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奴隷じゃないのよ僕らは ハッハ〜アン

【 2347文字 】

25年間自身が設立した会社を経営し、50歳から10年間サラリーマンを経験中の僕が個人的に考えている事です。

  仕事とは、
金銭的収入源であり、自身が現在持ち得ている技術力や経験値の8割程度の力量で行える作業の事。
資本家(経営者)に振り回され搾取される労働者、という旧態依然の資本主義構図をアップデートしなくてはいけません。無理して力量超えの作業を強行し維持すれば、顧客(取引先)、自社、ひいては社会、自分の健康に遅かれ早かれ必ず悪影響を及ぼ事になります。
その為にも個人的な技術力や経験を積む修練は大変重要で、若ければ若いほど仕事時間の大半をこれに費やすのが良いでしょう。その手法は様々ですが場合によっては転職や職業変えも考慮されます。


  遊びとは、
金銭的支出を伴い、知的、身体的に大きな刺激や好奇心が煽られ、一定の興奮状態に浸れる行動の事です。
遊びという行動は常に未知の領域へ挑戦し続け、結果として新たに得られる自身の可能性や拡張性をポジティブに感受出来ることです。
それゆえ遊びを過度に取り入れてしまうと、生活時間の大半を依存的に支配する事もままあり、生活収支のバランスや社会活動に破綻を期す場合もあります。
なので遊ぶ際は決してふざけず、常に客観的な視点で細部にまで目を配りながら自身を見張る必要があります。遊びには常に本気で取り組まなければならないのです。



2022年現在の日本に於いては、未だに1945年以降の戦後から始まったビジネスモデル然とした企業が大半を占めます。以前はモーレツ社員を美化する事であたかもそうなる事が人としての模範の様に言われてきましたが、それはひと握りの資本家(経営者)にとって都合がいいだけのまやかしでしかありませんでした。敏腕と誉めそやされた労働者がけん引した社会は超過労働、低賃金、劣悪環境労働、危険作業、責任転嫁などに支えられた危うい社会でした。例えば今もなお残業が常態化している会社(事業)は必ず何かが破綻しているはずです。
120%の力を出し働くモーレツ社員を美化する昭和スポコン的感動悲話はドラマの中だけでもう十分なのです。

欧米の中世には法律で守られた奴隷制度という悪習悪政がありました。人身売買が普通に行われ生身の人間が売り買いされていたのです。端的に言えば売買されていたのはつまり労働力です。病に倒れたり死亡したりすればまた新たに奴隷を買い代えるのです。しかし健康で長生きして長く労働させた方が買った者は得です。そんな観点だけで少しずつ労働環境は見直されて来ました。実はサラリーマンと奴隷の根本的な違いは今も何も変わっていません。資本家(経営者)から見れば、よく働く者をより安く長く使えればそれに越したことはないのです。労働者は仕事内容と金額が見合えばそれでよいという価値観に慣らされてきました。社会全体がそうなのでそれが当たり前の仕組みだと思い込まされています。とはいえ明日の生活もせねばなりませんし、実際の仕事に落ち度があってはいけませんので、結局労働者は見えない足枷を付けられ、見えない鞭で叩かれ重労働を強いられるのです。何かあった時も労働者は責任をかぶせられるのです。そうやって少しずつ体力も精神も蝕まれ個人はつぶされるのです。法人は個人の犠牲によって成り立っています。本末転倒ですよね。
本来ならば労働者が身体的にも精神的、経済的にも健康でいられればこそ、効率も上がり長期に渡り継続も出来、企業や社会にとってベストな状態であるはずです。そうなるカギの一つが遊びなのです。

この経済の基本的な構図は明日明後日に劇的変化があるという事はあり得ません。世界では医療や教育、出産、老後、介護などの最低生活保証を求める声が年々高まって来ています。各国政府も急には制度や法整備も整わないのでベーシックインカムの導入を考え始める国も出てきました。しかしこれもなかなか簡単ではなく、すぐにという訳にはいかなそうです。
ですから現代の労働者は自衛せねばなりません。そのために仕事は8割の労力で行い、もし不慮不遇の事態が起こっても残りの2割を動員できるよう一人一人が自己防衛する必要があります。そうした方が労働者個人としても、結果として会社や社会全体としても得策なのです。

労働者だからと言って人生を仕事漬けにしないで欲しいのです。8割で行う作業は正直言って退屈です。かと言って資本家(経営者)を儲けさせるために、自身を騙し暗示にかけ全力を出し切るような、危険で馬鹿らしい働き方はしないで欲しいのです。でも人は何かにエネルギーを注ぎたい生き物でもあります。それでこそ遊びが重要になって来るのです。定時に帰るのですから時間はいくらか作れるはずです。そしてエネルギーを安らぎやパッションといった部分、つまり家庭や遊びへ傾けて欲しいのです。
遊びは本気でやればやるほど、そしてオーバーワーク(オーバープレイ?)すればするほど自己達成感が満たされます。なにより精神的健康を得る事が出来ます。もしそれが得られないのであれば遊べていないという事ですので、仕事がおかしいと疑うか、遊びの種類を選び直しましょう。今時は複数の遊びや仕事に関わってもいいのです。それが出来ない環境なら何かがタイトロープ状態か破綻寸前、又は既に破綻をきたしてます。

「仕事は適度に、遊びは真剣に」なのです。政府の仕事は国民の最低生活保証、つまり医療や教育、出産、老後、介護なども含めた生存可能な生活保障を保持継続する事です。それが政府の主たる仕事であり、その為の仕組み作りや改修だけ日々やってくれているだけでもいいくらいです。
現在の格差社会は奴隷社会と同じ考え方だという事をみんなで再認識したいところです。
しかし現代のこの仕組みであってもごく一部にストレスなく仕事に従事している人も居ます。そういう人には仕事と遊びのボーダーがありません。区別していないのです。遊ぶ感覚で仕事をしています。遊んでいるだけで人に感謝されお金がいただける訳です。このモードに入れたごく一部の人のみがこの現代社会をストレスなく生き生きと過ごせるのですが、ほとんどの人達はそうはいきませんよね。そうなるために必要なのは学歴でもコネでもありません。むしろ学歴に頼った最高の仕事はせいぜい官僚です。官僚は給料や補償と言う金銭面では優遇されますが、自殺者も多いハードな仕事です。幸せな仕事とは言い難いです。これと言うある一定の仕事ではなく、良い仕事は人それぞれにあります。それが探究できれば言う事なしですが、簡単ではありません。

少なくても奴隷仕事でない自分主導で出来る仕事を選んでくださいね。