歩き遍路の話37 長すぎる辛い一日だった
こんにちは。
最近、記事を書いたと思って安心していたらすぐに日が経ってしまって焦っています。継続的に読んでくださっている方々には申し訳ないです。それでもいつも読んでくださり、ありがとうございます!
前回の続きから書きます。
11月21日
歩いた距離、約44キロ。なんと!ここに来て、この長距離!!
平等寺近くの宿~海ルート~23番札所・薬王寺~牟岐の民宿。
朝、まだ日が昇る前、川面から水蒸気が立ち昇っていた。寒さに凍えながら歩く。遍路出発したときは真夏だったのになぁ。
林道のような道を歩いていると、やっと朝日が出てきた。葉っぱの隙間から差し込む光が美しい。
そしてこの朝日に向かって歩くと、海に出る。太陽の温かさを有り難く感じながら、いそいそと歩く。
山から国道に出て少し歩くと、電柱にお遍路の道しるべが。
「海」という文字に心躍った。
私は海育ちなので海なんて全然珍しくもないのだけど、なんでこんなに心躍るんだろう?と考えた。
そうか。
ここは、1番札所から歩き遍路を始めるお遍路さんたちにとって、最初の海なのだ!
1番から22番まで、焼山寺を下りた後一度徳島市内には出るが、また太龍寺など山のほうへ行くので、遍路をスタートしてからここまで約5日~1週間、ずっと山なのだ。
私の場合はここまでぐるっと四国をまわってきているので、香川の86番・志度寺のある志度の町からここまで、9日間ずっと山を歩いていたわけだ。正確には、山と街(町)で、ずっと山道ではないが、とにかく9日間海は見ていなかった。
そうか、だからこんなに「海」というワードに惹かれるんだなと腑に落ちた。
海までの道の途中には、不法投棄を防止する看板がたくさん建てられていた。どれもこんな風で、かわいい。くすっと笑わせてくれる。
しかしどうやら看板の甲斐もなく、いたるところに不法投棄が見られて悲しくなった。
朝の海は、とても静かで、キラキラ光る海面がとてもきれい。
朝、たしか6時半くらいに出発したんじゃなかったかと思う。それで、この頃10時半頃だったと思うけど、とてもお腹が空いていた。
でも宿からここまでずっと山だったし町も通らなかったので、食べ物を調達することができなかった。今も海で、近くに店はない。どうしよう、と考えた。私はお腹が空いたら体調が悪くなってしまうので。。。
それで、思い出した!
昨日太龍寺のロープウェイ乗り場で韓国人遍路さんにもらったおにぎりがある!!!
よかった!救世主だ!と思いながら、それを取り出した。
昨日の昼にもらって、その後食べるタイミングがなくて持て余していた。捨てるのもなんか嫌だし、どうしたもんかと思っていたのだが、今はこれがあってよかった。
しかし実際このおにぎりは、いつ作られたものなんだろう?と思いながら、でも背に腹は代えられん。食べない選択肢はなかった。笑
まずは焼きおにぎりのほうを食べてみた。固い。めちゃくちゃ固い。
そして、焼きおにぎりの焦げた醤油の部分が、手についた。拭いても拭いても取れない。とりあえず諦めて白いおにぎりのほうを食べる。こちらも固い。全然おいしくない。
でもひとまずお腹は落ち着いた。たくあんがおいしかった。
こんな数日前の固すぎるごはんを食べることになるなんて、まるでほんの少し戦時中みたいだな、と思った。とても不思議だった。普段ならきっと、捨ててしまうごはんだ。けれどこのときは、こんなごはんでも、とても有り難かった。
もちろん戦時中の切実さには程遠いのだろうけど。現代でこんな感覚になるなんて。食べ物って有り難いんだな。
で、この指についた醤油、その後水道を見つけて洗っても洗っても、全然落ちなかった。ほんとにこれはいつのおにぎりだったのか。。。まぁいいか。ベタベタする指に違和感を感じながら、続きを歩き始めた。
また少しだけ山道になった。
山の木々を、蔓が覆っているのが目に入った。藤蔓だろうか。
私はこの歩き遍路旅に出る前は、熊本の山にいた。そこで生活する中で初めて知ったのは、山の立派な樹々たちを藤蔓が覆ってしまって、他の樹々が瀕死状態にあるということだった。
大きな樹にも太い蔓が巻き付いて、絞め殺そうとしている。
私は藤の花はキレイで好きだったので、蔓のほうにそんな一面があるなんて知らなかった。
そうやって山をよく見ると、いたるところに蔓がはびこり、樹の上まで到達してまわりの他の樹にも覆いかぶさって、光を遮ってしまっている。たくさんの樹が死にかけていた。
それで、他の樹に巻き付いている藤蔓のほうだけを切ってやると、蔓は次第に枯れ、もとの樹は息を吹き返す。
そうか、スギやヒノキの人工林だけでなく、自然林も人間が手入れをしなくなったら荒れていくのか、と思った。
話がだいぶ遍路から逸れてしまったが、とにかく私はこの山道を歩いていて、そんなことを感じた。太陽の光が届かない山道は、昼間でも暗い。
また海に出た。ウミガメの産卵で有名な日和佐の海だ。
近くにはウミガメ博物館がある。
さて、この辺まで来たら、もう私の庭です。
いえ全然庭ってほど精通してるわけではありませんが(盛りました)、それでも23番薬王寺のある日和佐あたりからは、もうずっと昔から車でしょっちゅう通る地域なので、馴染みがあります。
ついにここまで来たかー!という感じ。
昔からたまに来ていた薬王寺に、今回は遍路として登る。
左側には、さっき歩いてきて写真を撮った橋が見える。そして真っ直ぐ続く商店街の道。右側の小高い山は、日和佐城。
町を見ていて、思った。このお寺も、ずっとこの町を見守ってきたんだなぁ。と。
そういえば以前どこか、何かで、城とお寺の関係を聞いたことがあるような気がしたんだけど、何だったっけ?見張ってきたか、守ってきたか、何だったか。気のせいか?私の妄想か?
さて、この日和佐の薬王寺を打ったら、あとはもう気が楽だ。今日の牟岐の宿までは1時間くらいで着くだろう!
と思っていた。
まったくの計算違いだった。
普段車でよく通る道だから、すぐ近くなもんだと感じていたが、歩いたらどうやら2時間ほどかかるらしい。いや、それも昨夜のうちに距離など計算していたはずなのだが、その計算も間違っていた。
愕然としながら、歩く。とぼとぼ歩いていたか、焦って早歩きしていたかは覚えていない。だが、「ここからは余裕だ」と思っていたところに計算違いの倍の時間が発覚したわけだから、心は一気に急降下。
めちゃくちゃ辛かった。
そこに、たしかすれ違いのお遍路さんだったかとうっすら記憶しているが、おばあさんから袋入りのキャラメルを貰った。それで気持ちは少し励まされたものの、私は甘いものはほとんど食べないし、キャラメルはまったく食べない。それでまた悩みを抱える。
このキャラメルどうしよう。。。
お接待でいただくものは、有り難い。物というよりも、気持ちを受け取るのだ。
とはいえ、気持ちと一緒にいただいた「物」をただの「物」だからといって無下にすることはできない。それはずっと遍路中の課題でもあった。食べないものは断ればよいのだろうが、一応お遍路のルールの中には「お接待は断ってはいけない」というものもある。いや、まぁそこまで厳密に守る必要はないのだろうけど。
実際何度もあった「車で乗せてってあげる」というお接待は、「歩きたいから」と丁寧にお断りさせていただいてきた。
でも差し出してくれる「物」を断ることは私はできなかった。勇気のなさか、弱さか、めんどくささか、分からない。
そのキャラメルの大袋をリュックに入れたまま、歩きながら考える。もしかしてこれ、さっきのおばあさん遍路も、誰かにお接待としてもらったけど食べないから困ってたんじゃなかろうか?そうだ、きっとそうだ。
途中、とあるレストランの庭先にいるポニーを見て癒された。
地元の人らしき女の子とその母親がやってきて、一緒に見た。私はポニーだけじゃなく、かわいらしい女の子にも癒された。
はっ!そうだ!この子にさっきのキャラメルをあげよう!
リュックから取り出して、封を開けていないキャラメルの大袋を女の子に手渡しながら、お母さんに言った。
「これ、さっきお接待でいただいたんですけど、私食べないので、よかったらもらってください」
お母さんはお礼を言って受け取ってくれた。
けれど実際、これがよかったのかどうかは分からない。せっかく厚意でいただいたものを、他の人にあげる。それってその人もいらないのではないか?ループなのではないか?でも私が持っていてもしょうがない。欲しい人がいたらその人にあげるのが一番良いのだろうけど。
この経験から、遍路が終わってから私がお遍路さんにお接待をするときは、負担にならないもの、無難なもの、処理が楽なものなどを選ぶようになった。一度、私の思いが強すぎた相手に対しては、冷静になって考えるととても邪魔なものをあげてしまったなぁと情けなく思っているのだけど。それ以外は水とかパンとかをあげている。そういうものが私は一番嬉しかったので。(私は甘いもの好きじゃないのでジュースも微糖コーヒーもNG)
さて、ポニーと女の子に癒された後、よっしゃ残り頑張ろう!と再び歩き始めた。
でもだいぶ身体が堪えていて、途中手作りのかわいらしいベンチがあったので、そこでしばらく休憩させてもらった。さっきポニー見て休んだはずなのになぁ。最近はあまり休憩もいらずに歩けていたのに、このときは久々にとても疲れていた。もう歩きたくない。
国道沿いのベンチで座っていると、目の前を通り過ぎた車が、少し先で停まった。なんだろう?と思って見ていると、女の人がこちらに向かって小走りでやってくる。
どうやら私が目的らしいと途中で気が付いて、私も向かった。多分お接待をしてくれようとしてるのだ。
近くまで行くと、さきほどキャラメルをあげた女の子のお母さんだった。ペットボトル飲料を手渡してくれた。さっき「今日は牟岐の宿まで行くんです」というとお母さんは「私たち牟岐に住んでるんです」という会話をしていたので、帰りに私を追い越すとふんで、どこかでわざわざ買ってきてくれたのだろうと想像した。
これには本当に嬉しくて泣きそうになった。ほんとにつらいときだった。今日この先の道のりを考えると、気が遠くなりそうだった。
そんなときにこのお接待をわざわざいただいた。私が要らないキャラメルを半ば無理やりあげたからとはいえ、それを逆に10倍くらいにして返してくれた感覚だった。
再び元気をもらって歩き出した。がんばろう!
まったく「お接待」というものはものすごい力をもった文化だなぁ。
日が落ちて、真っ暗になってしまった。
宿の人から心配の電話が来たのは初めてだった。
宿の手前のコンビニで晩ごはんの弁当を買い、なんとか予約していた宿に到着し、そのあとは覚えていない。早く寝たいのを我慢して、痛い足を引きずりながら、洗濯をしたことはうっすら覚えている。
久々にこんな距離を歩いた。
知っている町だからと、油断した。
でもよく頑張った一日だった。
文字数もかなり多く長文になってしまった。
さて遍路もあと数日。次回もぜひ読んでください^^
今回も読んでいただいてありがとうございました。
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