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Next Lounge~私の鼓動は、貴方だけの為に打っている~第30話 「経験」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
主題歌:イメージソング『Perfect』by P!NK
https://www.youtube.com/watch?v=vj2Xwnnk6-A
『主な登場人物』
原澤 徹:グリフグループ会長。
北条 舞:イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター。
アベル:舞がペルー🇵🇪のホルヘ・チャベス国際空港で出会ったストリートチルドレンの少年。サッカーが得意というが・・果たして。
イバン:舞がペルー🇵🇪のホルヘ・チャベス国際空港で出会ったストリートチルドレンの少年。アベルと共に、孤児院より抜け出して育つ。
イ・ユリ:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 元課長で舞の上司。イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿1部リーグ所属 チェルシーFC エージェントスタッフ。
エウセビオ・デ・マルセリス:元イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿プレミアリーグ2チェルシーFC.リザーブ所属。CF登録。
カルロス・ファン・ソラーノ:ペルー国籍の有望選手。ペルー🇵🇪1部リーグ プリメーラ・ディビシオン所属スポルト・ボーイズ選手。GK登録。
ジュニーニョ・ペルナンブカーノ:母国ブラジル🇧🇷のサッカーコメンテーター兼コーディネーター。現役時代、ブラジル代表として活躍、直接フリーキックによるゴール数77本の歴代最多記録を保持する。
テディ・カルダーマ:ペルー🇵🇪1部リーグ プリメーラ・ディビシオン所属スポルト・ボーイズ監督。
ベラス・カンデラ:ペルー国籍の有望選手。ペルー🇵🇪1部リーグ プリメーラ・ディビシオン所属スポルト・ボーイズ選手。CMF登録。dreamstock(ドリームストック)にて、移籍先をチームからも期待される逸材。
ホルヘ・エステバン:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 エージェント。
マリーナ・グラノフスカイア:イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿1部リーグ所属 チェルシーFCのテクニカルディレクター。フロント主導の移籍交渉と選手契約を担うロシア人女性。舞台裏では、その商談スキルから「プレミア最大の影響力を持つ女性」と呼ばれる。
ルイス・テスティーノ:ベラス・カンデラの専属代理人。

エーリッヒ・ラルフマン:サッカーワールドカップ2014優勝ドイツチーム元コーチ。現ロンドン・ユナイテッドFC監督。

アイアン・エルゲラ:ロンドン最大のギャング組織集団『グングニル』の元リーダー。ロンドン・ユナイテッドFC選手。GK登録。通称アイアン。原澤会長に"舎弟"として気に入られている。
坂上 龍樹:ロンドン大学法学部1年。元極真空手世界ジュニアチャンピオン。ロンドン・ユナイテッドFC選手。CF登録。通称リュウ(龍)。
デニス・ディアーク:元バイエルンミュンヘンユース所属、元ギャング団グングニルメンバーの在英ドイツ人🇩🇪。ロンドン・ユナイテッドFC選手。 CB登録。通称D.D。
パク・ホシ:ロンドン・ユナイテッドFC選手。CMF登録。金髪をオールバックにし編み上げた長髪を背後で束ねた姿がトレードマークの在英韓国人🇰🇷。今の韓流スターとはかけ離れた厳つい表情を本人は気にしている。
ニック・マクダゥエル:イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿とナイジェリア🇳🇬の二重国籍を持つ、元難民のロンドン・ユナイテッドFC選手。DMF登録。通称ニッキーと呼ばれ、アイアンとは幼馴染み。キャプテン。
レオナルド・エルバ:ロンドン・ユナイテッドFC選手。OMF登録。通称レオ。ウェーブがかったブロンドヘアに青い瞳のイケメン、そして優雅なプレイスタイルとその仕草から"貴公子"とも呼ばれる。
レオン・ロドゥエル:特徴的なモヒカンヘアで、表情を変えない北アイルランド人。そのクールさから"アイスマン"と呼ばれるロンドン・ユナイテッドFC選手。LSB登録。

☆ジャケット:ベラス・カンデラ選手、エウセビオ・デ・マルセリスの練習を観戦する北条 舞。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

第30話「経験」

「大丈夫ですか?」
イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター 北条 舞は、ペルー🇵🇪1部リーグ プリメーラ・ディビシオン所属スポルト・ボーイズのクラブハウスをベラス・カンデラ獲得調査のために訪問していたのだが、其処でイングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿1部リーグ所属 チェルシーFC テクニカルディレクター マリーナ・グラノスカイア と運命的な出逢いを果たした。
「まあ、何とか・・はい。大丈夫です。」
舞の横には、元イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿プレミアリーグ2チェルシーFC.リザーブに所属していたエウセビオ・デ・マルセリスが緊張した面持ちで歩いていた。彼は亡き親友べニートの夢の御告げで妹に逢いに来たのだが、そこに居たのが"御告げの女性"舞だった。彼女は事のついでに彼をグラノスカイアに紹介してくれようとしていた。やや俯き加減に歩いていた彼であったが、その大きな体躯が並ぶと舞の華奢な身体は、より一層か細く見え、とても儚げに感じられた。
「彼女の口から"任せて!"という言葉を聴けると良いんですけど・・。」
そんな彼女が、引き攣った微妙な表情を見せたことで、何故であろうか?マルセリスは、落ち着きを取り戻す自分が居ることに気付いた。
やがて、通路を出てピッチへと足を踏み入れた2人の前に、苛立ちを隠し切れずにスマートフォンで通話しながら、がなり立てているグラノスカイアが見えた。
「FIFAは、何て言ってるの?・・確認中!?冗談じゃないわ!・・分かってるわよ・・印象が悪くなる?サッカー見に来てることぐらい、説明なさいよ!」
(やっぱり・・)
舞は目を細めて嘆息した。正直、彼女の中では
、チェルシーSDがここに居ること事態に驚いていたのだ。理由は、FIFA(国際サッカー連盟)から今後2度の移籍市場における補強禁止処分と、60万スイスフラン(約6700万円)の罰金処分を受けたことによるものだ。異議申し立てを行っているものの、処分が確定すればクラブの戦略にとって一大事となるだろう。これ程の事態に、グラノスカイアは何故ここに居るのであろうか?舞は、グラノスカイアの背後からベラス・カンデラ代理人ルイス・テスティーノとスポルト・ボーイズ監督テディ・カルダーマに丁寧な会釈をした。カルダーマ監督が腕を組んだまま、口元に笑みを浮かべてうなづいた。一方、グラノスカイアは2人を見向きもせずに、舞へと視線を向けた。その表情は怒鳴って高揚したのか、赤みを帯びていた。
「待たせて、悪かったわね。」
「いいえ。それより、お時間を頂き感謝致します。」
すると、グラノスカイアは真剣な表情に変わり、舞の目の前に歩み寄って来た。
「残念だけど・・ベラス選手獲得戦から、うちは撤退するわ。」
「FIFAからの通達に、何かあったのですか?」
「やっぱり・・知ってるわよね?当然。」
「すみません・・噂レベルでしたが、此方におられることを伺い大丈夫かと・・。」
「弁護士が『FIFAとの交渉に印象が悪くなるから戻れ!』と言うのよ。今行かなくて、いつ交渉が出来るのか分かっていないんだわ、奴等。」
チェルシーFCがFIFAに対して異議申し立てを行っていることで、FIFAの委員会がこれを棄却した場合、さらにCAS(スポーツ仲裁裁判所)に訴えを起こすことができることになる。確か・・FCバルセロナは14年に処分を言い渡されたがCASへの異議申し立てを行い、処分を覆すことはできなかったものの、処分を15年まで遅らせることに成功している。そして14年夏に約222億円もを投じてルイス・スアレス、イヴァン・ラキティッチ、トーマス・ヴェルマーレン、ラフィーニャ、マルク・アンドレ・テア・シュテーゲン等を大型補強して急場を凌いだ。チェルシーも同様の対応を講じる可能性があると言えるだろう。そうなれば選手確保は必然であるため、事前に移籍対応を済ませたいことは当然と言える。舞としてはグラノスカイアの気持ちが、痛い程に理解出来た。
「ベラス選手は、魅力的でしたか?」
「そうね・・正直、吃音症については問題ありだけど、それを超える能力が期待できるわ。それに南米選手としては珍しくストイックで頑固な所は、練習に気が入らないでいる他の選手達の未来を変えてしまうかもしれない。彼はそういう選手だと思う・・"達人の域"かしらね?」
グラノスカイアは実に興味深い視点で、ベラス・カンデラのことを観ていた。チームが慣れ合いによるモチベーションの低下となっても、彼がひたむきにトレーニングを続けることで、チームのマンネリ化を打破出来ると、そして醸し出す雰囲気で周囲を変えてしまう、そう考えている様だ。
「だから舞さん、先程の貴女の言葉を借りれば、ベラス選手の獲得を応援させてもらうわ。」
「え?」
「マリーナさん、それはどういう?」
テスティーノが、驚いてグラノスカイアと舞の前に割って入った。
「ルイス、ごめんなさいね。折角、お声掛け頂いたのに、期待に応えることが出来ないわ。」
「し、しかし、マリーナ・・それならば、他に手があるのでは?」
ルイスが顔を紅潮させて大きな手振りで彼女を引き止めようとしたのだが、その視線はグラウンドで練習を続けるベラスを捉え振り向きもしなかった。その表情から彼女の無念さが読み取れたが、舞は唇を噛み締めて意を決して話掛けた。
「グラノスカイアさん、宜しいでしょうか?」
彼女は、振り返って舞を見た。
「実は横に居る彼、エウセビオ・デ・マルセリスさんをそちらのリザーブチームに復帰する後押しをして戴こうと思い、こちらに伺いました。」
グラノスカイアは、小首を傾げ目を丸くして舞を見た。
「当然、貴女の背後に居る彼に違和感を感じていたわ。うちの元リザーブ所属選手なの?」
「はい。彼の親友が私共のロンドン・ユナイテッドFCユースチームに所属していたのですが、練習中に急性心筋梗塞により亡くなりました。彼はその悲報を受け、ショックの余りチームを辞したのです。でも、今は気を取り直してサッカーに前向きになってくれています。」
「舞・・」
グラノスカイアが、すまなそうな顔で舞を見た。
「ですよね・・。私が軽受けあいをしたのが悪いんです。お騒がせして、すみませんでした。」
「いいのよ。マルセリスさん、だったかしら?」
「はい。」
「お役に立てなくて、ごめんなさいね。」
「あのう、1つ確認させて貰っても宜しいでしょうか?」
「確認?何かしら?」
舞は背後に居るマルセリスを一度見て、口を開いた。
「彼は正式に退団しているということですから
、フリーと考えて宜しいですよね?」
「勿論・・彼の自由だと思うけど。」
「ありがとうございます、それを聞いて安心しました。」
舞が軽く会釈をしたのを見た彼女は、軽く吐息を吐くと髪を掻き上げて口を開いた。
「ねぇ、もしかしてだけど・・私は今、大魚を逸してしまったのかしら?」
舞は、軽く微笑んでグラノスカイアに応えると、彼女は深くため息をつき、天を仰ぎ目を閉じた。
「悔しいわ・・失策よね。」
と、言った所で急に目を見開くと、スポルト・ボーイズ監督 テディ・カルダーマに向き直った。
「カルダーマ監督、貴方はベラス選手をどうしたいのかしら?」
離れた所に立ち選手達を見ていたカルダーマ監督が、ピッチを見たまま呟いた。
「ベラスは国の宝ですよ、大事なね。」
「そう!自慢の選手なんですよ。」
突然、テスティーノが間に入った。
「ですので、私としては貴女のチェルシーに彼が行くのは賛成出来ませんでした。」
「カ、カルダーマ監督!何を言ってるんだ!?」
突然の監督によるベラス移籍否定に、テスティーノが素っ頓狂な声を上げた。
「ご自分で育てたいと?」
「出来れば・・ですがね。だが、挑戦させてあげたいという親心はある・・葛藤ですよ。」
欧州サッカー界が頂点となって、先行投資的な意味合いを含めた世界中からの若手選手獲得による潮流が生まれて久しい昨今、それは決して楽なことではない。数多な選手達の中で、注目されることだけでも奇跡と言えるだろう。それ故に、選ばれた者達は給料と世界的な知名度が上がるからとヨーロッパを目指す。南米はまだまだ経済的に安定してはおらず、貧しい家庭は沢山あるわけでプロのサッカー選手になれば、それなりの給料を貰えることになるのだが、とにかく治安が良くない。現に脅迫を受けた選手もいるのだから、そんな危険で不安のある地域から抜け出して、より高給なヨーロッパへ行きたがるのは、必然的な事と言えるだろう。クラブも高額な移籍金が入るため、余程でない限り引き留めたりはしないものだ。カルダーマ監督の思いは、列記としたベラスを思う親心と言えるだろう。彼の正義感は、時に不安になるものがある。亡くなった弟の事もある。ここ、ペルー🇵🇪で暮らすのであれば彼は今後、狙われることに敢然と立ち向かうと思われる。その未来を不安視し、移籍を早々に決断したのだろう。
「ウチでは、良くないと?」
「あ、いや、グラノスカイア・・そう言う訳では。」
「若くして外国の異なる環境に放り込まれると、生活やプレースタイルの違いにうまく適応できずに伸び悩むケースが出てくる。選手層の厚いビッグクラブであるチェルシーFCであれば出場機会を減らし、キャリアの上で後退を余儀なくされることも少なくないでしょうに。」
テスティーノは、両手を広げて嘆息してしまった。まさか、カルダーマ監督がグラノスカイアの嫌がる事を言うと思っていなかったからだ。
「私が思うのは、本国で実戦経験が少ない若手がすぐに欧州ビッグクラブへ移籍すると、失敗するケースが多いということです。」
「大事に思えばこそ、欧州中堅のクラブへ移籍して経験を積ませることも重要なことね。勿論、ウチならばそれも出来るわ。周囲のサポート体制がどれだけ整っているかも、選手のパフォーマンスに大きな影響を与えることが多いと思うのだけれど?」
「そうですね。」
「・・。」
グラノスカイアとカルダーマ監督は、互いに腕を組みグラウンドのベラスを観たまま、黙ってしまった。暫くの沈黙後、カルダーマ監督が口を開いた。
「マルセリス・・で良かったかな?」
「え?あ、はい。」
舞の隣に居たマルセリスが呼ばれて慌てて返事をしたのだが、その、顔を見ていた舞が"クスリ"と微笑んだ。
「ベラスを実感してみるかね?」
「いいんですか?」
カルダーマ監督とマルセリスが互いに目を合わせると"ニヤリ"と微笑んだ。
「シューズは?」
「一式、あります。」
「よし!持って来てくれ。」
「舞さん、ちょっと失礼しますね。」
見上げる舞の耳元に、マルセリスは顔を近付けた。
「入団テストです。しっかり、見て下さいよ!」
「え?」
マルセリスは、そう言って背負っていたナップザックを片手にカルダーマ監督の元に向かうと、今度は舞が彼の下に歩み寄った。
「あの、監督すみません。」
「何です?」
「出来ましたら、もう一人、お願いしても宜しいでしょうか?」
突然の舞によるお願いに、そこに居た皆が振り返った。
「仕方ない、サービスだ。呼んで来てくれ。」
「ありがとうございます。」
舞はそう言うと、反転して向かおうとしたところに、再びカルダーマ監督から声を掛けられた。
「あー、北条さん!」
「はい?」
「ちょっと・・。」
呼ばれた舞がカルダーマ監督の元に来ると、彼は彼女の顔を覗き込む様にして囁いた。
「対応が悪くて、すまなかったね?」
「そんな・・お気になさらないで下さい。」
「事前にエステバンさんと貴女からは、連絡を得てましたからね。私はね、あの様な上からの物言いが大っ嫌いでして・・遂、反抗してしまいましたよ。」
「そうでしたか・・。」
合点がいった舞だった。
「因みに、ベラス、マルセリス君、それと・・もう1名でしたか?どの様な所をご覧になりたいのかな?」
「宜しいのですか?」
「貴女が、ベラスをどう観ていたかが分かることだ、是非。」
「そう・・仰られると恐縮致しますが、マルセリスさんは前チームにおいてFWを務めて、もう1人はCBに興味があると言ってました(たぶん・・うん!きっと。)」
「ん?その様な口振りだと・・」
「未来の大器です(だと、いいな・・)。それと、ベラス選手ですが、彼の自慢は"デュエル"に強いことと認識しています。故に、どちらのチームでも実力を拝見出来るかと思うのですが・・如何でしょう?」
カルダーマ監督は顎に手を置き考えた後、"ニヤリ"と微笑んで舞に向かって答えた。
「なるほど・・いいだろう。ここに、連れて来てくれたまえ。」
「ありがとうございます。それと・・まだ、我が儘をお許し頂けるのならば、レギュラーメンバーにCBの彼を入れて貰えますでしょうか?」
「どういうことだね?」
カルダーマ監督が、腕を組んだまま目を丸くして舞を見た。
「GKの彼。彼のキャプテンシーに興味があります。」
「カルロスか?」
この時、スポルト・ボーイズの正GKは、若干19歳のカルロス・ファン・ソラーノといい、カルダーマ監督が次世代のペルー🇵🇪代表選手になる!と期待を寄せているU-19選手の逸材だ。
「その不慣れなCBを目の前にした時、カルロスがどの様に対応するのか?そういうことかね?」
「すみません。練習を拝見していて、気になりました。彼の視線は、常に仲間を観ています。時に、声を掛けてもいました。実に、興味深い存在です。」
「謝ることなんかないよ。いや、実に面白いことになってきたね。かえって感謝するよ、北条さん。よし!皆、練習をやめてくれ!15分後にトレーニングマッチ(紅白戦)をするぞ!コーチ達は来てくれ"」
カルダーマ監督がその場を離れると、コーチ達が彼の元に歩み寄ってきた。舞はグラノスカイアへと振り向いて会釈をし、その場を離れようとしたところで彼女に声を掛けられた。
「舞さん、監督は何と?」
「(名前を言わないのね・・)チーム分けに要求はあるのか?そう聞かれました。」
「そう・・で、貴女の希望は?」
「『ベラス選手は"デュエル"に強い選手ですから、どちらのチームでも魅せてくれるのでは?』そう、伝えました。」
「なるほど・・。」
グラノスカイアの視線を追った舞は、彼女の視線がピッチ横で着替えているマルセリスを捉えているのを確認した。堂々とパンツ1枚になり着替えている姿を目視した彼女は、顔を赤らめて視線を一瞬外したのだが、その後、ゆっくりと視線を戻してマルセリスの身体に見入った。
「本当・・失策だわ。」
舞はグラノスカイアが横に来て呟いたのに"はっ!"として振り返るまで気付かなかった。
「あの身長で、研ぎ澄まされた身体よね。まるで、アメフト🏈選手の様だわ。」
確かにそうだった。190cmを優に超える身長が見事にビルドアップされていた。一般的にこの様な高身長の選手は、肺機能に負担が多く掛かってしまいがちなのだが、彼の場合、その不安は微塵も感じられなかった。"ぼー"と見つめていた舞は、突然"はっ!?"と気付くと、グラノスカイアに会釈して観客席へと駆け出して行った。
「ふふ♬結構、可愛い所があるわね、彼女。」
やがて、ペルナンブカーノ、ホルヘ、アベル、イバンの座る観客席の下に舞が到着し、イバンが1番手前の席から身を乗り出した。
「どうしたの、舞?」
「うん・・あのね、アベルに話があるの!」
アベルは、ゆっくり立ち上がるとイバンの横に並んだ。背後にペルナンブカーノ、ホルヘが立った。
「なに?」
「ピッチに降りて来てくれない?」
「何で?」
「これから、トレーニングマッチをするんだって。」
「だから?」
「それにね、出て欲しいの。」
「誰が?」
「アベル。」
「・・お前、頭おかしいんじゃないか?」
至極、当然かもしれない。ストリートチルドレンの来年14歳でしかない少年に、プロのサッカー選手と競え!と舞は言ったのだ。
「俺も見てみたいなぁ〜♬」
「お前まで・・何言ってんだよ?」
「だってさ。これって、すげぇチャンスじゃん!」
「めちゃくちゃ、恥をかくだけだろうが!」
「いいじゃない・・恥かいたって。」
「ふざけんなよ!!」
「あー、逃げるんだ?」
「逃げてんじゃねぇーよ!お前が言ってることがめちゃくちゃだ、そう言ってるんだよ!!」
「逃げてるじゃない!」
「話になんねーよ・・。」
アベルは舞との口論の後、その場を離れて出て行こうとした。
「舞ーー!俺でもいい?」
突然、イバンが手を挙げて立候補した。舞が目を丸くして見ていたが、その内にすまなそうな表情をして口を開いた。
「ごめんね・・イバン。」
「ほら、俺じゃ駄目だってさ!お前がいいんだって。」
アベルが振り返ってイバンを見ると、彼は"ニカッ!"と微笑んだ。
(お前は、恥をかかないからいいよな・・)
そう、言おうとしたのに声が出なかった。求められる者と、求められない者。果たしてどちらが幸福なのか?彼は既に理解していた、求められる者が為すべきことを・・。俯いて立ち尽くす彼に、舞が再び声を掛けてきた。
「アベル・・貴方は、これから貴重な経験をすることを理解してる?」
声を掛けられたアベルが、振り返ってピッチ横の舞を見た。
「"学問なき経験は、経験なき学問に勝る"イギリスの諺よ。本当の天才とは経験から学んで、学問がなくても成功することが度々あるものなの。逆にね、学問があっても断片的な知識ばかり詰め込んでいて、実際の現場では全く役に立たないことが多い人も居るわ。学問がなくても、実際の現場を洞察する目を持っている人は、現場から真理を読み取って上手に成功へと導くものなの。それができる人にとっては、学問なんて不要だと言えるわ。」
「俺・・何のことだか、さっぱりだよ。」
イバンが、お手上げとばかりに両手を広げて戯けてみせると、ペルナンブカーノとホルヘも互いにアイコンタクトをし、舞の言葉を理解しようとしていたのだが、アベルだけは違っていた。
「俺に、如何しろって言うんだよ・・。」
「もし、アベルが恥をかくというのなら、当然、薦めた私も同じことになるわ。でも、そんなの気にならない!貴重な体験なのよ、全力で行きなさい。」
アベルが顔を上げてピッチに視線を送った時だった、ピッチ上に居たマルセリスが手でアベルを呼ぶ動作をしたのだ。アベルは深く息を吸って吐き、舞を見て口を開いた。
「後悔するなよ!」
「望む所だわ。」
アベルが振り返ると、目の前に左手を挙げたイバンが見えた。
「楽しんで来いよ。」
「分かったよ・・。」
横を通り過ぎる時"パシッ!"と2人はハイタッチをすると、アベルは舞の下へと走って向かった。
「やりたかったくせにさ・・。」
「チーフは何を考えているのでしょう?本気でアベル君をプロ選手と対戦させるつもりなのでしょうか?」
ペルナンブカーノの隣に居たホルヘが座ってピッチを見つめた。
「どうかな・・慈善家なのか?其れとも、サッカー選手の目利きが桁違いなのか?よく分からんよ。」
ペルナンブカーノが深く席に腰掛けて呟いた。
「両方だよ。」
「両方?舞がか?」
イバンの呟きに、ペルナンブカーノが振り返って問い返した。イバンは、手前の手摺りに寄り掛かって答えた。
「舞は、きっと本気なんだ。俺達を何とかしようと・・その中で、アベルの才能に気付いたんだと思う。サッカーしてるとさ、アベルが居るチームが必ず勝つんだ。だって、アベルが居るとシュート打たせて貰えないからね。」
その顔は、嬉しそうで結構自慢気だ。
「チーフの目利きは、確かだと思うよ、思うけど・・。」
ホルヘも舞のことを、気にかけていた。ペルナンブカーノは、ホルヘを見ていた視線をピッチに居る2人へと移した。
(凄いことになってきたな。お手並み拝見と行きたいが・・)
紆余曲折もありながら此処に来たペルナンブカーノも、また未来のSDとして大気なる器である。彼は腕を組むと息を吸って、ゆっくり吐きながらピッチに居る舞を見つめた。
「遅〜〜い!」
腰に手を当て胸を張った舞が、膨れっ面をしてアベルを待ち受けた。
「来たんだから、あまりうるさいこと言うなよ。」
アベルは、舞の前にゆっくりと歩いてストレッチをしながら現れた。
「アベル・・連携に関しては難しいから、デュエルに専念するといいわ。」
「"デュエル"?何それ?」
「"デュエル"は2人で戦うこと。つまり、1対1の場面という意味で使われるの。デュエルの勝利数は1対1の場面での勝ち星と考えられるわね。」
「何それ?カッコいいじゃん!」
「でも、そんな単純じゃないわよ〜。」
「何だよ"専念しろ"と矛盾してるじゃん!」
「ご・め・ん!とにかくさ、ヘッディング(空中戦)での競り合い、ルーズボール(こぼれ球)の奪い合い、ドリブルで仕掛けたり仕掛けられたりする場面なんかで勝つことが重要だということなのよ。」
「それで?」
「当たり負けしないフィジカル(身体)とか、相手の動きへの読みの速さと正確さとか、安定した下半身(重心が低いこと)を維持出来るかとか。」
「他には?」
アベルに屈伸しながら問い掛けられたことに、一瞬、舞は目を丸くした後、続けて答えた。
「そうね・・如何に一歩目の初速を上げれるかとか、ピッチを俯瞰してみる視野をどう捉えるかとかだけど・・。」
「分かった、行ってくる。」
「う、うん・・頑張ってね。」
アベルは素直に舞に一言告げると、カルダーマ監督の下へダッシュで向かって行った。その後ろ姿に舞が両手を握り締め胸の辺りに添え声を掛けた。
「大丈夫かね、彼?」
いつの間にかペルナンブカーノが舞の右横に来て、腕を組んでピッチに居る選手達を観ている。左側にはイバンが立ち、その横にホルヘが立った。
「チーフ・・随分、思い切ったことをしますね?」
ホルヘは聞かずには、いられなかった。彼の常識から逸脱しまくる上司 舞に、部下として自分がどの様にしたら近付けるのか?今のところ、その可能性は全く計れないでいるのだから。
「そう?ねぇ、それよりホルヘ、撮影を頼める?」
「あ・・はい、分かりました。」
ホルヘは試合の映像を収めるため、カバンの中からハンディカムを取り出した。
「なぁ、舞?私には、あのアベル君がプロのプレイヤーと競り合うことなど想像出来ないが、彼自身、如何すべきなのかを分かっているのかね?」
ペルナンブカーノも、舞に聞かずにはいられなかった。
「彼の長い手足と頭の回転の速さ、それに強いハートは、十分に興味深いものがあります。」
「アベルならやるよ"頑張れ、アベルーー!!"」
舞達3人がイバンを見ると、彼は誇らし気にピッチに立つ友人にエールを送った。どうやら、カルダーマ監督は、アベルにスパイク、脛当てを貸してくれた様だ。選手達と輪の中で、履き心地を確認しているのが見えた。ペルナンブカーノとホルヘは、互いの顔を見合わせて首を傾げるしかなかった。
(ここで派手にやられまくってもいいから、経験しておいで・・アベル。)
舞はペルナンブカーノ、ホルヘの方を向くことが出来なかった。彼女自身、余計なことをしてしまったか?と気にかけてのアベル出場だったのだ。
「舞、大丈夫だよ。」
「え?」
「心配ない!アベルなら、大丈夫さ。」
舞の顔をイバンが見て"ニカッ!"と笑顔を見せた。その笑顔を見て、彼女の中にある不安・後悔が霧散するように消えて行く。イバンの肩に触れた彼女は囁く様に、
「ありがとう。」
と呟くのだった。
いよいよ、テストマッチが始まる。ベラス、マルセリスが🅱️チームに、カルロス、アベルが🅰️チームに入った様だ。
「アベル君・・一軍(🅰️)に入ってませんか?」
「おいおい、監督は何を考えているんだ?」
ホルヘとペルナンブカーノが呟いた瞬間に主審を務めるコーチの笛が鳴った。中央サークルに居たマルセリスは、後方のベラスにボールを出すと前線へと上がって行く。ベラスは更に後方にボールを送り、左サイド寄りにポジションを取った。やや、ゆっくりとした立ち上がりであったが、舞は忙しなく視線を動かしていた。仕切りに聴こえるソラーノの大声は、アベルを含むDF陣を統率している。ベラスは?と視線を彼に移した瞬間、ハーフライン手前に居た彼から前線に居たマルセリスへとパスが通った。彼が敵陣へと身体の向きを変えた瞬間、🅰️チームの中盤選手がプレスして来たのだが、マルセリスの後方から一陣の風の様にベラスがダッシュで侵入し、背後を交差する様に通り過ぎる瞬間、マルセリスがラボーナフェイントでパスを出した。彼はそのボールを受けキープしつつドリブルを敢行すると、右サイドの仲間にパスを出し前線へと躍り出た。
「ラインを下げろ!抜けるぞ!?」
ソラーノの大声が響いたが、右サイドの選手によるワンタッチパスがループ上に🅰️チームLSB選手の頭上を越え、ボールがベラスの左脚にまるで吸いついたかの様にくっ付いた。
「ベラスの利き足は左だわ、右サイドから如何するのかしら・・。」
「上げるぞ!」
ペルナンブカーノの声に遅れること数秒して、ベラスが右脚でボールを振り切った。ゴール前では、バイタルエリア手前のファーサイド(ボールから遠いゴールサイド)から中央に、マルセリスが一気にDFを引き離して駆け入って来た。ソラーノが飛び出ないでゴール前を固める。それもそのはず、ベラスの上げたクロスは低弾道ロブとなり、一直線にゴール前に上がって来たのだ。しかしその時、マルセリスの侵入コースに人影が手前側に駆け入って来た、アベルである。
「チッ!?」
マルセリスは舌打ちしながらジャンプをすると、彼の手前にアベルが飛び込みベラスのクロスを頭の皮一枚で逸らした。ボールは、エンドラインを割り🅰️チームボールとなったが、アベルは勢いよくマルセリスと交錯し跳ね返されグラウンドに派手に転がった。
「きゃっ!アベル!?」
舞は両手で口元を押さえ、思わず目を見開き叫んだ。倒れたアベルをソラーノが近寄り引き上げると、背中を"ポン!"と叩き褒め称えた。
「Que barbaridad(やばい)、アベルーー!!」
イバンがガッツポーズで叫ぶと、アベルが痛そうな顔をしながらも、左手を挙げて応えた。
「凄いな・・舞、彼は素人の少年だよな?」
「ええ。マルセリスさんの希望コースを読み、そこに体勢を崩しながらも恐れず飛び込むハートを持ち合わせてるなんて・・ちょっと、驚きです。」
ベラスがボールを持ち、右サイドのコーナーフラッグ辺りにボールを置いて背後へと下がってゴール前を確認した。左利きの彼だ、巻いた形でゴール前にセンタリングが来るのだろうか?舞はゴール前に目を移してみると、其処では熾烈なポジション獲りの攻防が行なわれていた。当然、アベルはフィジカルで負けてしまい、思うようにポジションが獲れないで苦戦しているが、マルセリスは果敢にポジション獲りを敢行している様に見えた。と、ベラスが手を挙げてセンタリングを上げる瞬間、一斉に選手達が動き出した。ボールは高い軌道のロブとなりゴール前に迫ると、マルセリスはDF陣をかき分けその落下地点に見事入り込んだ。アベルは・・無理もない、完全に競合いから遅れてしまったようだ。だが、GKのソラーノがパンチングでクリアしようとマルセリスの後方から入り込むと、マルセリスは腕でスペースを作りゴール前中央のバイタルエリアに居る選手へと、ヘッドでボールを流した。落ちて跳ねたボールの先に🅱️チームの選手が居て、そのボールをゴールへと蹴り込んだのだ。決まった!そう思った瞬間、ゴール前、横から脚が伸びて来るとギリギリでクリアした!?アベルである。観客席から、歓声と響めきが起こった。🅰️チームの面々がアベルに近寄り、頭を叩いたり、肩を揺さぶったり、背中を小突いたりして讃えまくった。
「いい読みだ。失点を防ぐのは得点に値するからね、今ので彼はチームからの信頼を得た。」
だが、ペルナンブカーノの呟きを聞いた舞の顔に笑顔はなかった。相手の攻撃を無事に凌いだのだ・・喜んでもいいだろうに、とホルヘが怪訝に思い彼女の視線の先を追うと、其処にはマルセリスとベラスを含む🅱️チームメンバーが会話をしているのが見てとれた。その輪から一人の選手が、左のコーナーフラッグ辺りにボールを持って入る。先程とは異なり、ゴール前に🅱️チーム選手は居ない。皆、ペナルティエリアギリギリに配した。緊張感が増す中、キッカーが手を挙げてセンタリングを放つと、ボールは高い打点でファーサイドにダッシュで走り込むマルセリスへと向かうと、彼はジャンプ1番!中央へとボールをヘディングで折り返した。そして、其処に走り込んで来た影が2つ、ベラスとアベルである。ベラスがボールをトラップしようとした瞬間、ファーサイド、ゴール前からアベルは脚を伸ばし、爪先でボールを何とか弾いた。直後に舞は信じられないものを見た。ベラスはアベルが弾くのを予測し、そのボールをダイレクトボレーで打ち返したのだ。"バン!!"轟音と共に、ボールはゴール🥅左隅にシュート回転しながら突き刺さった。GKのソラーノは、そのシュートに対して一歩も動けなかった程だった。"うぉー!!"と言う選手達の歓声に掻き乱され、集まった和の中心でベラスが揉みくちゃにされていた。
「ス、スゲェーー!」
「カウンターで決まりましたね。」
「凄いな、プレイに華がある。寡黙な分、迫力が増しているかのようだよ。」
イバン、ホルヘ、ペルナンブカーノは、互いの顔を見て意見を言い合う。ホルヘは、思わずハンディカムのビデオを落としそうになり慌てて抑えた。それ程に、ベラスのプレイは人を熱くさせるものがあるのだろうか?だが、舞の視線は違う所を見ていた。彼女の視線は、アベルとソラーノを捕らえていたのだ。ソラーノが両膝に手を当て項垂れたアベルに耳打ちをしている。何かを言って彼の腰を"バン!"と手で叩くとチームメイトへ声を上げた。
「やられたら、やり返せよ!決めて来い!!」
🅰️チームの面々から歓声が上がった一方で、マルセリスとベラスは何やら会話をしている。舞は、視線をカルダーマ監督とグラノスカイアに移した。カルダーマ監督は腕を組み興奮気味にピッチを見ているのに対し、グラノスカイアは口元を歪めて不満気に見える。無理もない・・舞が見る限り、マルセリスとベラスは別格なのだから。やがて、笛が鳴り試合が始まった。🅰️チームボールでキックオフは再開されたが、🅱️チームの面々は自陣に戻り貝の様に守備を引きプレスを掛けようとしない。🅰️チームがパスワークをし始めて数回
、出し所を模索し中央のアンカー選手にボールを戻そうとした瞬間、マルセリスが全力でチェインシングをし掛けた。これに慌てた🅰️チームのアンカー選手が後方にボールを戻したのだが、マルセリスがそれを見逃すはずもなく全速力でボールをインターセプトした。慌てた🅰️チームのアンカー選手脇を人影が高速で抜き去った、ベラスである。マルセリスの目の前に居るアベルは、距離を保ちつつ後方へと下がり始める。相方のCBがマルセリスへと詰めた瞬間、ソラーノの怒声が響いた。
「バ、バカ野郎!?何、出てんだ!下がれ!!」
その声に反応がズレたCBを観たマルセリスが、左前方にボールを蹴り出し自らは、そのCBの左側を駆け抜けゴールファーサイド側へと全速力で向かった。一方、左サイドではベラスがボールに追い付きペナルティエリア内に侵入しようと試みていたのだが、アベルがマルセリスを警戒しながらゴールニアサイド付近を守っているのを確認すると、彼はエンドラインに向かってドリブルを敢行した。アベルは身体の向きを変えつつ、ベラスの左脚を警戒する一方で、マルセリスへのパスをシャットアウト出来るかを考えていた、その時だった。
「悩むな!ゴールは俺が死守する。」
ソラーノの大声を聞き、アベルは視界の右端に彼がゴールニア側を警戒しているのを確認すると、接近するベラスを斜に構え迎え入れた。
「アベル・・」
舞が両手を胸の辺りで合わせて、まるで祈る様にアベルを見守っている。視界右端にマルセリスが入ったのを確認したベラスが左脚で右に切れ込もうとし、アベルの身体が反応しないのを見て直ぐに右脚でゴールエンドライン方向へとドリブルに変えた、はずだった。アベルの重心が右脚に移った瞬間を予測したベラスは、再び左脚でボールを右へと弾く様にして出し、アベルの左側にボールを送ると、アベルは逆を突かれてたたらを踏み脚を出すのさえ出来なかった。そこでベラスは、ペナルティエリア内に侵入したマルセリスに対して、彼の身長を生かしたプレイのロブパスではなく低弾道のグラウンダーによるパスを高速で放った。アベルが体勢を崩したまま遅れて脚を伸ばそうとしたが、全く間に合わない。ロブを予測していたソラーノは思わず舌打ちをし飛び出して防ごうとしたのだが、それより早くマルセリスが手前に駆け込んでニアに駆け抜ける素振りをしたことで、彼はいよいよ、ニア側に態勢をシフトした。マルセリスはゴールニアサイドを警戒したソラーノに対し、左脚にてワンタッチのバックヒールでボールをファーサイドにダイレクトに送り込んだのだった。プレイを観ていた観客からは、感嘆の声と拍手が彼方此方から発生した。マルセリスはベラスに笑顔で歩み寄ると、両手でハイタッチ、抱擁し互いを讃えあった。
「ひゃーー!あの図体で、何ちゅう素早さだよ。しかもテクニックも持ってるんし、対応出来ないじゃん!」
イバンが頭を抑えて嘆息した。
「彼は豪快なプレイのイメージがあるが、予想より柔軟なプレイをするようだな。しかも、臨機応変にアクロバティックなプレイまでできるとは・・。」
「これで、チェルシーFC.リザーブ所属ですからね?何故、1部に所属出来なかったのでしょうか・・理解できないです。」
ペルナンブカーノは、マルセリスの即時対応出来るFWとしてのIQの高さに舌を巻き、ホルヘも彼が間違いなく世界トップレベルの選手であることを悟ったが、それと同時に"はっ!"と我に帰り上司である舞を見た。まさか、今までのマルセリスと彼女のやり取りは、この時を含め全てが思惑通りであったのだろうか?グラノスカイアと直接会って断りの免罪符を得たことで、マルセリスの後顧における憂いを絶ったとするならば・・と考え始めて、改めてそのきめ細やかさに柔軟された発想の展開に畏怖する思いであった。一方でその舞だが、彼女はリュウとのツートップの一角にマルセリスを配することを既に構想に入れていた。正直、思った以上のプレイをした彼に驚愕はしたのだが、それ以上にベラスの個としてのドリブル技術、状況判断の素早さとアシストの正確さ、そして、今も目の前で話し掛けて来るマルセリスに聞き返されながらも丁寧に答えている姿を見て、2人のコミュニケーション能力の高さを認識した思いだった。理論と精神論を融合させたチーム作りを推進するエーリッヒ・ラルフマン監督にとって、2人は最高のピースとなり得るであろう。とマルセリス、ベラスを捉えていた視線の端に再び身体を屈めて膝に手を当てて項垂れているアベルが入った舞は、声を掛けようとして躊躇した。傷付いた男の人を癒す言葉、励ます言葉を掛けることが良い事なのかどうか、この歳になり経験が薄いことに気付いた彼女は我ながら情けない思いがして唇を引き締めると、テスティーノ監督の声が飛んだ。
「リトリートで下がっていた相手だ!カウンターには気を付けろ!!下手なバックパスは駄目だ。」
其処でアベルの背後に居たソラーノが、再びチームの皆に対して声を上げるのを観た彼女は、自然と声を張り上げていた。
「前を向けよ、皆!俺らは1軍だぞ!諦めてどうする?2軍と替わるのか?攻めろ、攻めろ!」
「アベル〜!エンドライン警戒は良い判断よ、悪くないわ。でも、バイタルエリアに侵入させるのはダメ!中へは侵入させちゃ駄目よーー!」
もしかして、アベルは不機嫌になるだろうか?そう思った舞であったが、彼は身体を起こし天を仰ぎ深呼吸をすると腰に手を当てて前線にいるマルセリス達を鋭い眼光で睨んだ。
「アベルの奴、もう自分が歳下だとかそんなこと思ってないよ。」
「え?」
「昔からそうなんだ。負けん気が強くてさ、歳上だとかそんなことアイツには全く関係ないんだ。」
イバンは、グラウンドに立つアベルを見つめて呟いた。
「"断固たる意思"というものは、非常に重要なものだ。アベル君がそれを持ち合わせているとするならば、今後、必ずや彼の成長は促進されることになる・・」
「それじゃ、駄目だ!」
「えっ?」
ペルナンブカーノが「アベルの今後が楽しみだ」そう言おうとしたところでイバンがそれを遮った。
「今なんだ!未来は"今でしか変えられないよ"」
舞はビックリしてイバンを観ると、彼は三度目となる"ニカッ!"を彼女に魅せた。
「イバン・・何処でそのことを知ったの?」
「え?別に・・だって、そうじゃん!過去って、今あることの成れの果てでしょ?」
「"成れの果て"が過去って言うか・・まあ、うん、そうね。」
舞は困惑しながらも目線を宙に彷徨わせた後、ピッチに視線を移しているイバンを見て納得した。
(子供達はちゃんと考えてる・・。)
大人達が思う以上に、子供達は世の中を観ている。彼女はアベルとイバンの"心"について考えてみてふと、あることを思い出した。それは自分が共感したり、他者から共感されたりする体験で生まれる『共感スイッチ』というものだ。
例えば、泣いている赤ちゃんに対してお母さんが『どうしたの?』と声をかけたり、頭をぶつけた子に『痛いの痛いの、飛んでいけ~』と言ってさすったり、失敗して落ち込む子に『大丈夫?』と抱きしめてあげるとする。すると、その子は『共感された』『愛されている』とよい気持ちになり、そのスイッチが入るのだ。共感体験によって心地よさが蓄えられ、子供のスイッチも活性化する。そして、似たような状況下で今度は自分自身が他者に対し同様の行動ができるようになってくる。人はやさしくされた経験が多ければ多いほど、心が裕福に育ち、他者にもやさしくなれるのだということ・・らしい。これを思い出した舞は、改めてアベルとイバンを観て2人に対する将来の決意を新たにしたのだった。
再び、センターサークルより、🅰️チームによるキックオフとなったが、🅱️チームは再びハーフラインより下がってリトリートの守備陣形を引いたのだが🅰️チームの攻撃陣は、パスカットを警戒して攻めあぐねていた。
「マルセリスのチェインシングが見えない圧力となっているね。しかし、このままでは・・」
ペルナンブカーノが腕を組んで呟くと、ソラーノの大きな声が聞こえた。
「負けてるんだぞ!🅰️チームのくせにビビるな!!」
ボールをキープしていた選手は、周囲を確認しながらパスを送り始めたのだが、中央先頭に居るマルセリスを警戒しているため、パスがどうしてもバックパスメインの単調なものとなってしまっていた。時にインターセプトを匂わせる激しいチェインシングが攻撃側である🅰️チームの選手達を、更に混乱させる。当然、中央に居るマルセリスを諦め左サイドからの攻撃を展開し始めた。
「ベラスの居る右サイドを攻めて欲しいが・・酷な事かな。」
ペルナンブカーノの呟きを背景に🅰️チームが左サイドより攻撃を展開し崩しに掛かると、ワンツー、ムービングと選手間の距離を縮めながらコーナーフラッグ方向に左ウィングの選手が膨らんだ。ボールを保持していたCMFの選手がゴールエリア手前に出てきたCFの選手にボールを入れるとワンタッチでエンドライン側にボールを流す。其処にLWGの選手が🅱️チームのRSBを抜き去りボールを受けたのだが、🅱️チームのCBに進路を防がれて後方にパスを戻した・・はずだった。突如、人影が飛び出して来るとボールを左脚でインターセプトしてしまった、ベラスである。
「逆サイドに居たのに、読んでたか!?」
「守備範囲が広過ぎますよ。」
ペルナンブカーノとホルヘの言葉が終わるか終わらない間際に、ベラスは一度、前線のマルセリスを確認すると背後からボールを取りに来るLWGの選手を警戒し右脚を大きく素早く、だが振り切らなかった様に見えた。
「お!?」
ペルナンブカーノがベラスのキックを観て声を上げた。ボールはフライパスとなり、マルセリスを超えて右サイドへと向かったため、🅰️チームのCBはボールの跳ね具合を考慮して回り込む動作をした。それに対しマルセリスは迷うことなくボールに追い付く位置へとダッシュして行ったのだが、その同方向へと懸命のダッシュで近付く🅰️チームの選手が居た、そう!アベルである。
「嘘でしょ!?」
舞の思わず発せられた大きな声に、イバンが肩を一瞬窄ませて顔を見た。フライパスはCBの前で跳ねると、着地点に留まる様に上へと跳ねた。
「バックスピンロブか!?」
ホルヘの言葉の通りにボールは、見事にマルセリスへと転がる・・そう思われた刹那、アベルが一歩早く懸命にスライディングをしてボールに爪先を当てるとボールはサイドラインを超えて行き、後から全力で走って来たマルセリスがアベルを飛び越えて避けた。
「うわ!アベルが追い付いたよ、舞!?」
「いい判断だ!ちょっとでも躊躇したら、届かなかったな、きっと。」
「マルセリスとベラス、彼等は何故、バックスピンを読めたのでしょうか?」
ホルヘが首を傾げてペルナンブカーノに問い掛けた。イバンもペルナンブカーノの顔を見上げる。
「『感』そう言っていいだろう。彼等は、ベラスのフライスルーパスに何か意味がある・・そう思ったに違いない。」
「なるほど・・。」
イバンが偉そうに腕を組んで頷いたのを横で聞いていた舞は、ベラスへと視線を移すと彼は口元に笑みを浮かべて嬉しそうにしていた。
「本当に『感』だけかしら?」
「え?」
ホルヘとイバンが声のした方に振り向くと、其処にグラノスカイアが腕を組んで立っていた。
「そうでしょ、舞?」
グラノスカイアに問い掛けられた舞は、ベラスを見つめたまま口を開いた。
「ベラスが笑ってるわ。」
「え?ベラスがですか?」
ホルヘか舞に聞き返すと、彼女はペルナンブカーノに顔を向けた。
「ペルナンブカーノさん、ベラスのキックですが、私にはボールの下の部分目がけて蹴った様に見えました。振り抜かないあの蹴り方は、バックスピンを掛ける時では?」
皆の視線がペルナンブカーノに向けられた。それもそのはずで、彼は稀代のキッカーだ。
「マルセリスの居た位置からベラスを見た時、流石にキックモーションから判断は出来ないと思うがね。」
「そうですか・・。」
「バックスピンを蹴るためには"ボールの下をこする様に蹴る!"イメージが必要なんだ。ここで言う"ボールの下"というのはボールと地面との接地面を指すんだが、バックスピンを蹴るためには"ボールの下側を正確に捕らえる技術が必要だろうな。それに、足を上にすくい揚げなくてもボールを遠くに飛ばせる技術、それが必要となるよ。」
「マルセリスとアベルは、予測で動いた?でも、ペルナンブカーノさん、貴方は先程ベラスがキックした直後に声を上げましたよね?あれは・・」
「聞いていたのかい?参ったな!勿論、私は分かっていたよ。」
「えっ、だって・・」
「マルセリスに判別させるのは酷だと思うよ、イバン。彼はキッカーではないからね。バックスピンロブは、独特な蹴り方なんだ。蹴ったあと足が上に上がらず地面に沿っているのが見えた。あれは、ロングパスでバックスピンをかける時、ボールを蹴るのが実はインフロントよりももっと指先であることの証なんだ。」
「そうですか・・。」
ペルナンブカーノの話を聞いた舞は、今後、選手達のために"キックモーション検定"の様な試験でも行おうか?と思った。それにしても、ベラスはあの若さでどれ程のポテンシャルを秘めているのだろうか?
「舞、ベラスは左利きだったよな?」
「はい。」
「アシストしたグラウンダーパス、フライスルーパスは、共に逆脚で行っていた。もし、利き足でパスを行なっていたなら・・そう思うと楽しみが一層増えるね。」
ペルナンブカーノが自分と同じ様に思っていた事を知った舞は、口元に自然と笑みが溢れた。
「よく、追い付いたな。NICEプレーだ。」
ベラスのフライスルーパスを、既の所でクリアしたアベルに手を差し伸べたマルセリスだったが、彼はその手を借りずに立ち上がると一言口を開いた。
「何で上から目線?敵同士だろ?」
アベルはそう言うと、振り向かずに自陣へと走って行き、もう一人のCB選手が彼にハイタッチした。差し出した手の行き場に困ったマルセリスが、その手で髪を掻き上げた。
(確かに、その通りだ。なるほど・・舞さんがあの歳なのに試合に出した訳だ。いい根性をしている。)
マルセリスは一度アベルに視線を送ると、直ぐにサイドラインに沿ってダッシュをし、サイドスローから仲間が出したボールを受けようとしたが、それを間に入ってきた🅰️チームの選手がインターセプトした。観客席からも『おー!』という声がしたが、選手が前を向いてパスコースを探している時だった。
「油断するなーー!?」
ソラーノからの絶叫と同時に、マルセリスはボールキープをしていた選手の横前から左肩、左脚で強引にボディーコンタクトを行い、弾き飛ばしてボールを奪ってしまった。あまりのパワーでチャージをされた選手は、後方に弾かれて尻餅を突いた。線審をしていたコーチも笛を構えたが、直ぐに首を横に振った。
「あれーー!?ファールじゃないの?」
「彼、遂に本気になったのね。」
イバンが目を見開いて舞に確認を求めた直後、グラノスカイアがペルナンブカーノの横に立って声を掛けてきた。
「厄介な選手だ。ラインブレイカーでもあり、ポストプレイヤーでもある気がしますね。」
「あのフィジカルをどう活かすのか?フェイクだったら、笑えるんだけど。」
グラノスカイアは腕を組んで笑っていたが、この後、彼女の顔から笑顔が消えることになる。
ボールを奪取したマルセリスがセンターサークル辺りに居た仲間にパスを出し、そのままペナルティエリア手前に入ってくると、🅰️チームのDMFがピタリ!とマークした。🅱️チームによるパス回しが始まったが、さすがに🅰️チームメンバーは崩れそうにない・・そう思われた直後、ベラスから中央のマルセリスへと鋭いパスが入り、彼は🅰️チームのDMF選手を背負いボールをキープした。ベラスはパスを出した直後にペナルティエリア内に侵入しようとしてアベルに向かって来た。アベルがパスコースを遮断するためマークするとマルセリスは、身体を左右に振る素振りをし右サイド側から一気にターンした。
「速い!?」
ホルヘのあげた声を背に受け、彼は右脚を振り向いた勢いそのままコンパクトに振り抜いた。それは、当に一瞬の出来事だった。無回転のボールにソラーノが横っ跳びするもゴール🥅左上隅へゴールポストに当たって突き刺さってしまった。あまりの衝撃にゴールポストが揺れている。ソラーノは勢いよく転がり立ち上がると、ボールが指にさえ擦りもしなかったことを悔いているのか、ゴールポストを蹴飛ばした。
「えーー!?今のを決めちゃうの!!」
イバンが両手で頭を押さえて大声をあげた。カルダーマ監督が視線に入った舞は、彼が右手を顔の前で"ヒラヒラ"させて"あり得ない"とアピールしているのを観た。
「本領発揮というところですか?躊躇なく打ちましたね。」
「うん・・。」
ホルヘが話し掛けてきたのだが、彼女は適切な言葉が思い浮かばずに黙ってしまった。
「グラノスカイアさん・・彼が何故、リザーブチームに?」
ペルナンブカーノが問い掛けるも、彼女からの返答はない。最早、彼の言葉は皮肉にしか聞こえないのだろう。彼女は鋭い視線でピッチ上のマルセリスを観たが、やがて振り返ると舞に声を掛けた。
「舞さん、私はこれで失礼するわ。」
「え?あ、はい!お疲れ様でした。」
と、グラノスカイアが彼女の元に近付いて来た。
「ねぇ!プライベートな連絡先を教えて頂戴。」
「プライベートの・・ですか?」
「嫌かしら?」
「いいえ!ありがとうございます。」
グラノスカイアは、舞と連絡先を交換するとピッチに居るマルセリスを再び観て口を開いた。
「皮肉よね。ペルー🇵🇪に来て、慢心に気付かされたわ。」
「慢心だなんて・・トップが現場の声を全て聞くというのには到底無理がありますから。」
「気休めでも、ありがたいわね。舞さん、近い内にロンドンで会いましょうよ?」
「はい。」
「ユリ!帰るわよ。」
グラノスカイアが颯爽とグラウンドに背を向け後にすると待っていたユリの横を通る際、そのユリが舞に対して鬼の様な形相で睨んで来た。あまりの事に、舞は目を丸くして肩をすくめた。
「何だね・・あれは?」
見ていたペルナンブカーノが、舞を心配して声を掛けてくれた。
「私のことが、気に入らないのかと・・。」
「キミの事を知っているのかい?」
「彼女は、私の元上司でした。」
「えっ?では、辞めてチェルシーFCに?」
「はい。」
「そうか・・なるほど、グラノスカイアがキミに親しくしたことに嫉妬したんだな。」
「そんな、嫉妬だなんて・・。」
恐らくペルナンブカーノの想像は、難くないだろう。舞は、彼女の毒蛇の様な執念をよく知っているだけに、心の奥底から湧き出る不安は消えることがなかった。舞とユリ・・2人が織りなす糸は、生涯決して交わることがなかった。

第31話に続く。

"この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。"

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