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これ以上売ってはいけない

【4726文字】

【働くこと】

当然ながら働く事は悪い事じゃありません。
労働は美徳とも言われたりします。
まして好きで出来る仕事はとても価値がある事だと思います。
しかしその様に仕事の楽しさを見出しておられる方が、
いったいどの程度おられるのでしょう。
これとは違い生活のためだけに働かざるを得ないという場合、
身を粉にしてまで働く事が本当に美徳なのか、
最近少々疑問に感じています。
かと言って働かないわけにもいきませんしね。
僕らが当然の常識だと思っている資本主義を再確認したいと思いました。
今後資本主義は僕たちを幸せにしてくれるのかと。
そもそも資本主義の成り立ちはどうだったのか、
先ずはその辺りから確認してみましょう。
ヨーロッパの17世紀に遡ります。

【資本主義の始まり】

ニュートンがリンゴの落ちる所を見て「万有引力の法則」を発見した頃、
全てのものには共通した「法則」がある、という解釈が人々に認知され、
この頃から人類は画一化した手段をいろいろ編み出していきます。
その尖峰が時間でした。
それまで庶民の時間感覚というのは太陽の位置で朝昼晩と分けていたに過ぎず、
地域や季節、場合によっては天気で時間がそれぞれ相対的に大きく違っていたのです。
しかし比較的正確な時計を作る技術が発達すると、
地域や季節に関わらず1日を24時間できっちり割る事が出来ます。
人々はこれをヨーロッパや当時まだ新天地だったアメリカなどへ一気に広め、
世界で同じ時間を共有する事が出来るようになったのです。
今の常識からすれば時間が曖昧だったというのは何だか不思議な感じがしますね。

前後してこれと同じように物の長さや重さ、量なども単位が策定され、
ものを認識する共通意識がシルクロードを中心に整っていきます。
ものの大きさや量に地域格差がなくなるとその価値も定まっていきます。
すると貨幣の取り扱い方や地域別のレート設定なども少しずつ進歩していき、
自然発生的に自由市場というものが生まれて来ます。

自由市場で肝心なのは商品の価値判断を売買を行う人々に任せる事です。
外野はなるべく干渉しないという事なんです。
基本的に人は利己主義ですから売りたい人は高く売りたいし、
買いたい人は安く買いたい訳ですよね。
そこで人々は商談して互いが納出来る価格を決めました。
そうやって自由市場の均衡は保たれていたのです。
もしこれに王様や国家の都合で価格を勝手に決めてしまったら、
そんな高いものは誰も買わないし、
売れないものは誰も売りたがらないですよね。
このようにどんな権力も自由市場の価格設定には介入しない、
制限しないというのが基本原則になったのです。

【キリスト教と道徳】

人は利己的と言いましたが、
商談し他の意見を酌んで妥協できるのもまた人です。
物を売り買いするために人々は色々苦心したわけです。
これを当時「非常に道徳的である」と解釈したのが、
キリスト教プロテスタントの福音主義でした。
他者を思いやる力は道徳的だと言ったのです。
ここで言う売るための努力とは、それはつまり労働の事ですよね。
つまりキリスト教は労働イコール道徳的であるとしたのです。
キリスト教徒の多いヨーロッパやアメリカの人達は、
労働してお金を稼ぐことは道徳的で良い事だ、と考えます。
今でも僕らは働かざる者食うべからずとか言ったりして、
労働は良い事だと漠然と解釈してますよね。
それはこの辺りが根源のひとつかもしれません。

【敗者は落ちぶれて当然?】

さて、18世紀になってダーウィンが進化論を唱えます。
生き物は環境や敵対勢力に打ち勝った強い者だけが生き残って来た。
つまりそれが生命の進化であると言った訳です。
これが市場原理を加速させるとはダーウィンも想像できなかった事でしょう。

つまり商売の競争で勝ち残る事は、
進化的に正しい姿であると人々は解釈したわけです。
より多くのお金を集め成功を目指す事は生き物として正しい姿であると。
しかし勝ち残るという事は、負けた人たちが多くいるという事でもあります。
そういう人たちは決して人として間違ってた訳ではないですよね。
でも僕らは今現在も労働する事や商敵に打ち勝つ事も、
むしろそれは良い事であり、
社会的成功や失敗は起こり得る仕方のない事だと思ってます。
利潤追求は人として真っ当であり、
勝つために努力を重ねるのは良いことだと。
しかしこの考え方は更に分波して後に優生思想へと変化し、
ナチズムを生んだりしました。
勝ち残りさえすれば何をやっても良い、
負け組は生きる資格さえないという危険な思想です。
ナチズムまで持ち出すなんてちょっと飛躍し過ぎだ、
と思いましたか?

【悪魔の挽き臼】

僕らは言ってしまえば非常に危うい常識の上に立っているのです。
ともすれば大虐殺が起こりかねない、
そんな常識だとも言えない訳でもないのです。
第2次世界大戦中の1944年にカール・ポランニーという経済学者が、
資本主義を揶揄して「悪魔の挽き臼」と言って警鐘を鳴らしました。
いかにも恐ろしげな響きを持っている言葉ですよね。

どういう事かというと、
資本主義の市場経済というのは、
あらゆるものを挽きつぶして粉々にしてしまうのだと言うのです。
そのあらゆるものは商品化され換金されます。
換金されるものとは手に取れる商品に限らず、
時間や家族構成、教育や労働そのものもまた換金されます。
以前大家族で暮らし地域に根差した生活を営んでいた僕たちは、
コミュニティーの安心や安全を支える無償の労働を手放し、
地域や家族から遠く離れ、
契約やサラリーで暮らす個人の生活を選ぶようになりました。
しかし結果は貧しく結婚もしなければ子供も作れません。
多くの人が当初想像していた額のお金が手に入らなかったのです。
なので仕方なく身を粉にして働きます。
働く事は美徳だと言い聞かせます。
そうやって労働力や時間、精神や命までも売ってしまうのが、
現在の社会構造です。

にも拘わらず益々「お金さえあれば」、
「お金が足りない」と考えてしまう事が、
まるで末期の麻薬患者の様で恐ろしくもあります。
資本主義社会は換金できるものは何でも全て商品化しました。
そしてふと気づいたらどうでしょう。
核家族化という名の家族離散と地域崩壊。
これは子育てや教育、老人福祉や非常時対応などなど、
古来から長く確率されていた家族間地域互助システムを、
根底から台無しにしてしまったと気付くのです。

今後巨大ビジネスは何を狙って来るか知っていますか?
それは人間のドーパミンです。
ネットの閲覧や検索であなたの嗜好は既につかまれています。
なので同じ単語を違う人が検索すれば全く違う結果が返されます。
よりあなたが好みそうでリンクをクリックしたくなりそうな、
そんな検索結果がズラッと並ぶのです。
この時あなたの脳はドーパミン放出で満足するのです。

SNSでいいね!や登録者数、再生数を誇る人々も狙われます。
スマホのバイブが鳴る度に脳内のドーパミンが放出され、
自己満足度や承認欲求がその都度満たされますが、
そういった一次的な興奮はすぐに冷めて、
再びドーパミン放出の機会を待ち続けるのです。
知らず知らずにSNS閲覧回数が増えて、
広告やアフェリエイトで遠くの見知らぬ誰かを儲けさせます。

今後はAIでコントロールされたメタバースも主戦場になるでしょう。
そうなれば現実社会に戻りたくなくなる人が続出するかも知れません。
こうして生活や命に直接関わる事までも商品化され、
クスリ漬けにされた中毒患者の禁断症状の様に、
何ひとつ手元に残らないドーパミン抽出商品が溢れるでしょう。

「悪魔の挽き臼」であらゆるものが粉々に壊されてしまい、
それらは二度と元には戻らない、
というのが80年ほど前のポランニーの考えです。

【新たな道徳観】

売れるものは売ろうというのがこれまでの資本主義です。
買う人との間にコンセンサスが取れていれば問題がないというのは、
一見正当性を帯びてるように見えますがそうではありません。
売れるからと言って何でもかんでも売っていい訳ではないのです。
人間そのものを売ると人身売買にあたります。
薬物は売る人、売り先、量などに厳しい制限があります。
過剰、又は過激な労働にも制限があります。
少年や少女から買ってはいけないものや、
または売ってはならないものもあります。
その他にも多くの事や物に対し売買を禁止制限する条項があります。
当初規制しないと言っていた自由市場は現代の様に巨大に成長してしまうと、
逆に細かく多くの規制を設けなければならない事態になるのです。
これは何かが狂ってきているようだと思いませんか?

僕たちは何もかも売り飛ばしてしまい、
いまや医療も治安も衛生も基本的人権や自由さえも、
お金がなければすぐに手元からこぼれ落ちてしまいます。
基本的人権や生きる永らえる事さえ買わなければならない社会って、
どうなのでしょう。
まだ健康で若い人は良いとしても、世の中には当然子供や老人、
病人やけが人といったような弱者も多くいます。
こういう人々は競争に負けたのだから仕方ない、
と言って切り捨ててもいいはずがありません。
あなたの子供も、あなたの親や兄弟も、
あなた自身だっていつ事故に遭ったり病に倒れるか分かりません。
運よく事故もなく健康に過ごせたとしても老いる事は確実です。

思えば時計がまだ不完全だった時代の時間感覚は、
陽が昇れば働き、太陽が一番高くなれば昼休み、
陽が沈む前に仕事を切り上げて帰宅という生活でした。
生き物としての人間にとって、
それが負担の少ないペースだった様にも思えます。
明治時代や江戸時代以前の生活に戻れとは言いませんが、
やってみてダメだったところを反省し、
昔良かったとされるところは見習い、
劣化してしまった道徳観は日々アップデートするべきでしょう。

資本主義は資本のあるところに資本が集まりやすく、
貧しい者に分配されることは大変困難であり、
しかも貧しい者が富める者より圧倒的多数でなければ、
この本主義社会はバランスが取れないという仕組みです。
一部の富豪と絶対大多数の貧乏人のモデルです。
時間や健康を削って命がけで働いたとしても、
貧困から抜け出すのは簡単ではありません。
未だに労働が美徳だと高らかに謳っているのは、
共産主義国の政府か資本主義の経営陣だけです。
実際に現場で働いている人たちは皆疲れ果てて家路を急ぐのみです。
身を粉にした労働が美徳だとしたら、
あなたは働きづめで徹夜明けの外科医に手術してもらいたいと望みますか。
外科医に限らずへとへとになってもなお働いている人に大事な仕事を任せられますか。

【もうこれ以上売ってはならない】

地上の人類全員が時間も労働力も知識も経験も、
精神も汗も涙も優しさも血も売ってしまったお陰で、
これらの価値は暴落してしまい長年底値続きのままです。
あなたはもう何をしたって安く見積もられます。
貧しい国の山も森林も、空気も水も、生き物も生態系も搾取され、
安値で大量に売り飛ばされてしまいました。
でも貧しい国は益々貧しさに喘いでいます。
それらの価値は本当に価格通りなのでしょうか。
僕たちはなにか物事の価値判断をどこかで誤ってはいないでしょうか。
あなたが常識だと思っている労働やお金のことを再点検してみませんか。
ひょっとしたらもう取り返しがつかない所に僕らは居るのかも知れません。
でもその事実から目をそらし知らんぷりしてこのまま貧困を続けますか?
全てを金銭換算する世界はあなたを幸せにしますか?
もうこれ以上何も売らないで欲しいと僕は願っています。
あなたの大切なものを安売りしないで欲しいのです。
あなた自身やあなたの家族、この社会を守るためにも、
もうこれ以上人として大切なものを売ってはいけません。