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佐渡のちゃはええっちゃ #方言note

先日、こってりとしたnoteを書き

参加させて頂いたこちらの企画。

サラさんが寄せられた方言を日本地図に落としこまれていて、
その地図の白い地域が目に入りました。


佐渡島と新潟県が白い。『新潟県』が白いという表示なのですが、新潟の言葉と佐渡の言葉は違うのです。佐渡出身の父、佐渡で生まれ佐渡から出なかった祖父の言葉を思い出すと、『本土』と島の人たちがいう新潟の言葉と違う、島独自の方言がある気がしました。なので、wikiさんで調べ遠い記憶を掘り起こしながら、佐渡弁について書いてみようかと思います。

佐渡のちゃはええっちゃ

神戸生まれの母は、よくこう言って父をからかっていました。
「お前はすぐ佐渡をバカにする!」と、父は半分真剣に怒っていましたが。
この「佐渡のちゃはええっちゃ」関西でよく言われる

そのいぬちゃうちゃうちゃうんちゃう?
そやで。そのいぬちゃうちゃうちゃうで。

のような例文かと思われます。
ちなみにこの関西弁の標準語訳は

その犬はチャウチャウ犬ではないのではないでしょうか。
そうですよ。その犬はチャウチャウ犬ではありません。

となります。

佐渡のちゃはええっちゃ

は、
佐渡のお茶は良いお茶ですね
と訳されます。
母は確かに父をおちょくとったのでしょう。

【追記訂正】
「ええっちゃ」には、

「構わないよ」
「私は結構です」

という意味があったと思い出しました!

なので、

「私は佐渡のお茶でいいよ」
「私は佐渡のお茶は結構です」

という意味にもなるのかな。
追記訂正以上。

語尾に「ちゃ」がつくことが多い佐渡弁。
初めて「うる星やつら」で主人公ラムちゃんを見たとき、

え? ラムちゃん佐渡出身?

と思ったのでした。

「おれ」というおばちゃんに「おめ」と呼ばれる

一人称単数形は「おれ」
二人称単数形は「おめ」


佐渡だけなのかどうかは不明ですが、佐渡に行くと祖父や伯父伯母、従兄弟家族、父の姉達、皆、一人称単数形として「おれ」を使っていました。子どもの頃、「おばちゃんらって女の人やのになんで『おれ』って言うん?」と父に聞くと

佐渡ではそやねん

と言われてそれ以上の説明はありませんでした。京都の大学を出て大阪鶴橋で長年中学校の教員をしていた父は、私が生まれた時からコテコテ気味の大阪弁を話していましたが、佐渡に帰ると佐渡の人たちには佐渡弁で喋るという見事なバイリンガルでした。

佐渡滞在初日、おばちゃんに「おめらよ」と言われると
「おばちゃん、怒ってる?」
と毎年思いましたが、1日一緒にいれば慣れました。
「おめ」はあなた。
「おめら」はあなたたちです。


おめらよ、先風呂入れっちゃ。
浜出るけど、おめも行くか?
ほら、おめら、スイカ切ったけ食えや。
おらのとこの妹がよ

おばちゃん、おじちゃん、おじいちゃんが脳内で話し始めました。
文字にすると、どこの言葉かわからんですよね。
方言ってやっぱりアクセントや発音もあるんやなあ。

兄だけど『とーさん』姉だけど『かーさん』。『大阪や』と呼ばれる父

父は自分の兄(伯父)を「とーさん」と呼び、兄の奥さんや姉たち(伯母)を「かーさん」と呼んでいました。これは父の家族だけのことかと思っていましたが、どうやら佐渡弁の一つだったようです。

とーさん→家の主人、旦那さん、男の人
かーさん→家の主婦、奥さん、女の人

wikiさん参照

確かに両親以外の人のこと、とーさん、かーさんって呼ぶって佐渡だけやなあ。私が兄に「とーさん」と呼ぶようなもんですからね。父のことを名前で呼ぶのは祖父だけでした。

これは父の実家、親族だけかもしれませんが、名前でなく、「居住地」をとーさん、かーさんの前につけたり、二人称および三人称単数形として居住地を使ったりしていました。

大阪のとーさん(私の父)
京都のかーさん(父の妹)
羽茂(はもち)(父の姉夫婦)
大阪や(佐渡のおばちゃんが父を呼ぶ)
※父の氏名に『大阪』は一切使われていません

羽茂は長いこと名字と思っていたのですが、佐渡にある地名でした。
なお例外があり、父の一番下の姉夫婦だけは
「五十嵐のねーさん」
「五十嵐のとーさん」
と呼ばれていました。
転勤が多く、日本各地をいろいろ回っていたからかもしれません。

いちばん濃い佐渡弁を話すけどいちばん好きだった祖父

父の実家で私がいちばん好きだったのは、祖父でした。
でも、いちばん佐渡弁が濃かったのも佐渡でした。
なので、佐渡独自の単語をバンバン使って会話されると、何を言ってるのかわからなくて、父に通訳してもらいながら話していたのでした。

それでも、祖父と一緒にいるのが好きだったのは、祖父のゆったりとしたところや大らかさ、農夫であり漁師でもあった祖父の自然との接し方といった言葉以外から伝わるものがたくさんあったからでしょう。もともと祖父は口数少なく、一緒にいても話すことはあまりありませんでした。でも、船に乗る時や畑に行く時は誘ってくれたので、気が合っていたのかもしれません。

そして誰もいなくなった佐渡

昨年、父の実家の墓参りのため10年ぶりに佐渡を訪れました。
父の実家にはもう誰もいません。家を継いだ年の離れた従兄夫婦は、
新潟に家があり、佐渡の家にはあまり行かないと父の葬儀の後話していました。

初めてホテルに泊まり、親戚以外の人たちと過ごした佐渡でした。
佐渡の人たちは、私に標準語に近い言葉で話しかけていました。
私が『たびんもん』(島外の人、旅人)だったからかなあと思っていたら、若い人たち同士はうっすーらと佐渡弁が残る程度に話していたので、年々薄くなってきているのかもしれません。

佐渡を離れる日、両津港行きのバスに乗っていたら年配の女性たちがドヤドヤと乗ってこられました。

その会話が、懐かしい濃いめの佐渡弁でした。
「おばちゃん?」と振り向きたくなるくらい、子どもの頃、父の実家で聞いたおばちゃんたちの佐渡弁そのものでした。

うーん。やっぱり佐渡弁はあまり詳しく書けなかったなあ。
これでご勘弁を。

佐渡の名所。大野亀と毎年5月終わりから6月上旬に咲くトビシマカンゾウ。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。