見出し画像

佐渡北端、大野亀の話

父のお骨を前にして、兄が聞いた。
「佐渡に分骨する?」
「あんな。お父さんのお骨、佐渡に分骨してさ。
お兄ちゃん、これから先お墓参りに佐渡行く?」
「え? うーん、、行かへん、と思う」
やっぱりなあと思いながら、答えた。
「そしたら、お母さんと一緒に宝寺でお世話になったらええやん。
佐渡にはまたお参り行ってくるわ」

30年前、父は突然京都大山崎にある宝寺に墓を建てた。佐渡で生まれ育った父の家の墓は、佐渡にあった。だが、大阪で骨を埋める覚悟をしたのだろう。父は実家の親戚に了解をもらい、祖父母のお骨を分骨して、新しい墓に入れた。25年前に母が、一昨年父が、そこに入った。

「大阪から佐渡行くより、横浜から行ったほうが近いやろ。佐渡へのお墓参りは、お前に頼むわ」

子どもの頃から、佐渡が苦手だった兄は行かない気満々だった。昔は魚嫌いだった兄は、朝晩と食事に新鮮な魚が出てくる父の実家が苦手だったのだ。ええおっさんになって魚も好きになったけど、子どもの頃佐渡が苦手だった思いだけ、ずっと残っているようだった。

画像1

父の1周忌を終えた去年6月。ひとりで佐渡へ行った。
大阪から佐渡へ行く倍の時間がかかった。
それがわかった時から数日前まで行きたくない、行きたくないと思い続けた。
大阪空港から新潟空港まで直行便が出ていたが、羽田からは北海道経由しか見つからなかった。横浜から東京駅へ。初めて乗る上越新幹線で新潟へ向かう。新潟の伯母宅に自筆の書が飾られていた、あの有名な総理大臣が浮かんだ。

テンションだだ下がりで横浜を出発したが、新潟港から高速船に乗った時はちょっと気分も晴れてきた。佐渡島がどんどん近くに見えると、子どもの頃を思い出した。

両津港からバスに乗り、父の実家があった街のホテルにチェックイン。自転車を借りてGoogle マップ頼りに祖父母やご先祖様がいるお墓を目指した。途中迷ったがなんとかお墓についた。あまりお参りには行っていないと佐渡の従兄に聞いていたが、お墓はきれいに掃除されていた。

画像2

きれいに舗装された海岸線の道を自転車で走りながら、便利になったなあと思ったが子どもの頃みた佐渡の海の面影はなかった。父の実家、祖父母の家から裏の畑と離れを抜けると、そこが海だった。家と海がつながっていた。大きな道路ができて家と海の間に砂浜ができ、その後道路ができた。防波堤もできた。ずいぶん変わってしまったが、防波堤から砂浜に降りると、穏やかな浜が広がっていた。子どもの頃遊んだ海と同じだった。

画像3

翌日、バスを乗り継ぎ3時間かけて島の北端へ向かった。目的地は大野亀。この時期だけに咲くトビシマカンゾウの花を見るためだ。佐渡へ向かう前調べていたら、この黄色い花が目に入った。日本で2カ所しか咲かない。しかもこの大野亀、ミシュランで星がつく観光地になったらしい。せっかくの機会なので2日目はトビシマカンゾウを見に行こうと予定を組んでいた。前日の半日移動の疲れもあったが、翌日大野亀へ向かった。

画像4

平日の昼間にもかかわらず、大野亀の駐車場には観光バスが止まり、ミシュランの影響か、外国人旅行者も混じっていた。「えー! 佐渡にも外国人来るようになったん?」父が聞いたら、「お前らは佐渡をすぐバカにする」と怒られそうなことを思った。黄色いトビシマカンゾウは小さな百合のような形をしていて、緑の中にその色と形が生えてきれいだった。「うわー、きれいやなあ」と何度も声に出してしまった。どこをどう写真に撮っても、絵葉書のようになった。


きれいやねん。きれいやねんけど。うーん。なんやろ、この感じ。お天気のせいかなあ。


時々太陽が見えるものの、曇空だった。海からの風が吹いている。きれいなのだが、ふっと「この世というより、あちらの世界の風景みたいやなあ」と感じた。

画像5

午後3時を過ぎると、人も少なくなった。風も少し強くなってきた。昼間は人の少ないところを好んで歩き、座って大野亀や海を眺めていたけれど、この時間になるとなるべく人を探してちょっと離れて海やトビシマカンゾウを眺めていた。両津港行きの最終バスに乗った時、ちょっとホッとした。バスは行きとは違う道を通っていた。海岸へ向かう道をゆっくり走って、バス停に止まった。バス停の名前を見て驚いた。

賽の河原

と書いてあった。ちょっと窪んだ洞窟のようなところに、小さなお地蔵様がたくさん並んでいた。バスの中で調べてみたら、子どもを亡くした島の親たちがここにお地蔵様を建てたらしい。この海は、海岸は賽の河原やったんか。大野亀で感じた「この世というより、あちらの世界みたい」と感じたのは、ここの空気感かとわかった。

そういえば。一度だけこの近くの「二つ亀海水浴場」に来ていた。従兄が実家に集まった小学生たちをまとめて連れて行ってくれたのだ。「裏の浜よりきれいな海や」と聞いて、兄と私、いとこたちは楽しみにしていた。

そうや。おじいちゃん、あの時えらい機嫌悪かったなあ。

普段は穏やかな祖父が、孫たちが二つ亀に行くと聞いて怒ったのだ。「あそこは子どもが遊びに行くところやない!」と、誘った従兄が祖父に強く言われていたのを思い出した。結局、父や伯父夫婦がなだめたのだろう。私たちは二つ亀に行った。帰ってきた日の夜、祖父にこっそり聞かれた。

「二つ亀はどうやった?」
「裏の浜と違って、海の底は岩だらけで歩きにくかった。海はきれいだったけど、私は裏の浜で泳ぐ方が好き」
従兄が近くにいなかったので正直に答えた。
「そうか」と私に言った祖父は、そばにいた父に話した。

「この子は敏感なとこがあるからな。気ぃつけてみとったれ」

佐渡で生まれ育ち、漁師と農夫をしていた祖父は、昔からの謂れを大事にして、見えない存在を敬っていた。毎朝浜に出て海にお酒を撒き、手を合わせていた。賽の河原のこともよく知っていたのだろう。いろんな謂れもきいて育ったのかもしれない。40年後。いいおばちゃんになった私が、「あの世みたいやなぁ」と感じたことを、そういう人間だったことを、祖父は見抜いていたのかもしれない。

画像6

先日、大野亀、賽の河原、二つ亀の辺りを改めてGoogleマップで検索してみた。この辺りの集落の名前を初めて知った。

                願

マップに一文字、記されていた。

画像7


「次行くのは2年後かな。とりあえずもうしばらくは行かへん!」
毎日往復7時間、佐渡で合計7時間バス移動し、疲れて家に帰って夫に宣言したけれど。またトビシマカンゾウ咲く時期に大野亀に行きたいなと思っている。次回は、昔々この海にいろんな祈りを捧げてきた島のご先祖様たちのこと思い出しながら、大野亀と海を眺めたい。次は夫も誘おうかな。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。