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私なりの"バカ"の定義
「ネジがバカになった」など、なんだかんだで日常的によく使われる言葉、"バカ"。
私は自己紹介に入れるぐらい"バカ"が嫌いです。
今回は、私なりの"バカ"の定義についてお話しようと思います。
【私なりの"バカ"の定義】
辞書的な意味で言うと、「知能が劣っていること、またその様、あるいはそういった人。」といったところでしょうか。
私の定義としては、「できる努力を怠り、他人に迷惑をかける人」です。
「できる努力」というのがポイントです。
私は、大人の頭の良さは、大きく分けて3つの要素で構成されると思っています。
①知識
②社会人経験
③対人関係
ひとつずつ補足していきます。
まず、①知識。
これは、学校での勉強もそうですが、もっと幅広く、「何かをするときに必要な情報をどれだけ持っているか?」ということです。
「弁護士が持っている法律に関する情報」も「家を建てるときノウハウ」も「ギターのコードの押さえ方」も、全てが「知識」に当てはまります。
特徴としては、「本気で学べば手に入るもの」です。
もちろん向き不向きや、習得にかかる時間は人それぞれにはなりますが、今回は話の本筋からズレるので触れません。
次に、②社会人経験。
これは読んで字の如くです。
社会人としての経験は、年を取るほど如実に表れます。
「誰もやりたがらないけど、誰かがやらなきゃいけないからやった」など、自ら進んで困難に立ち向うなどで得られるのが、社会人経験だと思います。
残念ながら報われないことが多い気がしますが、確実に必要です。
特に「問題解決能力」については経験値でかなり差が開きます。
周りの「頼りになる人」を思い浮かべてみてほしいんですが、その方って問題解決能力が高くないですか?
そういった意味で、社会人IQというものがあるとすれば、キーワードは「問題解決能力」です。
余談ですが、稀に「私は問題提起をしている!私はデキる!」と鼻息を荒くする方を稀に見かけますが。
概ね自分の不満をぶちまけているだけで解決は他人任せのことが多いので、むしろデキない寄りだと思います。
問題提起と解決策の提案がセットになって初めてスタートラインです。
最後に、③対人関係。
対人関係を甘く見ている人が多いからこそ揉める=平和にならないとさえ思います。
自分以外は皆他人であることは明白で、そこで必要なのが「臨機応変なコミュニケーション能力」。
人間は(基本的には)言語によってコミュニケーションを図ります。
それなのに、「察してほしい」や「それぐらい言わなくてもわかるはず」など相手のテレパシー能力に依存したコミュニケーション方法を強要する方が散見されます。
口に出して言わないからすれ違うのです。
「壊れるほど愛しても3分の1も伝わらない。I love youさえ言えないでいる〜」
良い曲ですが…言わないから伝わらないのです。
言語化を怠けることは、コミュニケーションを怠けるのと同義です。
コミュニケーションを怠けるということは、他人を大事にできないということです。
産まれたときは誰もが「オギャア」しか言えなかったのに、誰もが言葉を覚えて今に至るはずです。
もう少し努力するだけです。
嫌われるか、自分が少しがんばるか…私は後者を選びます。
さて。
これら3つの要素について共通しているのは、「努力すればある程度の成長や改善が見込める」ということです。
逆に、これらを努力しない場合、「何かしらの形で未然に防げるような迷惑を積み重ねている」ということになります。
つまり、私の定義では"バカ"ということです。
【バカで何が悪いのか?】
私の中の"バカ"の定義は説明できたかと思います。
ここからは、もはや倫理観といった話になります。
「バカで何が悪いのか?」
そう思う方もいるでしょう。
感情的に理解したくないという方も、冷静に考えてみていただきたいのです。
私の定義による"バカ"は、本人の怠慢によるものです。
「バカで何が悪いのか?」にその定義を代入すると、「怠けて人に迷惑をかけて何が悪いのか?」となります。
これはもう倫理観の問題です。
もちろん、人間というのは生きているだけで誰かしらには迷惑をかけてしまう側面があります。
だからこそ、減らせる迷惑は減らしていきたいと私は考えています。
あるいは、「どこかしらで迷惑をかけてしまうから別な形で恩返しする」でもいいでしょう。
それが気遣いや思いやりであり、優しさらしきものなのではないかと思います。
つまり、こんな長文を書いた割にメンタルセットとしては、使い古された単純なものです。
「人に迷惑をかけないようにしよう。」
これだけです。
前述の通り、生きていれば誰かしらに迷惑はかけてしまいます。
かと言って、迷惑をかけてしまうような悪癖を放置して、案の定迷惑をかけても平気な顔をしているのは違うと思います。
学べば手に入る知識を得て損はないし、臨機応変なコミュニケーションで、問題を解決する。
それでもレベルの違いで迷惑をかけてしまうことはあるわけで、スタートの努力すらせずに迷惑をかける"バカ"は、遠ざけるに越したことはないと思うのです。
終わりに………【人という字】
紙に、「人」と書いてみてください。
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どう見ても1画目が2画目に寄りかかっていませんか?
私の定義の"バカ"は、まさしくこの1画目なのです。
常に"誰か"や"何か"に寄りかかっている状態。
2画目の人は、永遠に耐えられるのでしょうか。
1日に100の仕事をこなす、10名が勤務している小さな会社があったとして、
A 9人が無理なく5ずつ仕事をしているが、デキる1人だけが55の仕事をこなしている
B 10人全員が少しずつレベルを上げて、1人辺り10ずつの仕事をこなしている
間違いなくBのほうが健全です。
Aのほうは、1画目の人9:2画目の人1の状態です。
せめて給与面などで優遇されることを願うばかりです。
私は、2画目の人に目を向けられる人間でありたいと思いますし、2画目の人がバカを見ない社会こそ、優しい社会だと思います。
最後に、もう1度繰り返します。
私は"バカ"が嫌いです。
私の中の"バカ"の定義は、「できる努力を怠り、人に迷惑をかける人」です。
今、能力が低いなら、上げれば良いじゃないですか。
周りは甘やかすんじゃなく、少しでもできるように助けてあげる。
そのほうが、優しい社会だと思います。
本日は以上です!
ありがとうございました!
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