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巣立ち

[3681文字] #短編 #小説


まだ免許を取れない中学の頃から母親に、
「あんた、オートバイだけは乗りたいって言わないねぇ」
と先手を打たれ、 まだションベン臭かった僕はまんまと、
「あんなものには興味ネェよ」
と言わざるを得なくなっていた。しかし当時当然ながらバイクに興味のない高校1年生などこの世に居る筈もなく、僕は十六才の誕生日を迎えた途端、そういった行きがかり上仕方なくこっそりと50ccの免許を取りに行ったのだった。

当然免許という資格だけが欲しかった訳ではない。しかし中古で数万円もするバイクを買う現金も貯金も無かったが、若く好奇心に溢れたエネルギーは既に免許を取ろうと思ったその日には、思い付きでバイクの入手方法をぼんやりと思い付いていた。
「スクラップ車を直せないかなぁ」
バイクの機械的な構造に詳しい訳でもなく、これから詳しくなりたいという意思があった訳でもなく、ただ近い将来自分がバイクにまたがり、自由自在に乗りこなしている姿を想像し、興奮し、羨望しただけの実に頼りない、本人のみぞ確信する確固たる自信に突き動かされ、「直す」という暴挙を何ら疑問視せず、むしろ最善の方法を得たと歓喜していたのである。
免許を取ってすぐ、もう何度もこっそり下見を済ませているスクラップ工場の、プレハブの事務所に思い切って突入した。一番の難関と思われた油まみれの大人との交渉は気抜けする程で、こちらの希望は案外すんなりと受け入れられた。条件はひとつだけだった。
「1台だけなら好きなのを選べ。その代わり、何があってもここでもらったなんて言うんじゃねぇぞ」
あらかじめ目星を付けていたHONDA Super Cub(要するに、おか持ちバイクというやつ)を、鉄くずの山から引きずり下ろし、その場で何度もキックしエンジンをかけてみたが、一向に火は入らない。遠巻きに見ていたおやじがとうとうしびれを切らせ、バッテリーだプラグダを丹念に時間をかけ触ってくれた。仕事柄か本人の趣味かは分からないが、どうやらこういった物の構造に詳しいらしく、僕はただ見ているだけで良かった。一通り作業が済み、おやじはイグニションを回し再びキックした。エンジンは真っ白い煙をマフラーから吹き出し、勢い良く回り出した。おやじと僕は思わず笑顔を見合わせ、ガッツポーズを交わした。アイドリングでカラカラと妙な音はするものの、その鉄の塊は死の底から這い上がり息を吹き返したのだった。スクラップ屋のおやじがまるで僕の同級生の如く、同じ目線で喜び合っている姿が少し不思議に思えたが、僕はこの油まみれのおやじが既に古い仲間の様に感じていた。そのおやじの助言もあり、その他にもいくつかのパーツを無料で譲り受け、その日の内におやじ指導のもと、例の白いカウル(風除けと言った方が適当か)や、余計なカバー類、リアキャリアなどを外すと、なかなかあのアーミーグリーンの車体はシンプル&ワイルドに生き返った。しきりにおやじは、「よぉし、いいぞいいぞ!」と連呼していた。彼はすっかり仕事そっちのけだった。
気付くと日はとっくに暮れていた。ナンバーが付いていないので乗って帰る訳にもいかず、おやじの許しを得て工場の片隅に数日間置かせてもらうことにした。その数日間僕はスクラップ工場に通い詰め、ウインカーを直し、ペダルの滑り止めゴムを全部はぎ取り、マフラーの根っこに釘で小さな穴をあけ、少しでも太いエキゾースト音が出るようにも工夫した。遠くから眺めてみては手を加えられそうな所を探し、思い付いた事をどんどん試していった。今まで知らなかった楽しさを味わう事が出来た。
自宅のキッチンからクレンザーと使い古しの歯ブラシを持ち出し磨いていたら、これを使えとおやじに専用ポリッシュを手渡された。驚く程汚れは落ち、隅から隅までピカピカに磨き上げると、数日前まで誰もが鉄くずとしか思っていなかった車体は、まるで特注したイタリア車の様な姿に変身した。それは最初に想像したものよりも遥かに格好良く、個性的な姿だった。
ナンバーだけは500円払って登録し、ピカピカのナンバープレートを付けてやっと公道に出る日がやって来た。

「いいか、ここでもらったなんて言うんじゃねぇぞ」
満足そうに煙草をふかしながら、おやじは笑顔で僕とバイクに別れを告げた。おやじに礼を言い、僕は勢いよく街へとアクセルを開けた。2速3速4速とチェンジアップし、僕のCabは乾いた風を追い抜き、目映い光を切り裂きながら疾走した。
「世界にたった1台、これだけだ」
そう思うと、自尊心がみるみる満たされて行き、その日は高揚した気分でバイクとの一体感を何時間も楽しんだ。こうしてCabはすっかり僕の相棒になったのだった。
その日から毎日Cabと僕はどこへ行くにも一緒だった。行動範囲が広がって、僕の世界も一気に広がっていった。Cabは僕を山にも海にも連れて行ってくれたし、街中の路地でレースまがいなスリルも味わせてくれた。その気になれば何処へだって行けるんだと、本気で思っていた。本当に楽しかった。

自宅から高校のある街へは 、その地域の一級河川の土手を25kmも下らなければならなかった。毎日ツーリング気分なのは良かったが、問題はCabを何処に置くかだった。それまでは単線の電車で片道40分も揺られて通学していたのだった。学校へは一応最寄り駅からチャリで行く事になっていたので、駅のチャリ置き場でバイクと乗り換えればよかったが、自宅には母親との件があるので乗って帰る訳にはいかなかった。仕方ないので思慮の甘い高校生は、自宅近所の広場の隅に置く事にしたのだった。
しかしそんな目立つものを、毎日個性際立つ排気音と共に置いていれば、ど田舎の刺激に飢えきったご近所の眼が黙ってる訳が無い。何処の暇老人にチクられたかは分らないが、あっという間に母親にはバレてしまった。既に分身の様にさえ感じていた相棒を手放す気は毛頭なかった。
母親と擦った揉んだした挙げ句、とうとう「誰にも迷惑はかけない」というありふれた約束とともに、なんとかバイクに乗る許可を勝ち取った。

それからどのくらい経ったか、高校も卒業し3日後には東京へ行くといううららかな春の日、このCabを東京に持っていく訳にもいかず、さてどうしたもんか、などと思案してる様で、そうで無い様で・・。釘で開けたマフラーの穴は日に日に大きくなり、それに比例しエキゾーストも爆音となり、春の霞んだ青空にこだまさせながら、 やはり僕は走り慣れた空いている土手の道をいつも通りノリノリでぶっ飛ばしていた。1980年代初頭の50ccにはスピードリミッターというものがまだ付いていなかったので、普通でも時速80km/hは出せたものだ。しかもまだヘルメットは義務化されておらず、 代わりに僕の頭には借り物のウォークマンのヘッドホンが乗っていた。空の高い所をヒバリが2羽飛んでいるのが見えた。フルスロットルだった。
突然又の下でガッキーン!という鋭い金属音と共に 大きな衝撃が車体を揺らした。煙が立ち上り、瞬時に後輪はロックし、Cabは完全に制御不能となった。何が起きたのか分らなかった。そしてあきらめた。制御不能ながら振り落とされまいと抵抗して、このあと自分がどうなってしまうのか、色々想像していた。Cabは後輪から悲鳴を上げながら緩やかなカーブの土手を真っすぐ逸れて行った。僕はなんとかまだしがみついていた。しかし僕とCabは揉んどり打ちながら、草むらの斜面へと落ち込みながら突っ込んでいった。その向こうから白いコンクリートの段差が、勢い良く、容赦なく近付いて来る。

気付くと僕は立っていた。無傷だった。何故立っていられたのか、どうしても思い出せない。しかしCabは僕より10メートルほど手前の、コンクリートの段差に張り付く様にして煙を上げ倒れていた。草むらの土手をよじ上り近付いてみると、一目でもうダメだと分った。
フロントフォークは曲がり、スポークは折れ、マフラーは無くなり、シリンダーが割れているようだった 。僕はその哀れな姿を呆然と眺めながら、妙な事を思っていた。ひょっとしてコイツ、知ってたんじゃないか?と。3日後には離ればなれになってしまう事を、Cabをどうするべきか僕が未だハッキリさせてなかった事を、そして東京での一人暮らしに曖昧な実感しか持てていなかった僕を、Cabは知っていたんじゃないのかと。長い間僕と一緒に過ごす内にCabには全てが分ってしまい、それらを一気にこの事で解決させようとしたんじゃないか。そんな風に思えたのだった。なので僕はその土手でCabとお別れした。

そこから最寄りの駅までは割りと近かった。何故僕はあの状態から無傷で立っていられたのか、とぼとぼと歩きながら真剣に考えていた。ウォークマンのヘッドホーンからはJoe Walshの『Life's Been Good』が流れていた。