物語「ポストモダンガール」②

そして、カラオケを皆々が歌い、彼女が歌う番がやってきた。そして、彼女は選曲する。トイレで出入りする周りの行動を気にしつつ、ウケが良くない限界線を認識しているはずだ。おそらく好きなアニメのオープニングだかエンディングを歌いだろうが、我慢しているに違いない。選曲履歴には無いものの、検索履歴にはその手の曲がびっしり詰まっていることがその証左だ。さぞ、悔しいだろう。こういう光景を見て、「これだから日本人は」とか「周りに気にしすぎ」とか言われるのは百も承知。しかし、彼女にとっては日本人かどうかは眼中にない。問題なのは、アニソンを歌ってもシラケないか、そこの線引き、それだけなのだ。

モダンとポストモダンの区分をここで勝手ながら、させていただく。モダンは筆者にとって、まあ右肩上がり的な。言葉を当てはめるのなら、「成長/発展」が妥当だろう。一方、後者のポストモダン。これに関しては説明が難しいが、「成長って何?いちいち我々は右肩上がりに頑張らないといけないワケ?もう取り敢えず今この段階での関係、環境を守れればもういいかな」といった感情から来るものと考える。雰囲気が1番当てはまる言葉か。成長とかそこからくる自己顕示欲とかもういいです。疲れましたから。平穏が1番。もうこれだけで大丈夫。こう考える人はポストモダン。

カラオケに当てはめるなら、「よし!どんな曲でも俺が歌うんだ!どんどん聞けよお前ら!」といった自分が目立ち、どんどんテンションを上げることで自分を実感できるのがモダン。それに対し、「曲を聞いてほしいわけじゃない。自分が引っ張るんじゃなくて、自分は今ここにある『環境』を維持出来ればそれでよい」といった『関係/環境』を維持することで自分の立ち位置を実感するのがポストモダンだ。

つまり、アニソンを選んでしまった場合、彼女は自身で維持しているつもりである『環境』を破壊しかねないのではないかと考えたわけである。カラオケとはまさに歌う前から勝負は始まっているのである。

「もうこれでいっかな」

前の人が歌い終わり、彼女が選曲を完了するまで約5分。意外に時間がかかってしまった。実はこの時すでに、『環境』を1番気にしていた彼女は、この5分ですでに『環境』を変えてしまっていたのだ。皆はこう思う。

「次、何歌うんだろう」

皆は彼女の選曲に注視する。彼女は今までと同じ様に、無難な曲を選んでしまったら、場の雰囲気は盛り下がってしまう。彼女には無理だろう。今の空気を読み解くのは。無難な曲を選ぶのに5分もかけてしまったのだから。まあ仕方ない。代わりに自分が派手な曲でも歌って、

「反町隆史/POISON」

告知が映し出される。液晶画面が切り替わる。

ポっぽいずん…?

誰一人口を開けず、腕を組む。何も言えまい。

1人がスマホをいじり出す。

一体彼女はどこへ行くだろう。

取り敢えず、私は半分以上残っているグラスを片手にドリンクバーへ行った。

(続)

#エッセイ #小説 #ではない #日記

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