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最後に囲んだ家族の食卓

お正月も50回ほど迎えると、その思い出も50近くある。子どもの頃、母方の親戚と集まり、いとこ達とゲームしたお正月。母と祖母、あーちゃん(祖母の義理妹)と4人でこたつに入り、向田邦子ドラマを観ていた10代後半のお正月。母が亡くなった年、「せめて、おせちだけでも食べようや」と父が年末に言うたので、初めてひとりでおせちを作った25歳のお正月。

そしてもうひとつ。忘れられないお正月が2年前にできた。

2年前の5月。父が急逝した。
「親父が危篤や」「今さっき親父亡くなった」
30分の間に2通届いた兄からのメール。

驚くというより、あぁついに来たか、と思った。1月に実家で父と過ごしたとき、生きるちからみたいなものが、消えてきたなあと感じたのだ。

「おじいちゃん、そろそろあかんかもしれん。いつ呼び出しくるかわからんから、あんたもそのつもりにしておきや」と息子には話していた。

父の訃報を息子と夫に連絡、先に帰宅した息子と荷物をまとめて大阪へ向かった。

葬儀会館に運ばれた父、すでにいろんな手続きをしてくれていた兄夫婦と合流できたのはその日の夕方近かった。

これからのことを兄夫婦と話し合い、兄が銀行へ行った後、義理姉からぽつりと言われた。

5月の連休頃に「真澄ちゃんにお父さんに会いに来るよう言うた方がええんちゃう?」ってお兄ちゃんに言うてんけどな。まさかこんなに早くなるとは思わんかってな。まあ夏休みでもええんちゃうってお兄ちゃんとも話して、連絡せえへんかってん。ごめんな。

いや、そんなん全然かまへんで。と、私は答えた。不思議と「亡くなる前にもう一度父に会いたかったなあ」とは思わなかったのだ。
それは、その年のお正月、父と兄と三人で、最後に家族で食卓を囲んだからだった。

消える記憶、残る記憶


その年は、久しぶりに元旦から5日間実家で過ごした。父、兄、私の三人で過ごす久しぶりの実家。昔と変わらず、ごはんつくりは私。

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元旦は私が作ってきたおせちと、兄夫婦がかってきてくれたお寿司やオードブルなどでお正月らしい食卓となった。すっかり食が細くなり、噛む力も弱くなった父は、私が柔らかめに炊いてきた御煮〆や黒豆を食べた。

さて、残る4日間。食は細くなったが、80年の習慣で、朝昼夜3度食べる父。なぜか子どもの頃から口の肥えた兄と、ごはん担当の私。実家近くのスーパーは2日から営業、駅前の2つのデパートもそれぞれ2日からは営業している。まぁ、なんとかなるやろ、と、元旦翌日は私の夫の実家へ行った。

「おとん、あんまり食わへんかった」

夫の実家から戻ると、兄がそう言うた。
朝と夜はおせちの残りや冷蔵庫の残りもの。
昼はお蕎麦を茹でてざるそばに。
兄が用意してくれたが、父はあまり食べなかったらしい。

私が買ってきた缶ビールを二人で飲みながら、兄から父の様子を聞いた。

10代の頃からずーっと父と兄は不仲だ。ふたりだけにすると、ほぼ会話はない。笑顔もない。でもまぁ、貴重な年始休暇を実家で過ごしてくれる兄に、それだけでも大感謝の私は、

明日はなんぞ美味しいもん作るわ

と言い、翌日からの献立を考えた。

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翌朝。そういえばお雑煮食べてないよな、と、家から持ってきた出汁パックでまずお鍋に出汁を大量にとり、すまし汁をつくる。兄と私の分の餅を焼き、お雑煮にする。父は、ごはんとすまし汁、おかずでええかと思いながら、「朝ごはん、どうする?」と聞くと、なんと、

ワシも雑煮くれ!

と言うた。

「大丈夫??飲み込む力、弱まってるんちゃうん?」
「喉詰まったら死ぬで」

(こういうことを遠慮なしに言えるのは、息子と娘だけであろう)。

兄とふたりで言うものの「大丈夫や!」というので、まあ、そこまで言うのなら、と、兄が横についてふたり並んでお雑煮を食べた。

食欲がないと聞いていた父だったが、なんとお餅を1個食べた。

美味かった!ごっそうさん!

すまし汁に焼いた丸餅、水菜やかまぼこ浮かべるだけのシンプルなお雑煮は、神戸生まれの母が好きだったお雑煮だ。佐渡島出身の父は茹でた餅にこしあんをかけるのを「お雑煮」と言っていたが、島の文化だったのか父の実家だけがそうだったのかは、謎のままである。そんな父も、母のお雑煮は好きだった。

認知症が進み、4時間ほど一緒に居たらやっと私を「娘」だと思い出す父だったが、母と何度も食べたお雑煮の味は、覚えていたのかもしれない。

「ほなおれ、お墓の掃除いってくるわ」
昨日ほぼ1日父とふたりきりで、そろそろ息抜きしたくなったような兄は、朝ご飯を食べて洗い物したら、さっと出かけて行った。

朝ごはん食べたら、もうお昼ごはん考えなあかんのかあ。

と思いながら冷蔵庫を見ると、ゆで蕎麦と薄揚げがある。

「お父さん、お昼きつねそば(大阪ではこれを「たぬき」と言う)しよか。」

「ああ、それでええで。」

お昼までは時間もある。洗濯して、普段はなかなかできなさそうな布団干し。その間に、父がトイレへ行く時、椅子やベッドから立ち上がるのを支える。

お昼前。みりん、薄口と濃口醤油、みそを自宅からもってきた私は、甘辛くお揚げさんを炊いた。ちょっと甘めのそばつゆもつくった。

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さすがに1人前は食べられない父だったが、普段とは違う食事だからか、思ったよりも食べていた。

※ここからちょっと不思議な話になる。

この日は台所に立っていると、隣にだれかいる気配がしたのだ。

この気配はなんやろ?と思いながら、お揚げを炊いて、つゆをつくる。
出来上がった「たぬき」を食べると、不思議とおばあちゃん(母方の祖母)がつくった味とそっくりだった。

おばあちゃんと立った台所


中学校教員として働き続けた両親。私が小学校低学年までは、近くに住む母方の祖母が、時々ごはんを作りに来てくれていた。

祖母はとにかく料理が上手かった。丁寧にお出汁からとる和食から、ロールキャベツにグラタンまで。おでんの日はお昼からぐつぐつ炊いていた。祖母のおでんのおかげで、父は関西おでんにしか入っていないという「コロ」(くじらの本皮)が好物になった。兄と私だけでなく、父も、祖母の料理が好きだった。

晩ごはんの用意をするため、台所に立った時も、やはり「気配」を感じた。

やっぱり、、おばあちゃんや。おばあちゃん来てる。

見えないものは見えないし、聞こえないものは聞こえない私。だが、「気配」だけは、はっきりと感じられた。なんの根拠もないけれど「おばあちゃん居てる」とわかった。

それならば。

お出汁もとったことやし、今夜は「かやくごはん」(炊き込みご飯の関西の名称)にしよう、と決めた。

おばあちゃんの「かやくごはん」は、ほんまに美味しかった。
数年前、京都の有名なおうどんやさんで「かやくごはん」を食べたとき、その味がおばあちゃんの味とそっくりで驚いたのだ。

おばあちゃんが隣にいてるなら、大丈夫や。
お出汁もあるし、ひじきも炊こう。

根拠はないが、きっと美味しく作れる確信はある。
かやくごはんを炊飯器に仕込み、ひじきを炊く。
のこった出し汁でみそ汁もつくる。
メインは記憶にないが、何かつくったんやろう。

おばあちゃんが生きている間に、料理を教わることはなかった。
もったいなかったなあ、教えてもらっといたらよかった。

そんなことを思いながら、となりにおばあちゃんを感じながら、ごはんを作った。

炊きあがったかやくごはん。炊飯器の蓋を開ける。

ふわ~っと立ち上がる湯気と香り。
食べる前にわかった。

これ。おばあちゃんのかやくごはんと同じや。

最後の食卓

こうして出来上がった晩ごはん。

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かやくごはんを一口食べた父が、久しぶりに言うた。

「美味い!」

子どもの頃から口が肥えて、実家にいた頃は私のごはんを黙って食べていた兄が、ぼそっとつぶやいた。

「あ、うまい」

普段はお粥に近いごはんしか食べない父は、かやくごはんをきれいに食べて、兄は黙ってお替りをよそっていた。

美味いやろ。そりゃそうや。おばあちゃんと作ったんやからな。

とはさすがに言わなかったが、ふたりとも、もしかしたら思っていたかもしれない。「おばあちゃんの味に、よう似てるなあ」と。

翌朝。あれだけ感じたおばあちゃんの気配は、台所から消えていた。
その日の夜、父のリクエストでつくった、カレールーでつくるカレーライスは、いつもの私の味だった。

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あのお正月から2年がたった。にぎやかで楽しいお正月も思い出に残っているが、あの実家で過ごした最後のお正月は、他のお正月とは違う色を持って私の中に残っている。

あの後。父は肺炎を患い、入院。2月の終わりには嚥下力もさらに弱まり、介護食すら食べられなくなった。一時は退院したが、その誤嚥性の肺炎となり再入院。「おやじ、経鼻栄養チューブすることになった」と兄から連絡がきたのは、再入院のすぐ後だった。

あの時のごはんが、父にとっての「最後のごはん」やったんかもなあと、思った。それならば。おばあちゃんの気配を感じながら、あのごはんが作れてよかったなと思う。二度と食べられないと思っていた「おばあちゃんのごはん」。最後に食べられて、父に作れて、よかったと思う。

父が亡くなり、実家を処分することになり、そのあと、あの台所で兄と食事をすることもなかった。

あれは、父にとってだけでなく、兄と私にとっても「最後の食卓」だったのだ。懐かしい、あったかいごはんとそれを囲む食卓。

兄の中で、あのときのごはんが、あの味が、残っていたらいいなと思う。

あれから何度もごはんをつくってきた。
おばあちゃんがとなりに来ることは、あれから一度もない。

次、おばあちゃんが来るのはいつなんやろ?
ひさしぶりに、かやくごはん、炊いてみようかな。
それとも。ロールキャベツ、作ったら、また横に来てくれるかな。



美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。