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Haru no KAORI

1月は行く

2月は逃げる
3月は去る
年が明けると駆け足で過ぎる日々
そして今年もまた春になった
春は別れと出会いの季節だという
確かにねと思う
そして個人的には
漠然と懐かしい気持ちが湧いてくる
そういう季節でもある

何故

毎年春に限ってそう思うのか
それは香りのせいである
春の香りのことだ
恐らく筆者だけが知っている
個人的な香りだと思う
香りというのは
根源的な記憶と結びつきやすい
街でふと香ったコロンの香りで
昔の彼女や彼氏を思い出したりする
例のあの感じを
ブルースト効果というらしい
鼻で感じていると思っている香りは
脳の奥深くにある海馬へ
ダイレクトに香りの情報を届ける
それはどんな時に
どんな状況で
どんな感情を持って
この香りを嗅いだのか
これら周辺情報含め
脳の記憶中枢へと深く刻み込んでいく
そのため香りのトリガーで
過去の記憶が一気にあふれ出るという
実に芋づる式的な追憶
筆者の場合春の香りを嗅ぐと
毎年ある記憶をくすぐられる

春の香り

と連呼しているが
皆にはそれがどんな香りか
きっとピンとこないだろう
筆者だけが
「春には春独特の香りがある」
と思っている
どんな香りかと言われても分からない
筆者はこれを言語化できない
しかしこの香りがすると個人的に
今年も陽光眩しい春がやって来た
と思う
思うがその反面
気持ちの奥底の部分で
何か焦燥感や
でも少し血が躍るような
それでいて泣きたくなるような
なんとも形容しがたい感情が湧いてくる
いつの記憶か
主に子供の頃や中学や高校に入学したころ
上京したての若かった頃の事だと思う
つまりこの春の香りは
ひとつの記憶を想起させるのではなく
複層的な記憶が漠然と湧き出て来る
そんな感じだ
冬の厳寒がようやく過ぎ
屋外の活動も苦ではなくなる頃
そして太陽のぬくもりにホッとする頃
毎年この香りがやって来る
何の香りかはやはり分からない
しかし遠い昔の節目節目で
いつも決まって香ったあの香りは
春の香りとしか言いようがない

そして

春の香りは今年もやって来て
1年ぶりにまた
不思議な感情に包まれる
そう言えばこれまで
ちゃんとこの香りについて
漠然と想起される記憶について
考えたことがない
しかし還暦を過ぎ
かなり煤けてきた記憶を辿り
少しこの春の香りについて
考えてみることにした
何の香りだったのか

先ず

出てきたのは
高校を卒業し
広島から上京した時の
東京の景色だった
筆者はダサいポロシャツに
黒いデニム生地のジャケット
着古したGパンを履いている
まだほとんどスレていない頃
言い換えれば
垢ぬけない頃の自分だ
しかし東京が右も左も分からない
という訳ではなかった
実は東京に初めて住んだのではなかった
9年前まで父の仕事の関係で
2歳から10歳の約8年間
東京の世田谷で暮らしていた事がある
10年足らずでまた東京の地を踏んで
多少の懐かしさもあった気がする
そして18歳は何より自由を感じていた
今から考えれば本物の自由ではなかったが
自分と親や学校につながれていた鎖が
やっと解き放たれた気分だったのだ
そんな青臭い解放感を
今年も春の香りの中に感じる
同郷の友人と都内をバカして飛び回る日々
東京は恐ろしく人は多いが
干渉してくる人はほぼ皆無だった
バカをやればやるほど人は目を逸らす
恐れを知らないとはまさにこの事
恥を知らないとはこの事
今思えば恥ずかしさしかない

当時

故郷に好きな子が居た
中2から付き合っていたが
変な噂のせいで高2の春に別れた
しかし上京寸前にたまらず電話し
文通してくれないかと頼んだ
彼女の声は少し迷った様子だったが
OKと言ってくれた
上京後3~4回ほどやり取りをした
窓を開け放った四畳半
春の香りの中
彼女の返信が待ち遠しくて仕方なかった
春の香りがなくなった頃
返信は帰って来なくなった

少し

寂しい感覚も混ざる春の香り
前述の通り子供の頃の8年間
世田谷区内には住んではいたものの
区内で引っ越しばかりをしていた
弦巻で3回とその後
桜新町と芦花公園に引っ越した
幼稚園は3年間同じだったが
小学校は1年2年3年と
1年ごと全部違う小学校へ通った
引っ越しはいつも3月の終わりごろだった
引っ越しは慣れていたし
同じ学校に2年間以上通った経験がないので
それ以外を知らなかった訳で
そんなものだと思っていた
当時引っ越しを嫌だと思った事はなかった
そう思っていた

小学校3年

が終わった春休み
広島県広島市に引っ越すことになった
翌日父だけ早々に一人で広島へ行く
母と4つ上の姉と筆者の3人は
数日でバタバタとせわしく荷造りした
筆者もいつも通り慣れた調子でいたが
今回は新幹線に乗った
遠くへ引っ越すのだと
景色を見ながら思った
東京タワーが後方へ消える
過ぎて行く住宅街を見ていた時
悲しくもなんともないのに
突然涙が溢れた
自分でもびっくりしたが
涙はしばらく止まらなかった
父を除く家族3人が
向かい合わせのシートに居たので
泣いていると悟られるのが嫌だったが
どうにも涙は勝手に溢れた
母も姉も話しかけてこなかった

小学校4年

の1年を広島市で過ごし
再び同県内の福山市に引っ越した
この昭和中期は経済が伸び
転勤族という言葉が生まれるほど
引っ越しや転校は珍しい事ではなかった
その頃子供だった筆者は
引っ越しを誇らしく感じていたほどだった
弦巻小学校
桜町小学校
芦花小学校
皆実小学校
樹徳小学校
そして結局筆者は小学校6年間の内
1年ごとに5回の転校をし
5~6年の2年間だけ
はじめて同じ小学校に通った

また

運の悪い事に筆者の誕生日が
春休み只中の3月26日で
学校は春休みだし
友達には転校すると言ってあるし
家は引っ越しのバタバタで
誕生日を祝ってもらえるような
そんな空気は当然なかった
そりゃそうだよなと納得もしていた
その頃いつも桜が咲いた
去る家も新しい家も
ガランとした家は掃除される
春は窓を全開にしているイメージ
まだ少し冷たい風が部屋を横切り
日差しだけはすっかり春めいている
気持ちがいい
そんな時に漂う香りが
この春の香りだ

仲の良かった

友達とも
ちゃんとお別れも出来ず
中には文通をしよう
と言ってくれた友達もいたが
実際やってみると
お互い大して報告することもなく
いつも2往復程度で終わる
転校した先では
しっかり転校生扱いをされる
良くドラマにあるように
初日に教室の前に立って
黒板に名前を書かされる
どうぞよろしくとあいさつし
ここでの新入りを自ら公言する
教科書が変わる
遊びが違う
名前が分からない
転校したてはよくケンカになる
毎回多勢に無勢で基本的にはやられる
古いアニメのように
昭和の原っぱには大きな土管がある
その上に寝転んだり
雑草の茂みにあおむけになる
青い空にひばりが鳴いている
腹が立って腹が立って
悔しくて悔しくて
涙と鼻水と鼻血やタンコブ
膝の擦り傷なんかを感じていると
いつもあの春の香りがした
ああまたこの香りだと思う
忘れていたのに
思い出さなくていいのに
毎年必ずこの香りがやって来た

還暦

を過ぎた今も
毎年ふとあの春の香りを感じる
特に何かを思い出すわけではない
気持ちが温かくなることもなく
切ない訳でも嫌な訳でもない
ただ強力な懐かしさが
胸いっぱいに広がるのだ
それが筆者にとっての
春の香り
ただ懐かしいだけの
春の香り