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息子の19年を振り返り、名づけ本を思い出した

7月末日、息子は19歳になった。私も母歴19年。そして、うちらが親子としてつきあってきて、19年となった。

あっという間だったが、後ろを振り返ると、歩んできた道に「ネタ」のタネをたくさん落としていた。そんなネタの花が咲き、実がなったので、私はせっせと収穫して加工して、noteに書いてきた。

7月で受講を終えた『天狼院書店ライティングゼミ』の毎週提出2,000字コンテンツでも、書いてきた。息子のネタはWEB掲載率が高かった。noteに書くと私たち親子を知っている人、知らない人も楽しく読んでくれているとわかった。

今まで書いてきた息子と私の話。一つのnoteにまとめてみよう。

こういうのは、20歳の記念とかでやるのがいいのだろうが、19歳という中途半端な年齢でやるのもええかもしれん。よろしければ、しばしおつきあいください。

二人暮らしの初めは「さみしい」といっぱい泣いた

息子が4歳半のとき、元夫と私は離婚した。そして、息子と私二人での暮らしが始まった。息子と夫は週末を二人で過ごしていた。息子には「あーさんとぼくのおうち」「パパさんのおうち」二つのおうちができた。息子は4歳半で、いきなりハードな人生が始まった。

小学校に入り、さすがに毎週末泣くことはなくなった。だが、小1のある月曜日。朝、突然息子が泣き出した。

「あーちゃん。やっぱり、さみしいよー」
前日、元夫と過ごした時間がよっぽど楽しかったのか。詳しくは聞かなかったが、「どうしたい?」とだけ聞いた。「学校休んで、あーちゃんといたい」担任には正直に話して、職場には「息子の(心の)調子が悪いんで」と連絡して休んだ。二人で、ごくふつうに1日を過ごしたら、翌日、元気に学校へ行った。
その日から、「さみしいよ」と泣くことがなくなった。

れは、自分で選ぶから

離婚してから3年。息子は「もう3人で暮らすことはないんや」と諦め、そして強くなった。いっぱい泣いた分だけ、彼の心は強くなった。

「友達は自分で選ぶから。お母さんだけ、お父さんだけの家の子やからって、友達になれるわけ違うから」と、きっぱり私に言うくらい強くなった。あの日のユニバは、大阪湾から吹きっさらしの冷たい風が吹いていた、2月の日曜日。あの時の息子の顔と風の冷たさは今も覚えている。

ユニバでもらったスヌーピーは、今でも息子の部屋に座っている。

名字も自分で選んだ

息子の通った小学校は、ひとり親家庭が多かった。

「私、夏休み終わったら名字変わるねん」
「へーそうなんや。俺も2回変わったで」
「うちかて、お父さん3人目で名字も3回変わってんねんで」

息子小6。班別学習の際、謎の「名字どれだけ変わったかマウンティング」が始まるくらい、ひとり親家庭が多かった。息子は

「俺、お母さん再婚したら横浜行くねん」

と言ってマウント取ろうとしたらしいが、先生が「そこの班、ええかげんにしときや」と顔に書いていたのでやめたと、家で話してくれた。

親の離婚や再婚で子どもの苗字が変わる子がほとんどだった。
息子の小学校で、親子別姓はうちら親子だけだった。

「あのさ、名字って●●●(私の旧姓)に中学からできる?」
私が再婚して名字が変わったタイミングで、まさかの「名字変えよかな」発言が息子からでた。理由は、漢字三文字でかっこいいから、だった。

「もう遅いねや」

あのドラマの名セリフが出てしもた。
「とんでもなくめんどくさい手続きして、裁判所で認定されたら、できるかもしれん」と説明したら、
「ほな、ええわ」とあっさり諦めた。

いろんな大人に見守られ

家族以外にも、私と息子の周りにはたくさんの大人がいた。血縁はなくとも、その人たちに声をかけられ、見守られ、助けられて毎日の暮らしを乗り切っていた。前述の同級生のお母さんたちだけでなく、当時私が働いていた職場の人たちもそうだった。

さらに、ご近所のおばちゃんやおっちゃん。

こうして息子は小学校卒業まで、私と二人で暮らしていた。
そして、中学校からは横浜へ行き、2度だけ会うたおっちゃん(私の夫)との三人暮らしが始まった。

無事大学生になりました

中学、高校とあっという間に6年が過ぎ、この春息子は大学生になった。

他の親子であれば立派な成功ストーリーとなるのだろうが、そこは息子と私である。大学受験でも、きっちり「ネタ」を作り、きれいなオチまでついてきた。さすがにこれを書くのは嫌がるかと思った。一応相談したら「俺のアホがバレるやんけ!」と言っていたが「私とあんた、名字違うから大丈夫や」と言うと納得していた。親子別姓でよかった。

父が生きていたら、孫の合格を喜んでいただろう。ずっとうちら親子を支えてくれて、息子のことが大好きだった私の父は、息子が高校2年の春に亡くなった。

「真澄ちゃん、●●(息子)大丈夫? 始まってからずっと揚げもん食べてるで」父の通夜振舞いで、姪っ子に心配されるくらい息子は食べ続けていた。

「なんかなあ、食うても食うても、腹いっぱいにならんねん」から揚げとフライドポテトをまだ食べていた。
「おじいちゃんが、『食え、食え』言うてたんやろな」と息子に言った。

父は認知症で息子の年齢が分からなくなっても、「腹減っとらんか?」と息子の空腹を心配していた。息子がたくさん食べるのを見るのが好きだった。「おじいちゃん、喜んでるで。みんなが集まって、あんたら孫がお腹いっぱいになるのん見るの、好きやったからな」

姪っ子は「見てるだけでお腹いっぱいになるわ」と呆れていた。

ただし、この名前のお子さんは、波乱万丈の人生となります。

「俺の名前の漢字ってさ、なんか壮大な意味の漢字使われてんねんな」

息子の大学の前期課題レポートの一つに、漢字をテーマにしたものがあった。「何書いてええかわからん」と彼が言うので、私の筆文字師匠で友人の真美ちゃんに相談。「名前についてはどう?」とアイデアとたくさんの参考資料を貸してもらったのだ。

「俺の名前ってさ、どうやってつけたん?」と聞かれた。

男の子が生まれたらつけたいと思っていた名前があってん。あんたがお腹にいた時からずっとそれで呼んでてな。産まれた後、病室にパパさんが名付けの本何冊か持ってきて、二人でそれ見ながら、画数やらなんやら考えてその漢字にしてん。

話しながら、私は19年ぶりにその光景を思い出した。「これにしよう」と元夫と決めた息子の名前。説明には、人格、運勢ともいいことばかりが書いていた。だが、最後に気になる一文が書いてあったのを思い出した。

ただし、この名前のお子さんは、どちらかというと波乱万丈の人生を歩むことになるでしょう。


当たっている。かなり当たっている。名付け本、かなり信頼できる。

息子には申し訳ないが、彼と親子になったおかげで、私も楽しい人生を歩ませてもらっている。

これからも、元気に楽しく波乱万丈の人生を歩み、私にネタを提供してください。

ネタのお礼は、うまいもん食べさせてもろたら、ええらしい。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。