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Next Lounge~私の鼓動は、貴方だけの為に打っている~第22話 「至誠」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
主題歌:イメージソング『Perfect』by P!NK
https://www.youtube.com/watch?v=vj2Xwnnk6-A
『主な登場人物』
原澤 徹:グリフグループ会長。
北条 舞:イングランド🏴3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター。
アロルド・オンフェリエ:原澤会長の旧友としてロンドン・ユナイテッドFCを訪問していたイタリア人紳士。
イ・ユリ:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 元課長。
エイミー・グラシア:グリフグループ本社ビル1階カフェ"ホライズン"ウェイトレス。
エリック・ランドルス:ロンドン・ユナイテッド FC 秘書部 秘書室長。
ゲイリー・チャップマン:ロンドン・ユナイテッド FC 広報部 広報部長。
ジェイク・スミス:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 事務。
ジョン・F・ダニエル:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 エージェント。
ダニエル・チャン:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 契約課 社員。元傭兵。
チィェン・ルー:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 契約課 社員。台湾🇹🇼国籍。
デニス・ディアーク:元バイエルンミュンヘンユース所属、元ギャング団グングニルメンバーの在英ドイツ人🇩🇪。ごみ収集作業員。ロンドン市民サッカーサークルCB登録。
トニー・ロンド:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 契約課 元課長。
パク・ホシ:金髪をオールバックにし編み上げた長髪を背後で束ねた姿がトレードマークの在英韓国人🇰🇷。車両修理工場勤務。ロンドン市民サッカーサークルCMF登録。
橋爪 奈々:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部
契約課 チーフ。舞の同期であり親友。
ベラス カンデラ:ペルー国籍でdreamstock(ドリームストック)にて、プロ選手を夢見る。有望選手。CMF希望。
ホルヘ・エステバン:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 エージェント。
マービン・ドレイク:ロンドン・ユナイテッドFC専務取締役。
マリーナ・グラノフスカイア:チェルシーFCのテクニカルディレクター。フロント主導の移籍交渉と選手契約を担うロシア人女性。舞台裏では、その商談スキルから「プレミア最大の影響力を持つ女性」と呼ばれる。
リサ・ヘイワーズ:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 事務。
レオン・ロドゥエル:特徴的なモヒカンヘアのごみ収集作業員。ロンドン市民サッカーサークルLSB登録。
ロイ・ブラッドマン:グリフグループ本社ビル1階カフェ"ホライズン"店長。

アイアン・エルゲラ:ロンドン最大のギャング組織集団『グングニル』の元リーダー。ロンドン・ユナイテッドFC選手。GK登録。通称アイアン。
ケビン・ティファート:ロンドン・ユナイテッドFC選手。CB登録。ユース出身。
坂上 龍樹:ロンドン大学法学部1年。元極真空手世界ジュニアチャンピオン。ロンドン・ユナイテッドFC選手。CF登録。通称リュウ。
ニック・マクダゥエル:ロンドン・ユナイテッドFC選手。DMF登録。通称ニッキー。キャプテン。

☆ジャケット:スタジアムにて試合観戦中のチェルシーFCのテクニカルディレクター マリーナ・グラノフスカイア。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

第22話「至誠」

「ダニエル!令達書はまだなの!?」
イングランド🏴3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 契約課チーフで、課長代行を務める橋爪 奈々は、部下のダニエル・チャンに予算配当令達書の提出を確認していた。心身のリフレッシュを目的として休養をしてから復帰した契約課は、彼女が目を覆いたくなる様な惨状となっていた。戻って来た彼女は、先ず始めに滞っていた業務を捌くことから行い、依頼部署に入力を御願い出来るものの対応を回覧通知することで短縮、担当者に同内容の業務を振り分けることで、効率化を図った。その際、問題箇所を記録させることで、手間と時間はかかったのだが、引き継ぎ時の連絡ミスを軽減し手戻りを無くす手段を行った。とにかく、手戻りを無くしたかったのだ。彼女の迅速な対応で契約課は、状況を改善しつつあった。
「依頼部署側も、業務過多となり状況報告の発議が困難と今朝のメールでありましたよ。」
「それで?」
「それで・・。」
「コラ!話が止まる様な確認は、やめなさい!先に進める!」
「失礼しました!」
「頼むわよ。」
ダニエルと言えば、原澤会長の息のかかった男である。しかも、奈々にとっては自分が元課長トニー・ロンドにレイプされた現場を見られているのだから、女性としては心的外傷後ストレス障害(PTSD)になってもおかしくない。しかし、流石はケイト社長が推薦した精神科医に診て貰っただけのことはある。彼女は見事に本来の自分を取り戻しつつあった。ダニエルとしても、彼女の凄さを再認識した気がしている。
「チーフ?」
「なに?」
奈々は、部下の台湾系イギリス人女性チィェン・ルーに呼ばれて振り向いた。ふんわり眉の癒し系女性で、よく奈々からは"コツメカワウソのメス?"と例えられる彼女。若干出っ歯気味で口元が出ているのだが、照れて笑った時などはかえって清楚感を与える印象だ。ひし形シルエットの毛先レイヤーで、衿元すっきり見せたショートボブは、小顔が更に強調されている。表現は、良くないが実は周りからは守ってあげたくなる、そういう女性として男女構わず人気があった。
「ありがとう、ルーちゃん♬ヤッホーー!奈々。」
ルーの背後をヒールを"カツ!カツ!"と鳴らしながら、エージェント課 チーフ テクニカルディレクターの北条 舞が現れた。ルーの表情が心持ち明るくなり、軽く舞に会釈をする。
「うっわ!余計なのが来た!」
「余計な?とは、何よ!」
そう言うと、舞は課長席に座る彼女の前にある椅子に腰掛けた。
「座るんかい!」
「当たり前でしょ!なに、私を立たしとくつもり?」
「忙しいんだけど。」
「だろうね。」
「・・」
「・・だから、何よ!!」
腕を組んで見つめるだけの舞に、奈々が痺れを切らす。
「お願いがあるんだけど。」
奈々が深いため息をつく。
「忙しいって、言ったよねぇ?」
「うん。」
「はあ!・・で、なに?」
奈々が、思わず大声を出してしまい慌てて口を塞ぎ聞き返した。
「新規選手契約、4名と行うことになったの、対応をお願い。」
「は?何それ!?」
椅子の背もたれに寄り掛かっていた奈々が、思わず前のめりになった。契約課の面々も、舞を見る。
「将来有望な選手達よ、しっかりと頼むわね。」
舞は、腕と脚を組んで椅子に寄り掛かった。タイトスカートのスリットから引き締まった真っ白で華奢な太ももが覗き、筋肉の筋が見えた。
「つい最近、ニッキー、アイアンと契約したばかりじゃない!」
「そうね。」
「・・ふーん。」
奈々は、再び椅子の背もたれに深く腰掛けると椅子が"ギシリ!"と軋んだ。
「横槍でも入るの?」
「無いとは言えない。」
「例えば?」
「ドルトムント。」
「えっ?ブンデスリーガ(ドイツ🇩🇪1部リーグの名門)の!?」
「そう。」
「・・なるほど、ね。分かった、担当は?」
「ジョンよ。」
「彼か・・。」
奈々が契約課の面々に視線を走らせると、ダニエル以外、ほとんどが目を逸らした。舞が振り返って観てため息をつく。
「私にやらせて下さい!」
皆が声を上げた人物を見る。
「ルー、貴女、業務上対応可能なの?」
「ジョンさんに、色々ご協力頂ければ、スピーディーに事が運べます。」
「それなら安心して頂戴。」
「なら、大丈夫です!」
奈々は、頬杖を付いて考えている。
「交渉決定は、3名。日本籍で、坂上 龍樹19歳。韓国🇰🇷籍で、パク・ホシ20歳。アイルランド🇮🇪籍で、レオン・ロドゥエル19歳、そして、解答待ちでドイツ🇩🇪籍で、デニス・ディアーク17歳よ。」
「若いわね。」
「ラルフマン監督も楽しみにしているわ。」
「へぇ、なるほどね。分かった、引き継ぐわ。」
「Danke!」
「因みにさ、ニッキー、アイアンみたいに曰く付きなの?」
「聞く、それ?」
「聞くでしょ、そりゃ。」
「勿論よ、"そう!"とだけ言っておくわ。」
「詳しくは・・。」
「ジョンに。」
「了解!分かったわ。」
「お願いね。」
「あ、ちょっと、舞!」
「なに?」
話を終えて立ち上がった舞を、奈々が立ち上がって呼び止める。」
「メールと電話でも良かったんじゃない?」
「本気で言ってるの?私は、"貴女だから"こうして直接お願いに来たのよ、分かってよ。」
振り返って話す舞に、奈々が軽く右手を振った。
「ゴメンゴメン、悪かったわ。」
と、契約課の電話が鳴りルーが出る。
「はい、契約課です・・あ!はい!少々お待ち下さい。舞さん!」
「私?」
舞はルーが差し出した受話器を取った。
「はい、替わりました?」
「チーフ、いつまで遊びに行ってるんですか?」
「なーによ、リサ!何かあったの?」
舞の懐刀、エージェント課のリサからの電話だった。
「お待ちかねの方が、受付にいらしてるそうですよ♬」
「お待ちかね?誰・・えっ、来たの?」
「ええ。お母さんに言われたのでは?」
「そう・・分かったわ、ありがとう。ルー、ゴメンね。」
「いえ、お疲れ様でした。」
舞は持っていた受話器をルーに渡すと、ヒールを鳴らせて颯爽と契約課を後にした。
「仕事中の彼女は、粋ですよね?」
奈々に対して、ダニエルが声を掛けて来た。彼は、タイトスカートから張り出た、舞の引き締まったヒップが動くのに見惚れていた。
「そうね・・"オン・オフ"のスイッチは、見事だと思うわ。」
「同じ女性として、私、憧れます!」
ルーがキラキラした瞳で呟いた。
(夢は夢のままがいいわよね?舞の天然さは抜群だもの。)
奈々は舞のドジっぷりを思い出し、1人含み笑いを漏らした。
契約課を出た舞は、その脚でエレベーターを経由して1階エントランスの受付へと向かった。
「すみません、エージェント課の北条です。来客は?」
「あ、お疲れ様です。あちらの方がお待ちです。」
受付に居る3人の女性が立ち上がると、中央の女性が手のひらで噴水前に居る男性を指し示した。ブルゾンを羽織り、ダメージ加工が施されたジーンズを履き坊主頭に独特の模様が入った剃り込みをした巨軀の男性、デニス・ディアークがそこに居た。舞は、ヒールを鳴らせて彼に近付くと、気付いたのか振り返って彼女を見た、目を合わせてはくれないが・・。
「お待たせ、デニス。来てくれてありがとう。」
舞は、デニスに軽く会釈をした。
「いや・・俺の方こそ、アンタに御礼が言いたくて。」
「御礼?ならデニス、立ち話もなんだから、カフェに行かない?私、喉が渇いたわ。」
「いや、俺はいい。」
「どうして?」
「こういう所は、俺には疲れる・・。」
「そう・・。でも、立ち話でいいの?」
デニスは、周囲を節目がちに見渡し、オフィスワーカー達が居る中、自分が浮いているのを感じて恥じた。
「・・じゃあ、その・・カフェで。」
「フフ、了解♬こっちよ。」
舞は、デニスを誘い軽やかにターンすると1階カフェ"ホライズン"へと向かった。
「姫!」
舞は、本意ではないあだ名で呼ばれ、身体を硬直させて振り向いた。
「あ、お疲れ様です。外回りですか?」
舞の目前に秘書室長エリック・ランドルスが、満面の笑みを見せて現れた。
「来客かい?」
「はい、秘書室長は?」
「"ホライズン"にね、会長のお供だよ。」
「会長・・いらしてるんですか?」
「ああ、古い友人だそうだ。じゃあ、またね。御来客の方、どうぞ、御ゆっくりなさって下さい。」
エリック秘書室長は、デニスに声を掛け軽く舞の肩に手を触れると、ウインクをして"ホライズン"に入って行った。彼の気さくさは、いつも癒されてしまう。有り難いことだ、と思った彼女は振り返ってデニスに声を掛けた。
「さ、私達も行きましょう。」
デニスといえば、ブルゾンのポケットに手を入れて大きな身体を丸めて俯いている。舞は小首を傾げて彼を観ると優しく声を掛けた。
「さあ、どうぞ♬」
デニスを伴った舞が"ホライズン"へ軽い足取りで入ると、"いらっしゃいませ!"の声がし振り向いた彼女を満面の笑みをたたえたウェイトレスのエイミー・グラシアが迎えた。
「こんにちわ、エイミー。そう呼んでも?」
「勿論です。舞さん、御希望はありますか?」
「そうね・・あ!テラス席、そちらで良いかしら?」
「承知致しました、どうぞ、こちらです。」
エイミーに誘われ、テラス席へと入った彼女は、寒風に身を縮ませた。
「さ、寒かったわね。ゴメン、中で良いかな?」
「そうですね。まだ、早かったですかね?」
舞とエイミーが互いに苦笑いした時だった。
「あのう・・舞さん。」
「ん?何、デニス?」
「もし、良ければ・・テラス席でどうですか?」
「えっ?寒くない?大丈夫なの?」
「すみません。」
デニスは、申し訳なさそうに舞に頭を下げたが、彼女は彼のプライドを見た気がした。余程、気持ちの中にホワイトカラーへの嫉妬があるのかもしれない。思い込みであろうか?
「分かったわ。エイミー、何か防寒着みたいのはあるかしら?」
「承知致しました。それと、足元にファンヒーターを設置致しますね。」
「えっ?いいの??」
「はい。少々お待ち下さい。」
エイミーが、笑顔で会釈をするとカウンターへと戻って行った。
「驚いたわ、至れり尽くせりかしら?ね、デニス?」
「そうですね・・でも、ホント、すみません。」
「えっ?あー、いいのよ!気にしないで、ここで飲む温かいコーヒーは、きっと格別だと思うから♬」
舞がデニスに、微笑んで応えた時だった。
「失礼するよ、北条チーフ。」
舞は、身に覚えのある声がした方を振り返って顔を強張らせた。専務取締役マービン・ドレイクが、防寒着を持って立っていたのだ。はっきり言おう、舞は彼のことが好きではない。
「お疲れ様です、ドレイク専務。」
すると、彼は防寒着を舞の肩に掛けてきた。
「ウエイトレスから預かったよ。」
「そんな、宜しかったのに・・あ、では、デニス先に・・」
「俺はいいですよ。」
デニスが俯き、視線を落として呟いた。
(来客から渡すのが礼儀なのに、この専務は・・。)
舞が心の中で舌打ちしていると、ドレイク専務は彼女の斜向かいに腰掛けた。
(えっ?)
舞が目を丸くして彼を観ると、其処にエイミーがデニスの防寒着を持ってきた。
「どうぞ、お使い下さいませ。」
「いや、俺は・・」
「では、私が拝借するとしよう。」
なんとドレイク専務が、デニスの為に持って来た防寒着を取り上げて羽織ってしまったのだ。
「ごめんなさい、エイミー、彼の足元にファンヒーターをお願い。」
「承知致しました。」
彼女は、一瞬ドレイク専務を観て片眉を持ち上げたが、直ぐに笑みを浮かべて対応した。
「なんだ、そんな良いのがあるのか。」
エイミーがファンヒーターを点けデニスの足元に向けると、ドレイク専務は腰を屈め自分に向けてしまった。それを見た舞が直ぐさま反応した。
「専務、彼は私の大切な来賓です。2人で話させて貰いたいのですが。」
彼は、片眉を上げて舞を見ると口を開いた。
「大切な話?キミは・・誰かね?」
舞の口角が上がる。
「こちらは、デニス・ディアークさんといいます。うちのチームに入団していただけるようにお願いしているところなんです。」
「キミが?ほう!では、私のことも紹介しないと拙いだろう?ん、北条チーフ。」
「・・失礼致しました。デニス、こちらはロンドン・ユナイテッドFC"相談役"のドレイク専務です。」
舞は無表情でデニスに紹介すると、彼は上目遣いで軽く会釈をした。それを見たドレイク専務が眉をしかめる。
「キミは、挨拶から学んだ方がいいなぁ。プロとしての自覚から学ぶべきかもしれん。」
「あのう、専務・・。」
「北条チーフ、エルゲラやマクダゥエルの様な、プロ選手として華のない選手ではなくて、もっと、こう・・子供達が良い大人として憧れるような選手を交渉してくれんかね?」
ドレイク専務は、眉をしかめて嫌そうな顔をして言い放った。彼女は彼のあまりに横柄な姿勢に驚愕し、遂に立ち上がり抗議した。
「専務、失礼です。彼は私の、いえ!チームにとって大切な選手です。非難する言動は慎んで貰えますか?」
舞が眉間に皺を寄せて抗議すると、ドレイク専務は彼女を見上げてため息をついた。
「北条チーフ、私はねぇ、例の一件で気付かされた。選手達は、チームの看板を背負っているんだよ。始めのうちから、しっかりと此方の意思を伝えてあげなければ失礼になるだろ?何でも良いわけでは決してない、しっかりとプロとしての自覚を身に付けて貰いたいからね。」
呆れた。よくもまあ、そんな事が言える。ユリ課長の色仕掛けにハマり、ど素人監督を押しつけ恥ずかし気もなくチームに相談役として留まっている。彼女は、この男の神経が理解出来なかった。
「舞さん、すみません。俺・・帰ります。」
「えっ?なんで??デニス、もっとお話しを・・」
「いえ、もう、いいです。母のこと、ありがとうございました。その・・これだけは渡したくて。」
デニスがポケットからクシャクシャになった封筒を取り出して、テーブルに置いた。
「すみません、母が回復しましたら、もう一度、お礼に来ますので。失礼しました。」
「ちょ、ちょっと待ってデニス!?」
デニスが軽く頭を下げ、ブルゾンのポケットに手を入れながら席を離れて店内に行こうとした時だった。扉が開き、入って来た人物を見て舞が目を見開き、ドレイク専務は立ち上がった。
「失礼するよ。」
銀髪にストライプが入った紺のスーツを纏ったグリフグループ総裁 原澤 徹 会長が入って来た。舞の鼓動が、一気に跳ね上がる。夢想だにしなかった最上級の助っ人登場に、彼女は心から安堵した。が、同時に先日、打ち明けてくれた事を"もう一度伝えてくれなかったこと"を思い出し、複雑な心境になった。
「ん、ロイ?まだ、注文してないようだぞ?」
「失礼致しました。こちらがメニューとなっております。」
原澤会長の背後から、"ホライズン"店長ロイ・ブラッドマンがお盆に水が入ったコップとそして、メニューを持って現れた。
「店員が入るのに躊躇するような事をされては困るなぁ、ドレイク。」
「えっ、私がですか?」
ドレイク専務が、原澤会長を目を丸くして見つめた。
「何だ、自覚が無いのか?困ったヤツだ。北条チーフが"客人"と言っているのに、お前が喋るな!」
「申し訳ございません・・」
ドレイク専務が、姿勢を正して会釈をした。
「私もお邪魔していいかね、北条チーフ?それと・・」
「デニス・ディアーク選手です。」
原澤会長は、立ったままブルゾンのポケットに手を突っ込んだままのデニスに歩み寄ると手を差し伸べた。
「君が??ようこそ、ロンドン・ユナイテッドFCへ、待っていたよ。」
「い、いえ、自分は・・」
「デニス、グリフグループ総裁の原澤 徹 会長よ。」
舞の一言に、デニスが顔を見上げて眉を歪ませた。仕方なく右手をブルゾンのポケットから出して前に出すと、原澤会長は左手を添えて強く握手をした。そのことに、デニスが目を見開いて驚く。
「デニス、座ってくれないか?私も君のことをよく知りたいね、頼むよ?」
「座って、デニス。あっ!ねぇ、何を飲む?遠慮しないで好きな物を頼んで、ね?」
舞が子供を諭す様に話し掛けたが、彼はメニューを見て口を開いた。
「水道水で・・」
「デニス、ここでは水道水は無料よ。大丈夫、支払いを気にしてるのなら、心配ないわ。」
「それじゃ、カ、カフェラテを・・」
「カフェラテね、分かったわ。会長は、如何なさいます?」
「同じのを貰おうか、君は?」
「えっ?あ、私もカフェラテを・・専務は?」
「私は、普通のコーヒーで・・」
「畏まりました。」
ロイ店長は、軽く会釈をするとメニューを引き上げ、会釈をして店内へと戻って行った。デニスが仕方なく座り、顔を伏せている。
(会長が、カフェラテ?デニスに合わせるなんて・・)
「ドレイク、ファンヒーターを彼の足元にしろ。」
「あ、はい!失礼しました。」
彼は慌てて、自分の足下に向けたファンヒーターをデニスの足下に向けた。デニスが顔を伏せたまた、原澤会長に会釈をした。
「これは?」
原澤会長が、テーブルに置かれたクシャクシャになった封筒を手に取った。
「あ!それは・・」
デニスが顔を上げて声を詰まらせ、恥ずかしそうに俯き唇を噛み締めている。舞もメニューの下にあり気付いてあげれなかったことで、申し訳なさそうに顔を伏せた。すると、原澤会長が封筒の中身を出して確認すると、クシャクシャになった封筒の中に50ポンド札が2枚入っているのを見た彼はポケットの中から財布を取り出し、20枚の50ポンド札を入れて舞の前に置いた。
「えっ?あのう・・」
「ケイト社長から聞いている、デニスの母親を助けたそうじゃないか、さすがだな、尊敬するよ。」
「そんな・・会長、戴くことは出来ません。」
言葉に詰まった舞は、ただ、彼の顔を見つめることしか出来なかった。
「お待たせ致しました。」
ロイ店長が、皆の分のコーヒーをお盆に乗せて運んで来ると、デニス、舞、原澤会長、ドレイク専務の順で置いた。その順番にデニス、舞も目を丸くする。
「感動されましたか?」
「ああ。デニスの気持ちが痛い程、通じたよ・・ん!相変わらず美味いなぁ。」
「恐れ入ります。」
原澤会長は、カフェラテに口をつけると賛辞したのだが、片眉を上げてカップを見つめている。
「しかし、カフェラテはもう少し甘いものの様な気がするが?」
「会長のは、若いお二人より甘さを控えておりますので。」
「なに!?」
原澤会長が、ロイ店長を見上げる。
「えっ?会長、糖尿病なんですか?」
「いやいや、全くない!ロイ、これは殺生だろう?」
「どうぞ、お控え下さい。では、御歓談下さいませ。」
そう言うと、会釈をしてロイ店長が店内へと戻って行った。
「まるで、嫁の様な振る舞いだな・・キミまで、笑うことはないだろう?」
「すみません、フフ!」
舞は、2人のやりとりが可笑しくて、思わず笑みを溢した。
「デニス、君のカフェラテは"本来の味"がして非常に美味いらしい、戴いてくれ。」
「あ、ありがとうございます。」
舞が再び吹き出して笑った。
「だから、笑うことないだろ〜!」
「だって・・おっかしいんだもん〜♬」
「酷い"ヤツ"だ。」
「あ〜!"ヤツ"ではありませんよぉ♬」
「ん?"酷い"は、認めるのか?」
「それも、認・め・ま・せ・ん!」
「なんだ、全否定か。デニス、グリフグループ会長なんてな、こんなもんだ。飲みたい物も飲めない、発言も拒否されてしまう。」
「だってぇ、私のは会長が悪いんだもん!」
「もん?」
「あ!すみません・・」
舞は、"しまった!"と顔に出すと言葉に詰まり顔を伏せた。ドレイク専務とデニスの視線を受けた彼女の顔は耳まで真っ赤だ。
「デニス、君は仲間が間違っている時には助言をし、正しい行いは褒め称え、落ち込んでいる時は手を差し伸べる、そういう人かね?」
「いや、俺は・・」
「この、北条チーフという女性が、まさにそういう人だ。」
舞は顔を見上げると原澤会長の顔を見つめたが、内心は違う事を考えていた。
(もう!あんなキスだってしてくれたのに・・)
「デニス、アイアンを信じろ。」
「えっ?」
デニスは、原澤会長からアイアンの名が出ると思っていなかったため目を見張った。
「君を是非に!と推挙したのは、ヤツだ。"絶対に説得してみせる!"そう言ってヤツは、私の目前で土下座して額を床に打ち付けて来た。アイアン、彼が君に期待しているのならば、私もそれを信じる。期待させてくれよ!」
原澤会長は、そう言うとカフェラテを一気に飲み干して、コップを置き立ち上がった。
「ドレイク!」
「あ、はい!」
「私の口利きだ、丁重に頼む。」
「は!」
ドレイク専務は、立ち上がると深々とこうべを垂れた。
「北条チーフ・・」
原澤会長が舞に呼び掛けると、舞は拗ねて口を尖らせて顔を見上げている、そんな可愛い仕草に原澤会長が動揺していると、店内からの扉が開き広報部 広報部長 ゲイリー・チャップマンが顔を見せた。
「失礼します。会長、お客様がお帰りになられます。」
「原澤会長、私はこれで。」
「お!そうですか、失礼しました。」
原澤会長は、扉付近に立つ如何にもイタリア紳士といった男性に歩み寄った。
「おや?原澤会長、レディの表情が穏やかではないですねー?」
原澤会長が振り返ると、舞が未だに膨れっ面をしている。
「あれは・・あの様な顔なんですよ。」
「違います!!」
舞は、大きな声で突っ込むと、立ち上がりイタリア紳士に歩み寄って笑顔を見せた。
「失礼致しました!原澤会長が"とぉ〜ても!"イジワルなので、つい・・。ロンドン・ユナイテッドFC エージェント課 北条 舞と申します。」
「もしかして・・舞姉ちゃん、ですか?」
「えっ?」
「あ、いや・・失礼を。初めまして、アロルド・オンフェリエと申します。」
「初めまして・・」
アロルドは舞を見ると近寄って、自分からみて相手の右側(自分の左頬)→相手の左側(自分の右頬)の順番でチュッチュッと音を鳴らせてキスをする、イタリア語で"Bacio(バーチョ)"という挨拶をした。
「また、お逢いしましょう!」
そう言うと、彼は舞から離れて店内へと戻って行った。
「顔見知りかね?」
原澤会長が、舞の耳元で声を掛けてきたため、彼女は自然と首を傾げてそれを受け入れる。
「先日、カイルという少年に出会いました。先程の"舞姉ちゃん"は、彼の口癖だったのですが・・。」
舞が原澤会長を見上げて答える、大きな瞳が不安げに見えた。
「そうか・・オンフェリエ氏は、フェラーリ副会長ピエロ・ラルディ・フェラーリの婿、副社長だよ。」
「えっ?あの、フェラーリ副社長ですか!?」
「ああ。しかしまあ、相変わらずキミは、素晴らしい運を持っているようだな。」
原澤会長は、そう言うと舞の肩を"ポン!"と叩き、店内へと戻って行く。
「会長!」
舞は、小走りで原澤会長の元に近寄った。
「どうした?」
軽く彼の左手に自分の右手を添えて、耳打ちをした。
「あの日以降、構ってもらえていません。」
「えっ?」
「イヤです!そんなの・・もっと、構って下さい。」
「・・」
真っ直ぐに見詰める舞の瞳を真正面から受け止めた彼は、舞の耳元に呟いた。
「今度、君に人事について相談がある。」
「私にですか?」
そう言うと、彼は口元に笑みを浮かべて店内へと戻って行った。
「北条チーフ、会長は何と?」
フラフラとテーブルに戻って来た舞は、"すとん!"と椅子に座るとテーブルを見つめた。
「えっ?あ、すみません!何でしょう?」
「会長は、何と言ったのかな?」
「悩んでおられることがあるようで・・」
「君に相談されるのか、会長は?」
「あ・・たまーに、そう!愚痴などを、はい。」
舞は曖昧に、ドレイク専務へ笑ってみせた。
「そうか・・会長ともなると我々では計り知れないストレスをお持ちだろうからね、無理をなさらないで欲しいよ。」
舞は、まさかドレイク専務の口から彼を労わる言葉が聞けるとは思わず、驚いて見つめた。
「デニス君、私はね、色々と失敗をして来た男なんだ。専務として"不適格だ"とも陰口を言われているよ。でもね、そんな私を原澤会長は、使って下さっている。だからこそ、チームを良くしようと気に掛けているつもりなんだが空回りしてしまう、反省ばかりだよ。君は同じ想いをしたことがあるかね?」
「まあ・・。」
ドレイク専務が、テーブルに両肘を付いて呟き掛けると、デニスは俯いたまま返事をした。
「そうか・・ならば、君も忘れないで欲しい。君の事を信じて期待してくれている方々のために、その力を発揮して欲しい。誰からも期待されない人生なんか、辛過ぎるからね。少なくとも君は、原澤会長、アイアン、北条チーフから期待されている。私も、その内の1人になりたいと思っているんだ。」
ドレイク専務は立ち上がり、デニスの手を取った。
「ようこそ、ロンドン・ユナイテッドFCへ。北条チーフ、後を宜しく。」
「はい。」
先程までの横柄さがまるで嘘のように、彼は俯き加減で店内へと消えて行った。その背中を見た舞は、落ち目となった男の感情を慮った。
「北条さん。」
「あ、はい。」
デニスが、舞を見据えて話し出した。
「改めて言わせて下さい。母の件、心から感謝してます。ありがとうございました。」
「いいのよ、当然のことをしただけですもの。」
「周りの人達は、観てる方ばかりでしたよ。」
「それは・・突然のことで戸惑われたのね、仕方ないことだわ。」
「貴女には、迷いがなかった。」
「・・」
「北条さん?アイアンは、何故、自分をチームに推挙したのでしょうか?彼は俺が根に持っていることを知っているはずですが?」
「アイアンの変わり様に驚いたの?」
「ええ。少なくとも、俺の知っている彼ではないですからね。」
舞は、カフェラテを一口飲んで語り始めた。
「アイアンは、頭の良い人よ。」
「えっ?アイアンが・・ですか?」
「ええ。それは、知識云々ではなくて、理知的に他ならない。原澤会長は、一目で彼を見抜いたのね。横柄で不器用、それにガサツだけど、彼は周囲を受け入れようとしている。デニス、貴方は如何かしら?」
「・・」
「強者はね、"寛容"であるべきよ。」
デニスは深くため息をつくと、冬の空を見上げた。
「"寛容"ですか・・なるほど、相手が如何であれ"我が道を進むのは我のみ"ですかね?」
舞がデニスの発言に目を丸くした。
「へぇ、ステキだわデニス!そうよね、小賢しい相手なんて無視しちゃうのよ!貴方は、上から観てるといいわ。」
「上からですか?ハハ、何か偉そうですね?」
「そうね(笑)」
2人は互いに笑い合い、暫くしてデニスが口を開いた。
「レオンとパクのこともお願いして良いんですよね?」
「ええ、勿論そのつもりだけど・・如何かしたの?」
デニスの顔が冴えないのを観た舞が、問い掛けた。
「レオンのことです。」
「レオン?」
「彼は、イギリス人を心から嫌悪してるので、それが心配で。」
「どういうこと?何故、レオンが?」
舞は意外な展開に、言葉を失った。
「デニス、彼は貴方とのことを心配していたわ。自分が助けてあげられなかったことをひたすら悔いていたもの。」
「レオンが?そうですか・・もう、済んだことなのに。それに、彼の気持ちも分かる自分が居るんですよ。」
「レオンが真実を打ち明けることが出来なかったこと?」
「ええ。ですから、そんなことはもういいんです。彼は素晴らしい気概があり、男気溢れた人物ですから。でも、そんな彼だからこそ心配にならざる負えない。」
デニスの表情から、深刻さが読み取れる。一体、レオンの過去とは?
「聞いてる感じだと責任感溢れた、男気のある素敵な印象だけど?」
「彼は北アイルランド人です。」
「北アイルランド・・」
「彼の父親方の祖父は一般人でしたが、北アイルランド紛争時にIRA(アイルランド共和国🇮🇪)のテロ行為を鎮圧しようとしたイギリス🇬🇧軍の誤射に遭い命を落としたそうです。そのため、彼は父親からイギリス政府の横暴さを幼い頃から説かれていたそうで、彼も自然とその影響下に・・。」
北アイルランド紛争・・イギリス🇬🇧人なら、誰もが知っている歴史的紛争。北アイルランドの領有をめぐるイギリス🇬🇧とアイルランド🇮🇪の領土問題、地域紛争の総称であり、狭義では1960年代後半から1998年のベルファスト合意まで断続的に発生した紛争を指す。新IRAやRIRA、IRA暫定派などにより行われている無差別テロを、北アイルランド紛争の一環とし、現在まで継続していると言う見解もある。
「そう・・詳しいのね、デニス?」
「自分なりに調べましたよ。」
「私はその事について詳しくないから上手く語れないわ、ごめんなさい。でも、レオンが貴方の言う"責任感溢れた男気"を持っている人物なら、そうね・・でも何故、ロンドンに居るのかしら?」
舞は小首を傾げて考えてみた。祖父をイギリス🇬🇧軍に殺された彼が、何故、ロンドンに住むことを決めたのか・・舞にも想像が出来なかった。
「レオンに聞いても、答えてはくれてません。まさか、悪いことは考えていないと思うのですが・・」
「そう・・分かったわ!デニス、ありがとう。」
「い、いえ。」
舞はデニスの不安を吹き飛ばそうと、満面の笑みで応えたのだが、どう対応することが適切であるのか分からず曖昧なものとなり、心にはまるで曇天の様に暗い靄が覆っていた。
「北条さん・・改めまして、チームにお世話になります。色々とご迷惑をお掛けするかと思いますが、何卒、宜しくお願いします。」
デニスが、立ち上がり深々と頭を下げた。舞も合わせて立ち上がる。
「本当に!?ありがとう、デニス。これで、チームはまた強くなったわ♫」
舞の一言に顔を上げたデニスと舞の視線が交差した後、どちらからともなく2人は微笑み合い握手を交わした。
やがて、デニスとカフェ"ホライズン"より別れた舞は、その脚で自席へと戻って来るなり受話器を取ると、契約課へと電話をした。
「はい、契約課です。」
「奈々?」
「ああ、どうしたの?何かあった?」
舞は直通で奈々の元に電話を入れると、彼女は気怠そうに受話器を耳に挟み、パソコンを操作しながら応対した。
「うん。先程、デニスが直接来てくれてね、入団の意思を伝えてくれたわ。」
「えっ、もう??」
「そう。彼のこと原澤会長、ドレイク専務が保証済みよ、頼むわね。」
「ちょっと!凄い系図じゃない!?大丈夫よ、ルーに伝えておくわ。他、ある?」
「あー、うん、まあ。」
「・・何よ、歯切れの悪い!言いなさいよ?」
舞は、受話器手前で聞こえない様にため息をついた。
「デニスが知りたいって。」
「知りたい?何を??」
舞はレオンの過去を、デニスの問い掛けに答えて貰えていない謎を本人が懸念していることを説明した。
「北アイルランド紛争?結構、前に終結した紛争よね?」
「まだ、裏で燻っている感じみたいだけど・・」
「本人のみぞ知るか、で、貴女はどう思うの?舞?」
「私は・・彼が"プロサッカー選手になりたかった"ということと、デニスを思う熱い気持ちを信じたいわ。」
「そっか・・まあ、こちらでも調べてみるわ。」
奈々はそう言うと、通話を切った。再びため息をついた舞に対して、リサが明るい笑顔で自席へと戻って来た。
「何?良いことでもあったの?」
「えっ?まあ、はい。さ、仕事し〜よぉっと♬」
「珍しく華やいで見えるよ。」
「何それ?私が居るだけで、随分と華やぐでしょ?」
ロンドン・ユナイテッドFCエージェント課事務の
ジェイク・スミスが、リサを観て上目遣いで呟いた。リサは、口を尖らし不満気に見える。
「ま、華やかなのは良いことだわ。」
舞が頬杖をついてリサを見つめる。
「だってぇ"愛しい方"に非常階段でお会いしてしまったんですものぉ〜♬」
「"愛しい方"??」
思わず舞とジェイクが呟くと顔を見合わせた。
「驚いたなぁ、キミにそんな人物が居たなんて・・」
「会社に居るの?」
「当たり前じゃないですか!?はぁ、アタシの切ない片想いなんですぅーー!!」
「片想いねぇ・・」
「舞さん、応援してくれます?」
「はいはい!頑張ってちょーだいな。」
「ありがとう、舞さん♬」
「で、誰なんだい?その"愛しい方"とは?」
「フフフ、知りたい?」
「まあね。」
「教えてあげても、宜しくってよ!」
「いいから、言えよ。」
舞はPC画面を見ながら左口角を上げて、軽く首を振って聞いていたのだが・・
「原澤会長なのよーー❤️」
舞の目がこれ以上にない程、見開かれた。
(えっ!?今、何て言ったの???)
「おいおい!それは随分と、歳が離れてないかい(笑)」
「ジェイク!貴方、なーんにも分かってないわねぇ。うちのジムに行ってみなさいよ。会長のトレーニング姿、もう、めっちゃ素敵なんだから♬」
「あ・・ねぇ、リサ?」
「何ですか?」
「あの、その・・うちが運営しているジムに、通ってる分け?そのぉ〜、リサも・・会長も?」
「はい。」
「そ、そうなんだー!へー・・」
(そんなの言ってよぉーー!リサ・・)
舞は身内に見られたくないと思い、割高でも別のジムに行っていたのだが、失敗した!心から、そう悔やんだ。
「会長、結構、階段を使われるのよねぇ。で、私も!って、フフフ。ラッキーーー❤️」
「会長って、エレベーター使わないのかい?」
「勿論、業務上、可能な限りよ。だってさ、郊外にアスレチックみたいな施設もあるの知ってる?」
「いや?何だいそれ?」
ジェイクが目を丸くしてリサに聞くのを、舞も前のめりで聞いている。
「会長がね、ウチのセキュリティー部門の為に作った施設で、米海軍ネイビーシールズに則したメニューが体験出来る施設なのよ。」
「それって・・凄いの?」
思わず舞は、生唾を呑んで口を挟んでしまった。
「はい。創設は1962年、陸海空の全てで何年も激しいトレーニングを積むのですが、特に9.11以降、さまざまな作戦に従事しているんです。各国の特殊部隊がシールズを模範としていますからね。勘違いしやすいのは、海軍なんだから海辺じゃないと弱いと考えがちですが、シールズ(SEALs)とは、SE(A)【海】、A(IR)【空】、L(AND)【陸】の頭文字なので、陸海空を問わず、特殊作戦をこなす事が可能な軍隊のことを指します。」
「何で、そんなことを学べるのさ?」
「簡単なことよ。だって、会長が教官の経験があるんだもの。」
知らなかった・・アイアンが"殺される"そう思ったと言っていたが、理解出来た気がする。一体、あの方は何者なのか・・そう考えて舞は背筋に冷たいものを感じた。
"トゥルルルル!"トゥルルルル!"
舞の卓上に置かれた電話が、着信を奏でたため受話器を取った。
「Hello, this is Mai Houjou speaking.」
「チーフ、お疲れ様です。」
「あら?お疲れ様、ホルヘ。」
電話は舞の部下、エージェント課のホルヘ・エステバンからであった。受話器からは、喧騒な街並みの音が聞こえる。
「今、宜しいですか?」
「勿論、どうぞ。」
「私、今、ペルーの首都リマに居ます、時間は夜の9時30分です。」
ここロンドンは、15時30分だから時差としては6時間であろうか。
「活気がありそうね?」
「そうですね、今、"新市街エリア"からかけていますので、結構な人が居ますよ。」
リマの新市街エリア・・記憶だと、リマ市内で1、2を争う繁華街エリアで治安状況が非常に安定している場所のはずだ。このエリアには日本とは比較にならないくらいの「お金持ち」が密集しており、高級車も多く走っていると聞いている。
「楽しそうね?」
「家族を連れて来てあげたいですが、いや〜、無理ですかね。物価が高くて何をとっても高水準。食事も大都市と食べている物が変わらない印象がありますから。」
「そうなんだ・・で、どうしたの?何かあった?」
「あ、はい。実は、ベラス・カンデラ選手について交渉を進めているわけですが、幾つか気になる事が出て来ました。」
「気になる事?」
「ウチ同様、ヨーロッパの主要リーグから交渉のため、各チームのスポーツディレクターが現地入りしてるようです。」
思った通りの展開だった。世界のスポーツディレクターも、彼の実力を高く評価しているのが分かる。映像で見る限り彼のプレーの特徴は、プレー範囲の広大さにある。守備に回るときは自陣深くまでカバーし、攻撃でもバイタルエリア手前まで顔を出す。その献身的な働きは所属するチームには、欠かせないプレーヤーとなっているだろう。彼女も以下の点に注目していた。
・フィールドをフルで駆け巡る豊富なスタミナ
・ボール奪取力の高さ
・インサイドハーフ(攻守両面でカギを握るポジションだ。攻撃ではチャンスメイクをすると共に、前線にできたスペースへ飛び出す積極的な動きを行い真ん中にスペースがなければ、サイドに開いてボールを受ける。状況に応じて相手が嫌がるプレーを選択し、自分が中心となって攻撃をビルドアップする。)で中盤から前線に積極的に絡める
やはり、どうあっても欲しい逸材だった。
「ホルヘ、今時点でどんなチームが接触しているか分かるかしら?」
「そう・・ですね、リマに入ってから耳にしたのはブンデスリーガのマインツ(1.FSVマインツ05)、リーガ・エスパニョーラのグラナダFC、そして、プレミアリーグのチェルシーFCです。」
「チェルシーですって!?」
リサとジェイクが振り返る程、舞は思わず声を荒げてしまった。チェルシーFCといえば、言わずとしれた名門中の名門チームで、イングランド🏴プレミアリーグを牽引し続けているチームだ。確か・・テクニカル・ディレクターは、マリーナ・グラノフスカイアのはずだ。当初、オーナーの個人秘書のような立場でチェルシーにやって来た彼女は、実に20年来の『側近』であり補強の成否は別として、移籍市場を黒字で終えることもある現状では、2013年に役員の肩書きを得る以前からフロント主導の移籍交渉と選手契約に携わっているこのロシア人女性の商談スキルによるところが大きいと言えるだろう。舞台裏では『プレミア最大の影響力を持つ女性』と呼ばれている。
「ホルヘ、もしかして・・マリーナ・グラノフスカイア、彼女が居たの?」
「ええ、間違いないと思われます。取り巻き連中とリマの市街を闊歩している姿を目にしました。まだ、ベラス・カンデラ選手との接触について確認した訳ではないのですが、十分にあり得ますね。」
恐らく、ホルヘの推察は正しいだろう。これは、由々しき事態になった。舞の手前、リサの固定電話が着信を奏でたため、彼女が応対した。
「チーフ、リマに来てもらえますか?他、メンバーが一段落しているのであれば、是非!到着までの間、色々と調べてみます。」
「そうね・・よし!早速だけど、1つお願い出来る?ベラス・カンデラ選手の恩師を当たってみて。学校とか仕事先とか、彼の人柄が分かる情報を調べて。私が着くまでに色々と確認があるだろうし、進行状況によっては対応を変えるかもしれない。だから、連絡をメールで逐一頼むわね?」
「"彼の人柄が分かる情報"ですね?承知しました。それでは、お待ちしてます。」
舞は通話を終えると、深くため息をついた。
「ホルヘが"助けて欲しい"なんて、初めてじゃないですか?」
ジェイクが、眉間にシワを寄せて呟いてきた。確かにそうだ、頑固な彼にしては珍しいことだ。だが、彼も色々と考えているのだろう。ユリ課長が居なくなり自分に対するアプローチは、確実に増えている。それが、下手に出た態度なのか、親しみを持ってなのかよくは分からないが、現在、彼が接している状況は、かなり厳しいことが理解できる。
「チェルシーのグラノスカイアは、かなりの辣腕で有名だもの3部リーグのうちでは、とても太刀打ち出来そうにないわね。」
「では、諦めるためにリマへ?」
「諦めるなら、行くだけ無駄でしょ?ホルヘが"諦めましょう"なんて一言も言わなかったわ、それは彼なりに可能性を掴んでいるのかもね。まあ、行ってみなければ分からないけど・・」
「チーフ。」
受話器を握ったままリサが話し掛けてきた。
「なに?」
「ケビン・ティファート選手からです。」
「ケビンから?そう・・ジェイク、明日の夕刻発でリマ行きの便とホテルを御願い。」
「承知しました。」
目の前の受話器を、舞が取った。ジェイクも受話器を取り総務課へとかける。
「はい、北条です。お待たせしました。」
ケビン・ティファート・・ロンドン・ユナイテッドFCのCBだ。3部リーグの我がチームにおいて、彼と年長になるハリー・ブラッドリーのコンビは頼みの綱と言える存在で元キャプテンのナイト・フロイト共、上手く連携してくれていた彼を、彼女は有り難く思っていた。
「スミマセンね、突然。」
「いえ、どうされました?」
「実は、貴女に話がありまして・・今晩、逢えますかね?」
「今晩・・ですか?」
「ええ、御願い出来ますか?」
舞は一瞬、躊躇した。
「分かりました。では、どちらに伺えば宜しいでしょうか?」
「いいですか?良かった!では、"オールドチェシャーチーズ"をご存知ですか?」
「ええ、確か・・145 Fleet Streetにあるお店ですよね?」
「そう!それです。では、そこで19時にお待ちしてます、宜しいですか?」
「分かりました、少しお待たせするかもしれませんが、宜しいかしら?」
「いいですよ、では、お待ちしてます。」
舞は、一瞬通話の切れた受話器を握ったまま、考えを巡らせていた。ケビンとは、それ程仲が良い訳でもない。彼はユースからの生え抜きであるし・・彼女は首を傾げた。
此処のところ、やたら目先が見えない事象が多くて困る。起こる事を予見出来る様になれたら・・と思う舞だった。だが、予見出来たら、この後、彼女に起こる"忘れられない日"が、つまらないものとなったかもしれない。

第23話に続く。


"この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。"

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