息子と私とサンタさんの「契約」
朝起きたときから晩ごはん前まで。radikoでつけっぱなしにしてるFM802から、懐かしいクリスマスソングが流れる。楽しいだけのクリスマスはお母さんになる前まで。息子が産まれてからは、いろいろ段取りや予定、買い物に料理と、やることが増えた。それでも、毎年やってしまう。それが、私のクリスマスだ。
息子が中学生になってからは、「今年は何食べる?」と聞くばかり。毎年恒例のこんなセリフも言わなくなった。
「そろそろサンタさんへのプレゼント、連絡しなあかんから決めときや」
12月が見えてくると息子に毎年聞いていた。
これは、まだまだそれを息子に言うていた頃のお話。
⚫️息子とサンタさんの交流
息子が初めてサンタさんにリクエストしたプレゼントは、トミカの救急車だった。
2歳半くらいやったろうか。
12月25日の朝。突然ガバッと起きて、枕元のプレゼント見た時、驚きの表情。
あーちゃん、サンタさん来たーー!
と喜び、窓を開けて、
サンタさーん!ありがとうーー!
と、窓から大声で叫んだ。
そのとき私は決めた。
これはおもろい!
こんなん見れるんは親の特権や。
毎年やろうーー!
12月25日は私も元夫もふつーに仕事があったので、当然息子も保育所へ行く。保育所行こうとアパートの外で息子を自転車に乗せてたら、
「サンタさん来たのね!よかったね!」とお向かいのおばちゃんに言われたのだった。(めちゃめちゃ響き渡ってたらしい、、、)
*
その後のサンタさんからのプレゼント。
保育所時代はトミカからプラレール。
トーマスに始まり、
南海電車ラピートへ。
乗り物系の後は戦闘系へという、
ごくメジャーな男の子のおもちゃ遍歴を進む息子。
10年以上前にはやってたのは、トランスフォーマーの日本版みたいなやつ。ロボットが車になるとか電車になるとか。
「おもちゃ買わそう思て、ええとこついてきよるなぁ」とじいちゃん(私の父)が感心していた。
戦隊おもちゃの後はレゴブロック。小学生からはDSのゲームソフトと、サンタへの発注品も変化していった。
⚫️サンタさんからの手紙
こうして毎年クリスマスにやってきて、欲しかったものを置いていってくれるサンタさん。息子にとっては「年に1回会うめっちゃ気前いい親戚のおじいちゃん」みたいな存在だったようだ。
小学低学年のクリスマスイブの夜。毎年恒例のクリスマスケーキ(フードプロセッサーに全材料を入れ、混ぜて焼くだけチーズケーキ)を食べながら、息子が言い出した。
サンタさんにも、あーちゃんのケーキ食べてもらおう!!
お手紙も書いておく!
そうして寝る前にサンタさんに書いた手紙とチーズケーキを、テーブルの上に置いて息子は寝た。
さて。どうする、このチーズケーキ、、、
翌朝5時半に目覚ましかけて、そっと起き。
静かーにプレゼント置いた後、チーズケーキ食べた。
朝5時半、寝起きのチーズケーキ。
今思い出しても、結構重い。
外が明るくなり、いつもの時間に起きた息子はプレゼントを確認した後、食卓の上の皿を確認した。
すごいーーー!!!
サンタさん、食べてくれたね!
こうして、クリスマス行事に
サンタさんにケーキを用意しておく
というのが加わった。
*
今年はサンタさん、お手紙くれるかなあ。
小学校3年生だったろうか。
「サンタなんておらへんで」
「ほんまは、おかあさんとかおとうさんやねんで」
と言い出す子が出てきた。
案の定、息子も仲よしK太くんに言われたらしい。
サンタさん、うちには来るもんなあ。
今年はお手紙の返事欲しいなあ。
さて、どうするか。
仕事帰りに文房具屋さんでクリスマスカード(すべて英語表記)を買い、20年以上ぶりに筆記体で簡単な英文で「サンタさんからの手紙」を書いた。手紙は息子に見つからないように、職場のデスクの引き出しに入れておいた。前日忘れないように持って帰り、プレゼントと一緒に隠しておいた。
あーちゃん、すげー!サンタさん、手紙くれた!
12月25日の朝。プレゼントと手紙を見つけた息子は大喜びだった。
これ英語やんな。なんて書いてんの??
と渡されたので、自分がつくった英文を自分で訳した。
その日。学童に行った息子は、サンタさんからの手紙をこっそりK太くんに見せたらしい。
それなに??それなに??と寄ってきた仲良しくん数名と、その手紙を眺めた。
すげーー!!サンタの手紙や!
英語やな!!
サンタ、ほんまにおるんや!!
まだまだかわいい小3男子たちだった。
それぞれ家に帰り、当然お母さんたちに話したらしい。
話を合してくれたお母さんたち、ほんまにありがとう。
そやけどな。K太のうちには、サンタさんこーへんらしいねん。
なんでやろな。なんでサンタさん来る家と、こーへん家あるんやろ?
そのとき、私は息子に「サンタ契約」について話したのだった。
⚫️サンタ契約~えらい現実的な夢の話
あんな。あーさんがあんた産んだとき、産婦人科のせんせーのとこで、「サンタ契約」の説明書と申込用紙渡されてん。子どもが生まれてから6か月以内に、その契約書にいろいろ書いて、サンタさんところに送るねん。そしたら、その子が12歳になるまで、毎年サンタさん来てくれるねん。
K太くんの家は、お兄ちゃん二人もおって忙しかったから、お母さん忘れてはったんかもしれんな。
私の説明に息子は納得したようだが、こう聞いてきた。
なんで12歳までなん?
毎年世界中で子どもが生まれてくるから、上限つけへんかったら、サンタさんがプレゼント届ける子ども、永遠に増え続けるやろ?そやから12歳までって決まってんねん。
そのあとも、
・サンタさん、プレゼント買うお金はどうしてんの?
・なんであーさんに欲しいもん言うてんのに、サンタさんがわかるの?
などと聞いてきたが、
・サンタ基金っていうのがあってな。世界中のお金持ちのひとらが寄付してくれたり、世界のお母さんお父さんたちも基金にお金振り込んでるねん。
・12月の締切日前に、お母さんお父さんたちが「今年はこれでお願いします」ってメールでサンタさんに発注しておくねん(なんや、生協の宅配みたいやなあ、、)。
と答えていた。
でもやはり。これは怪しいぞと思い出した小6のクリスマス。
息子12歳。サンタ契約最後の年。
サンタ言うてるけど、ほんまはあーさんやろ。
とクリスマス前に言うてきた。
その瞬間。私は即答した。
はいー!今年君のところにサンタさんは来ませんー!
サンタはおらん、とか、サンタはお母さん(お父さん)やろ、と言うた場合、契約最終年迎えてなくても、契約は打ち切られます。
え~!!もう、おるから、、サンタさんおる!
契約切らんといて!
こうして無事に、息子とサンタさんの年一回の交流は終わったのだった。
⚫️振り返って思うが、やはりサンタはいたのだ。
このnoteを書いているうちに、いろいろ思い出した。
サンタ契約期間のほとんど、我が家はひとり親家庭だった。私が非常勤で働き、数々の免除や手当てを駆使し、父からも「家賃の足しにし」と封筒をもらってた。
経済的に楽な生活ではなかった。12月というても、ボーナスは出ない非常勤。それでも、毎年サンタへ発注支払いできてたのだ。
なんやかんやいうて、毎年プレゼント用意できたし、クリスマス用のちょっとだけごちそうも作ってあげられてたなあ。
税金や、父のサポート。そして不思議な何かに支えてもらい、我が家の経済はまわってたのだ。
サンタ、おるよなあ。
サンタ契約が終わって6年経つが、改めてそう思った。
息子のところには、もうサンタは来ない。
けれど、息子とパートナーの間に、かわいい孫がやってきたら教えてあげよう。
あんな。あんたが生まれたとき、おばあちゃんがちゃんと「サンタ契約」申し込んでおいたさかいな。お父ちゃんにそう言うとき。
美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。