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歩き遍路の話29 「まぁいいか」は自分に甘んじている?

11月14日

遍路再開して7日目。通算1ヵ月と2週間。

前回の遍路記事はこちら。↓
88番札所を打ったけど、私は24番札所からスタートしているので、まだ結願じゃないというところでした。

今回はその続き。88番から1番までを歩きます。

しかしその距離は約40kmあるので、1日で歩くのはキツイ。40km以上歩いた日もあったので無理ではないけど、今までの経験からすると、だいたい前日に見積もった距離プラス5kmくらいが実際に歩いた距離になっていたので、この日は大体30kmくらいのところに宿をとった。

それで実際に歩いた距離を見てみると、約36km。やはり見積もりよりオーバーしてる。この日はかなりきつかった!

しかも雨だった。

遍路の最初のうちは雨も楽しいなと思ってたけど、この季節になると寒いしトイレ近くなるしで、かなり辛かった。


出発直後、6時45分頃の景色。山の上

途中、遍路道と車道と分かれるところがあり、どっちに行こうか悩んだ。

というのも、基本的には遍路道を歩きたいのだが、何しろ寒くてトイレが近い!(泣)こういうとき男だったら楽なのになぁと何度思ったことか。

そして悩んだ結果、遠回りになる車道のほうを選んだ。

私は歩くスピードが結構速いほうで、他のお遍路さんをどんどん抜かしたりしてたのだが、この私が選んだ車道、どうやら相当まわり道だったらしく、道が合流したときには他のお遍路さんに抜かされたり追いつかれたりしていた。つまりまわり道、相当しんどかった。

しかも結局トイレがあったのは、遍路道との合流地点の500mくらい前。かなりショックだった。

香川県から徳島県に入る


立派なイチョウの木

でも、まわり道をして車道を歩いたから、この立派なイチョウを見れた。そう思うと、まぁいいか、と。

今までの自分は、「もしあのときあっちの選択をしていたら、もっと違っていたかもしれない。もっといい人生になっていたかもしれない」と思うことが多かった。「あのときああしていれば……」

でも、遍路のこういった小さな選択の積み重ねが、今の自分の人生でも「まぁいいか」と思える自分を作ったのかもと思う。

「まぁいいか」は一見、現状に甘んじているように思える。

けれど、「あのときああしていれば」を考えて後悔し続けることは、過去に囚われているということだし、自分をずっと攻め続けていることになる。自分を肯定できないのは、つらい。

「まぁいいか」は、そのときの状況で、そのときの自分の身体の状態と精神状態で、そのときの自分が最善だと思って出した結果だ。

ということを考えると、「そのときの自分が思う一番良い選択をしたんだ。だから今の自分が、もっとこうすればよかった、なんて言っても通用しない。あのときはあれが精一杯だった」と思える。

そう思えるようになると、過去の様々なことを思い出して悔やんだときにも、そう考えられるようになる。

多分、そうして私の自己肯定感は上がっていったのだと思う。

今まで生きてきた中で、いろんな選択肢、いろんな分岐点があった。思い返せば、あのときあっちの道を選択していれば、と思うことも多々あるけど、どれも全てそのときの自分が悩んで出した結論なのだから、悔やんでも仕方がない。

むしろ、現状が良いか悪いかは置いておいて、今まで自分が自主的に選択してきた積み重ねで、今の私があるのだ。

だから私は、今の私が好きだ。

今、遍路をしてから4年ほど経つ。最近の私は自然と自己肯定感、満足感が高くなっているなとは思っていたけど、実はこの遍路がきっかけだったんじゃないかと今更ながら思った。

遍路直後に劇的に悟ったりすることはなくても、年月を経て、こうやって変わるもんなんだなぁ。と、このnoteを書き始めてから度々実感している。


雨で霧がかった景色


今回も読んでいただいてありがとうございました。

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