エッセイ 失われた青春を求める

中の人は映画を見ている。「卒業研究より恋の研究がしたい」とブつぶつ言っていることから、ここ最近の氏の精神は凋落の一途を辿っていることが読み取れる。

大学一回生の時、同い年には見えないオッサンのような風貌をした友人が言った。「いややっぱ、オレンジだけぇ!」余輩はそれを聞いて卒倒したことを覚えている。

少女漫画・学園青春漫画が大好きな彼は事あるごとに「オレンジ」を推していた。余輩が煙に巻いていると、耳元で「オレンジだけぇ」と囁く始末。まるで妖怪であった。

三年が経ち、余輩もついに学園青春モノの映画を鑑賞してしまった。「告白したにもかかわらず、”なんつって予行演習だよ♪” だと言うその態度。あり得ぬわ!告白はもっとどうどうとせい!」

余輩は過去の余輩と未来の余輩に𠮟責した。余輩は決して作品に口出ししない男として知られている。

一方、告白でもじもじしてしまう苦しさはよくわかる。もじもじすること自体、相手に対する想いがあることの現れなのに、なかなかそれが伝わらない。余輩もかつて恋が成就できそうで成就できなかった経験をしてきたため、友人からは「平成の宇垣一成」と言われたことがある。そして、成就できても短命で終わるので、「平成の林銑十郎」とも言われたことがある。先人に失礼だが、両者の名は恋が下手な人の代名詞として学園通り界隈の半径50メートル以内で用いられている。

誠に悲しきことなり。余輩は無駄な贅肉とともにプライドも捨てて、青春ラブコメ映画を見る。そして、鋭敏な感性を鍛えて麗しき美人を籠絡せしめんとす。

気焔を吐き散らかしていると、突然、電報が来た。「夜九時、なぎさ公園にて熱々のおでんを食べる会を催す。万難を排して参加されたし」

「我が青春ここまでか!」

余輩は未練を残すことなく映画を見ながら出立の準備をしている。

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