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ニュース断食

【2496文字】

「ニュース断食」という言葉があるらしい。
なるほどなと思う。

食い物と情報を同様に考えるのは乱暴と分かってて言うが、
今や昭和後期から言われ始めた飽食を通り過ぎ、
令和は過食と無駄食の時代と言っていい。
成人病による健康被害がどれほど蔓延している事か、
敢えてここで説明する必要もないだろう。
気に入ったものを闇雲にどんどん摂り入れていれば、
そりゃ身体も悪くするに違いない。
規則正しく3食を栄養バランスよく採るのが良い。
間食や暴飲暴食などもってのほか、
という事になる。
分かってはいる。

この「ニュース断食」という言葉は、
情報もそういう事だと言っている。
玉石混交し溢れかえる情報を頭からかぶって、
「本当にちゃんと玉と石に分けられているか?」
「正直この量は無理じゃないか?」
「この際、いっそ断食してみてはどう?」
と言っている。
何でもかんでも野放図に摂り入れていれば、
きっとそのうち身体の方が参ってしまうのだ。
そうなってしまっている人を時々見かける。
いや、正直言って僕も人の事を言えた義理ではない。
政治批判で語気を強めて周りをドン引きさせるなんて、
ザラにある事だ。
そんな事だから健康診断書に「メタボ気味」、
などと書かれるのだ。

成人病は自覚症状が出るのに少々タイムラグがある。
青雲の志で世界を俯瞰していた青年期は腰回りも細く、
新陳代謝もすこぶる軽快に機能していた。
そのうち肩書とか安定とか小金を持つようになると、
自分の中の保身とか傲慢という強欲者に判断させ始める。
未知の料理や刺激的な食品に強く魅かれ、
こりゃ旨いや!とどんどん摂り入れる。
脂質の多い茶色系食品や、
依存感を満たす炭水化物は見る見る増え、
麻痺した塩味感はもっと塩分を!と叫び始める。
結果動脈は閉ざされ血管壁はカッチカチになり、
1Lペットボトル10本分以上のぜい肉を抱え込んでもなお、
もっともっとと際限なく毒を摂り入れていくのだ。
採血検査で異常値を叩きだしても本人はピンと来ない。
「そんなに食べてないのになあ」とうそぶく。

昔は新聞かTVで摂り入れるしかなかったニュースは、
現在はスマホで摂り入れるのがメインになっている。
ネットには刺激的で正義感溢れた言葉が並ぶ。
より刺激的なニュースを見つけたり探したりする。
過去のクリックからAIがパーソナライズした情報を予想し、
ほら、こんなのが欲しいんでしょ?
と言わんばかりの情報をどんどん送り込んでくる。
そしてそれをまたクリックする。
もしそれだけを信じれば世界は確かに狂っているだろう。
ついつい「この世は狂っているぞ!」と叫んでしまう。
このままじゃいけないと正義の御旗を振る。
しかしどうだろう、
世界の反応はいつもイマイチなのだ。
専門職でも学者でもない市井の一般人であるのだから、
実の所、日常から乖離したネットの知恵で過熱した話など、
世の人は見て見ぬふりをするか、
せいぜい相槌だけ打って聞き流しているというのが実状だ。
こんなに言っても相手に響いていないと思えば、
尚更言い尽くして人々は益々引いていく。
そして世間の無知蒙昧と消極性に絶望したりする。
自覚症状がないのだ。
やはり厄介なのはこの自覚症状がない、
という所だろう。
こうでなくてはならない!こうあるべき!
とちょっと異常な熱量を持って妄信している事に、
ほんの1mmも疑いを持たないのだ。

これは僕の話として聞いて欲しい。
そういった自覚症状のない僕の様な熱弁者の特徴は、
話の単位が日常からかけ離れ桁外れに大きいという事と、
自分が摂り入れた情報こそが本物である、
と信じ込んでいることに他ならない。
どんな桁外れをどんだけ信じていても良いのだが、
なぜかそれを人に言いたがるのだ。
君らは知らないと思うから教えてやる、
という高圧的な姿勢が常に見え隠れする。
尋ねてもない話を持ち出しては、
「我々が幸せになれないのは全てこの1点に尽きる」
などという極論で、桁も根拠も道理も全て吹っ飛ばす。
これを一般的専門用語で「余計なお世話」という。

僕が言えた義理ではないと申し上げた。
食にしても政治論や人生論にしても、
根拠が聞きかじりの実に貧しい知識のくせに、
それが全てであたかも宇宙の摂理であるように語る。
そして血圧降圧剤と脂質異常治療薬を飲みながら、
全然食ってないのに太ったと騒ぎ立てる。
いや、食ってるんだって。

なぜだろうかと思う。
なぜそんな事をしてしまうのかと考える。
冷静にそれらの挙動を客観的に観れば、
何をそんなに出しゃばっているのだろうと思うし、
黙っていればいいじゃないかと思う。
自らオンブズマンとなって底辺から政治を見張るのだ!
そういう草の根が必要なのだ!
というのであればそれはその通り。
しかししっかりとこの胸に手を当てて、
「それを言い訳にしていません、
自分の我を張っているのではありません、
本当に社会を思い社会のために言っているのです」
などとは僕には言えない。
黙っていられないのは熱くなっているからだし、
良心や親切心だけで言ってるわけでもない。
虚栄とか自己肯定感とか認証欲求とか、
そういう情けない部分を満たそうとする心理も多分にある。
しかしそれらは見事に全く逆効果となる。
話を聞かれないに加え次第に敬遠されることになるだろう。
面倒臭いヤツのレッテルをガッツリ貼られるのだ。
そうやって言葉は誰かに届く以前に何処かで閉塞し届かず、
柔軟であったはずの思考の血管壁はカッチカチになり、
偏った情報の栄養は身体のそこかしこに不具合を発症させる。
そして遂には生身の身体に致命傷を負わせるなり、
精神に支障を来すなりという事もないとは言えない。

そうなる前に情報の偏った摂取や暴飲暴食は避け、
バランスよく摂ることが肝心である。
どんなに自分にとって良い情報であっても、
他人にとってその情報が良いとは限らないので、
人様に無理強いすることがない様にしたいものだ。
それでも黙っていられないのなら、
「ニュース断食」
いっそニュースやネット、
あらゆる情報から一旦謝絶されてみるのはどうか、
そういう提案は飽食、無駄食ならぬ、
飽情報、無駄情報のこの時代、
なんだかちょっといいなと思った。
政治や金融とか資本主義とかそんな大きなことより、
足元にはもっと美しいものがあると知れるかも知れない。
幸福とか、豊かであるという事の出所は、
恐らくやはり自分自身に最も近傍の日常にあるのだと思う。
そしてその情報は自分の五感でしか摂れない。
それぞれの都合はそれぞれしか知りようがないのだ。
ネットをいくら探したって出てくる情報ではない。
ニュース断食して自分のニュースに気付きたいものだ。
がしかし、
かと言って食の方を絶つ気は毛頭ない。