ホンマ、これ、運命とちゃいますか」

「なんや?運命って。大袈裟やわ。まぁ、よろしく」

ニシジマさんは素っ気ない態度だったが、タイゾウが舞い上がったのは言うまでもない。その後も、バイトの度に、ニシジマさんにタイゾウはつきまとった。

「タイゾウ!もう一軒行こか!そんなんでどぉーすんねん!」

顔に似合わず、ニシジマさんは酒好きで、むしろ、学生時代を引っ掻き回されたのは、タイゾウの方だった。

「ニシジマさん。一回でええから、つき合ってや!」

その台詞を何度もタイゾウはニシジマさんに言っていた。実際のところ、恋という感情をタイゾウは抱いていなかった。タイゾウにしても、ニシジマさんにしても、姉と弟みたいな接し方をしていた。



ヤマダさんの部屋には、職員が案内した。タイゾウは、ジャケットを羽織っていた。一応、見た目を気にするだけの若さを、残しているつもりなのだ。

「誰や?あんた」

無理もないだろう。100歳近いジジィが急に訪れた訳なのだ。「聞いていたよりも、言葉がしっかりしているな」タイゾウはそう思った。

「嘘や!タイゾウか?よぉ生きとったなぁ」

シー・ドライブ・ミー・ワイルドがスピーカーから流れていた。

「お久しぶりです。相変わらず、マイケル好きなんですね」

「あんたが来るからや。デンジャラスが好きやったやろ?こん次が、リメンバー・ザ・タイムや」

上品とは、一体何だろうか?「すっかり、神戸のババァになっとぉ」とタイゾウは思った。その反面、なぜか、タイゾウの目からは涙がこぼれていた。

「そや。あんた、手ぇ見してみ」

タイゾウは戸惑った。手を見れば、それまでの人生がわかるとでも言うのだろうか。

「なんや。指、全部あるやんか」

「なんですか?そんな深作欣二の映画みたいな時代やないですよ」

「そやかて、あんた、そういう人生やったんやろ?テレビでみたわ」

タイゾウは苦笑した。

「そら、そういうカイシャにいっとったけど、後にも先にも、割とまっとうな商売しか、僕はしてませんよ」

いつの間にか、スピーカーから聞こえてくる曲は、リメンバー・ザ・タイムになっていた。

「まぁええわ。そやけど、何年振りや?あんたとは、変な会い方しかせぇへんな!」

職員からは、「ヤマダさんの記憶がはっきりしている時は、快活に話ができるのです。今日がここ最近で、一番、いい状態です。是非、今日、会いに行ってください。ヤマダさんも、タイゾウさんの事、覚えていますよ」と聞かされていた。ただ、そういう時間は稀になってきているという。それが、歳をとる事だとタイゾウは、痛い程わかっているが、悲しかった。

「ニシジマさん、一回でええから、つき合ってくれませんか?」

何かを意図して言った台詞ではなかった。なんとなく、口から滑った言葉だった。

「あんた、アホやな!」

そう言うと、ニシジマさんの目は、バッテリーのなくなったスマートフォンのように、暗くなった。
丁度、リメンバー・ザ・タイムが終わった時だった。



おわり




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