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美しい小説とはなにか

作家の仕事は絶望に屈せず、人間存在の救いを見出す事

 ウッディ アレンの映画の中の台詞です。この言葉を字幕で読んだ時に、メモを取りました。その時は、よくわからないけれども、この言葉を覚えておこうと思っただけでした。しかしながら、今でも時々思い出す言葉です。

 作家とは何をする人なのかと、昨日考えていました。ここで言う作家とは小説を書く人の事です。小説を書くから小説家という事ではなく、小説家の存在意義という意味の事です。
 そんな事を考えるのは、よくある事で、何度かここでも書いた記憶があります。それで、昨日、特に考えていたのが、芸術としての小説とは一体なにかという事です。芸術という言葉の定義も曖昧ですが「美しさ」を芸術だとして、美しい小説とは何かと考えました。恐らく二週間前にそう言う事を考える機会があって、それについて、昨日もう一度考えたのだと思います。二週間前は、小説の美しさは、作家の浄化しようとする態度だと思ったのです。カタルシスがないといけない訳でなく、なにか救いを見出す態度が美しいのではないかと思いました。具体例は省略しますが、浄化する態度に人は感動するのではないだろうかと考えたのです。しかしながら、それだけではないような気がしました。悲劇や不遇な環境にいる人間が、救われる話ばかりが美しいわけではないのです。当然、浄化という意味では他のシチュエーションもあるでしょう。また、読みやすい文章や、表現、描写という要素も美しさになります。では、本当に美しい小説とは何かという事ですが、一つ考えたのが、孤独を上手く描いた小説が美しいのではないかと思ったのです。
 僕は孤独を否定的に捉えていません。誰しもが孤独を抱えていると僕は思っています。孤独が普遍的で、それを上手く表現した小説が美しいような気がしました。美しさの意味も難しいですが、小説においては心を動かし、その心を誘導し、読者それぞれの心地よい場所に着地させる事ができる小説が美しいような気もします。(むずかしい)
 孤独についても考える事はありますが、まぁなんとなくこれぐらいで止めておきます。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!