Recording Studio 考
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今から半世紀ほど前、僕がまだ中学高校時代に漠然と憧れたレコーディングという作業。男の子ならあの整然と並んだボタンやメーターの中、何かが沢山チカチカと光っているような薄暗い空間が嫌いなはずがありませんよね。なんだかジェット機や宇宙船のコクピットを連想させ、あんなところで仕事が出来たらなぁとよだれを垂らし中空を見つめたものでした。
古い話ばかりで申し訳ないんですが、そこから数年後の今から40年ほど前。1980年代初頭。色々あって何故か僕は当時の日本では恐らく最高峰であろうレコーディングスタジオの中で働いていました。願えば叶うと申しますが、僕の場合ただ憧れてなんとなく願った以上の努力も苦労もせずに運よくそのような現場に立っていたのです。
有名ロックバンドのローディーという仕事です。彼らのレコーディングでスタジオにはしょっちゅう出入りしてました。と言っても目の前の機材に触れるような立場ではありません。ま、一言で言えばタレントさんの小間使いです。
しかし毎日十数時間もスタジオに居れば頭の悪い僕でもレコーディングの大雑把な仕組みが分かってくるものです。録音機材やその周辺機材の役割、録音の段取りやテクニックなど。そしてレコーディングエンジニアの人たちのだいたいのギャランティーやアシスタントとの強力なギャップと、そのフルオーケストラも録れる48トラックレコーディングが可能なスタジオの1時間の値段など、十代後半の僕には想像絶するものばかりでした。
そこから更に約10年後、今から30年ほど前。僕は音楽作家として都内のあちこちのスタジオに出入りしてました。有名な大きなスタジオだったり個人スタジオだったり。僕個人も自宅マンションの1室をスタジオ化してましたが、所詮都内のマンションの1室ですので、大きな音は禁物です。下手したらうるさいと言って隣人に殺されかねませんからね。音の出る作業は平日の昼間に行い、夜はヘッドホンでせっせと打ち込み作業や作曲作業をします。
最初の自宅レコーディングと言えば十代の頃。一発録音か、もしくは当時最新鋭のカセットテープを利用した4トラックのMTR(Multi Track Recorder=多重録音機)1台を購入し、そこへ手弾きの楽器を重ねるという非常に原始的な方法しかありませんでした。なんせせいぜい4トラックしかないのですから、今や死語となった「ピンポン作業」というのが非常に重要になって来ます。
(興味がある方は下の点線内で当時の録音方法を説明していますので読んでみて下さい。そうでない方は読み飛ばしてください)
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ドラム、ベース、カッティングギター、ギターソロ、シンセ、旋律の歌、歌のハモリ、の7つの音を4トラックMTRに録音する場合、を想定します。
先ずトラック1にリズムの基礎となるドラムを入れて、それを聞きながらトラック2にベースを入れます。1と2トラックを聞きながらトラック3にカッティングギターを吹き込むと残ったトラックはトラック4のみ。まだまだ録音しなきゃいけない音がありますよね。そこでどうするかというと1~3トラックの音量バランスを取りながらトラック4へ流し込みます。この作業を「ピンポン」といいます。すると4トラックにドラム、ベース、カッティングギターの音がミックスされた状態で入ります。問題なければ1~3トラックに入っていた音を消去して、新たにトラック3にシンセを入れたり、トラック2にギターソロを入れたりできる訳です。そしてまたトラック2~4をトラック1にピンポンしたらトラック2~4が使えるという訳です。その空いたところにやっと旋律の歌やハモリを入れられます。ただし所詮カセットテープのMTRですから、ピンポンはつまりダビングと同じで、やればやるほど録音した音は劣化しヒスノイズは増えます。ピンポンは最小限にして楽曲の雰囲気を如何に引き出すかが作曲者、編曲者の腕の見せ所なのでした。
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カセット4トラックMTRでの録音は、あらかじめ綿密に計算された最小限の編曲構成を組んでおき、どういった順番で重ねるかを練っておかねばなりません。今思えばこの編曲構成を考える作業はその後の作家作業でもかなり役立ったように思います。
少し時代が進み僕は30歳前後になります。1990年代前半、世の中は東西冷戦が終わりベルリンの壁が崩壊、日本は経済の全盛期を経てバブルがポンとはじけたあの頃です。そして僕は比較的ちゃんとしたスタジオ機能を自宅に持とうと決心してしまった頃で、8トラックMTR3台や周辺機器、コンピュータやソフト類などを買い揃えるために銀行からなんと1,000万円の大金を借金したのでした。なんせバブル期ですからね、お金は簡単に貸してもらえました。
と言ってもスタジオの建屋はもちろんのこと、生音を収録できる既成の録音ブースも高すぎて買えません。なので人が2人座れる程度のブースをホームセンターで購入した部材だけで手作りしました。これが結構いい出来で、おかげで歌やアコースティックギター程度なら深夜でも録れるようになったのです。
この当時の作曲編曲作業は既にコンピューターに打ち込むのが主流になっていたので、コンピュータにもある程度の精通が必要です。当時業務音楽用のコンピュータはApple社製のMacしかなく、これを数台使ってました。ソフトウエアはまだDAWとは言っておらずシーケンサーと言ってました。僕が使っていたのはMOTU社製のPerformerというシーケンサーで当初は主にMIDIをコントロールするという役割のものでした。実音をまだMTRに録音していた頃です。
8トラックMTRが3台なので実質24トラックレコーディングが可能でしたが、MTRとミキサーやパッチベイと言われるジョイント機器、リバーブ、ディレイ、コンプレッサーなどのエフェター類、各音源モジュールや鍵盤等々数十台それぞれをつなぐ大量のケーブル類は全て自分で作りました。長尺でケーブルを購入し必要な長さを切ってプラグ類は自分でハンダ付けしたのです。300個ほどのプラグをハンダしましたよ。手作りした結果、音がどういった経路でどう処理されて出て来るかが完璧に理解出来ました。アナログ線なので音が無駄に経由してしまえば、その分だけ無駄なノイズが乗ります。知っているのと知らないのとでは出来上がりに雲泥の差がありました。更に突発的なノイズや故障などの予期せぬ事態に出くわしても、ここをこうするとノイズが消えるとか、音が出るとかが分かればどの部分にどのような対処が必要かが手に取るように分かったものです。
そうしてふと気づくと僕のスタジオは大量の機材に埋もれていたのです。中学高校の時に憧れていたあの宇宙船の様な様相になっていると気付きました。しかしそんな雰囲気に酔ってる暇はありません。この機材を駆使し頭と体に鞭打って昼夜を問わず借りた借金を返すため働かねばなりません。ありとあらゆる仕事を取って来てはこなし、あっという間に10年が経ちお陰様で1000万円の借金も消えました。実際は銀行の信用継続のために完済と同時にまた借りるんですけどね。その時僕は40歳になってました。なんかやり切った感はありましたよね。なんにも大したことはしてないんですけど。
それからアッという間に月日は経って、最近ではレコーディングも実にポータブルになり、昔の様な大掛かりで派手な感じは無くなっています。DAWというソフトが入った市販されているパソコン1台と、3オクターブ程度のMIDIキーボード、オーディオインターフェースがあれば30年前の立派なスタジオ並みの、いや部分的にはそれ以上の事が出来るようになりました。パソコン次第でもうトラック数は無限です。録音もパソコンに取り込むのでMTRそのものが不要です。20万円もあれば30年前と同じかそれ以上の事が誰でもできる時代になったのです。
作業は全てバーチャルな世界でデジタル処理されます。コンピュータ画面には昔のミキサー卓やMTR、音源モジュールなどを模したデザインの画面を自在に表示出来、創作、編集が出来ます。その音はハンダ付けしている箇所を一切通りません。通ってもデジタルの01が通るだけなので劣化しませんのでノイズは基本的に乗りません。
すごい時代になりましたよね。数十年前に数億円かけて作られたレコーディングスタジオの機能は、今やiPhoneのアプリに全て収納されてしまいました。しかも無料で使う事が出来ます。そしてそのアプリが今新たな世代のミュージシャンをどんどん創出しています。今の中学、高校生が昔数億円したスタジオをポケットに入れられるのですからね。
道具が変われば作り方も変わります。知っておくべきことももちろん変わりますよね。今の作家さんたちはデジタルについて大変詳しい方々ばかりです。デジタルですから映像やVR(パーチャルリアリズム)などとも親和性が高く、音響のみのレコーディングスタジオというのもそのうち無くなるのでしょう。知識も音楽や音響の事だけでは足りなくなり、音楽家も映像やそれらに付随する機材や知識が必須になるのでしょうね。それはそれで楽しそうですが、僕のように還暦前になるともうその辺りをまた勉強し直すのはめんどくさいし、自信ありません。その辺りは若い人にお任せいたしまして、僕は地道に縁側のパソコンでポチポチと曲だけを作って老後を楽しもうと思います。そういうことが出来るいい時代になったと思っています。今では縁側が僕の最高なスタジオなのです。