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ジェネギャと「へり」

【2443文字】

先日

仕事で出くわした若けぇ女子2人が
「ナンとチャパティの違いが分からーん」
と話していた
側にいたので否が応でも耳に入る
なるほどナンとチャパティね
疑問自体はくだらなくて面白いと思う
人生の大勢に全く影響のない話題だ
こういうくだらない話をどんどん掘っていくと
とんでもない場所に行きついたりするから
くだらない話は面白いのだ
しかしこの2人の感じだと
これ以上の掘り下げはなさそうな方向へ
「ググってみりゃいいじゃん」
「えー、激メンディーなんだけど」
「何言ってんのアンタの推しハオ食材じゃん」
「メンディーー!」
・・・・
他にもいろいろ言っていたが
このぐらいしかオジサンには聞き取れなかった
というか
単語はもとよりイントネーションも妙で
既にほぼ外国語に等しい
わざわざ側まで来てそんな話をするのだから
オジサン知ってたら教えて
という軽い気持ちぐらいはあったかも知れないが
オジサンもどっちもメリケン粉だろ?
って程度しか知らないし
当然ながら素知らぬ顔を決め込み
会話には加わらない

彼女ら

とは恐らく35〜40年ほどのジェネギャ
つまりジェネレーションギャップがある
こちとら今年の朝ドラで話題沸騰する
笠置シヅ子にも会ったことがあるほどの年長者だ
そりゃバブルも知らないアンタらとは
世相も違えば常識も違う
当然ツーカーで話せる相手とも思っていない
「ツーカー」という言葉も
恐らく「メリケン粉」だって彼女らには通じまい
だから最初から会話に混ざらないのだ
話が通じないことほどつまらない事はない
そう思えば自分の若いころは
知人が話してる話題に
「え?なになに?」とか言って
すぐに混ざってたような気がする
若者同士ならではで通じ合う話というか
言葉や価値観てのがどの時代にもあるものだ

40歳

ぐらいの頃だったか
レコーディング前の新曲を
ざっくりギター1本で聴かせるため
デモテープを作った時だった
「テレコ録音だからクオリティは言わないでね」
と先方に伝えると
「テレコって何ですか?」と返って来た
そいつはどうやらハタチ前後
こっちは40過ぎだ
20年の月日というのは
こんなにも常識を変えるのかと愕然としながら
「ラジカセ」と言い直したのを思い出す
その頃からだろうか
気軽な気持ちで若者らの会話に混ざってはイカン
そう誓ったことさえももう結構遠い昔だ
そこから20年後の今の20代には
「ラジカセ」でさえももう通じないだろう

外国語

のような2人の会話を耳にしたこの日
帰宅途中の車中に流れるラジオの話題が
奇しくも「若者に通じない言葉」だった
こちらに分からない言葉があれば
あちらにも通じない言葉が相当数ある
ラジオの投稿者曰く
5歳の子に「ビデオでも観てれば?」と言うと
「ビデオって何?」と聞かれたという
動画の事だと伝えると「な~んだ」と言って
慣れた手つきでタブレットを操作し始めたんだそうな
また他の投稿者の話では
「汗かきながら坂をエッチラオッチラ帰ってきたら
その夜はもうバタンキューだったよ」
と語る父親を娘は冷ややかな軽侮の視線で
エッチラオッチラって何?スケベなこと?
バタンキューって何よ!
と父親はひどくさげすまれたそうだ
誤解とは言えなんともムゴたらしい話である

その他

にも「1時間弱」という言い方も
若者は我々とは違う捉え方をするという
我々なら1時間弱と言えば
1時間に満たないだいたい
50分から55分ぐらいの事をいうだろう
しかし若者は1時間10分ぐらいだ
と判断するのだそうだ
そこには20分もの違いがある上に
1時間を超える危険も生じる事になる
なぜ1時間に弱分を足すのだ!と思うが
彼らの理屈はこうだ
「だって震度5弱っていうじゃん」
思わず膝を叩いた「なるほど!」
正しいかどうかは別として
震度5弱は誰しも5.2とか5.3を想像するだろう
震度5強は6に満たない5.8とか5.9だ
これと同じ感覚なのだそうだ
「1時間弱で行けそうです」と若けぇのが言った場合
一度確認をした方が良さそうだ

そんなこんなで

若者の会話には
積極的には混ざらない
「うざオヤジがまたカマチョしてきやがった」
(カマチョ=かまってちゃん)
と思われるのも癪に障るし
ジジイのペースで話してやるか
みたいな介添えトークされるのもイヤだ
どうせ何言ってんだか聞き取れやしないのだ
そもそも若者だけと話さないわけではない
当然年寄りとも積極的に会話などしない
彼らはいつぞや聞かされた同じ話しかしない上に
何処そこの誰々が死んだらしいとか
己の病気自慢や辛い自慢しかしないのだから
じゃあ同世代とはよくしゃべるのかというと
またそれはそれでNOである
オレはこんな事も知ってるしやって来たという
いちいちマウントを取ろうとしてくる会話にも
もう本当にウンザリするのである
こうやって清淑且つ賢明なオヤジらは
人知れず無口になってくのだ

以前タモリ氏

も同様の事を言っていたが
会話は答えそのものよりそれに付随した「へり」
その辺りが一番美しく楽しいのだ
答えが必要な重要な話なんか
せいぜい仕事でしていやがれ!と思う
歴史でも地政学でも「へり」の話が
実は一番面白いのである
話が逸れるとか脱線したとかよく言うが
何故逸れるのかというと
それはそっちの方がおもろいに決まっているからだ
そしてかのみうらじゅん氏は
人生は死ぬまでの暇つぶしだと明言する
少しでも楽しい人生を送りたいなら
知識とか仕事の自慢をしたり
しんどさアピールや将来の健康を不安がってるより
「へり」へと没入して楽しんだ方が
よっぽど良い人生だと言えるだろう

そういう意味では

ナンとチャパティは惜しかった
ただ君らと通じ合う言語がなかったのが
ただただ悔やまれる
(いや、そうでもないか)
若いという事はつまり答えを知らないという事
だからこそ楽しいのだ
小学生時代が楽しかったのは身の回りに
不思議や未知が溢れていたからだろう
大人は答えを知っている(と思っている)から
何を見ても面白みを感じないのだ
そうやって死んだ魚の目が出来上がる
こんな腐敗臭漂う大人なんかにならず
今後もそのままくだらない疑問を大切に
可能ならどんどん深堀りして貰いたいと
心から願うばかりだ
そのままもっと「へり」へ「へり」へ寄って
暇つぶしの人生をより楽しく過ごしてもらいたい

しかしよく考えてみれば

実際彼女らは疑問の掘り下げなんかより
そういった今どき言葉を使うこと自体で
ただ単に遊んでいるだけかもしれない
だとしたらオジサン
余計なお世話でしかない事を
あれこれ考えてたのかもしれない
しかしこのくだらない話を掘り下げられたので
また少し良い人生を過ごせたぞ
ありがとう若者たちよ