歩き遍路の話28 ついに88番札所へ!私はまだ終わりじゃないけど
続きを書こうと思って遍路日記のノートを開いたら、その見開きページで遍路がもう終わっていることに気が付いた。
えっ、早!ということは、ずっと書いてきたこのnoteの遍路話ももう少しで終わるということ。
今日書くところは、86番札所から後のこと。
私は地元・高知県室戸岬の24番札所付近の実家からスタートしているので、普通は88番で結願するところを、私の場合は88番~1番と打って(参拝して)、23番も打って、実家まで歩いて帰ったところがゴールとなる。
区切ったとこまでを数えると、室戸岬~高知市内が約1週間、高知市内~足摺岬をぐるっとまわり~愛媛全部までが1ヵ月間、そして今書いている香川の最初~徳島全部~ゴールの実家までが約2週間。
香川県と徳島県の2県はあっという間ということは、高知と愛媛がめちゃくちゃ長いということ!よくぞこの長い距離を遍路序盤で歩いたなぁ、と自分で関心する。特に高知。
というわけで、これまで高知・愛媛とだいぶ長い距離を歩いてきた私にとって、香川と徳島はあっという間なのです。
とはいえまだ「遍路ころがし」といわれる難所も残っているので、油断は大敵。
さて、続きを書いていこうと思います。
11月13日
旅館~87番札所・長尾寺~お遍路交流サロン&道の駅ながお~88番札所・大窪寺~民宿「八十窪」。約32km。
このとき何があったっけ、と思い、当時のインスタのスクショ(今はそのインスタは消している)を見返すと、こんなことを書いていた。
こんなことを書いていることに驚いた。と同時に、細かいことを忘れてはいても、やっぱり無意識的にこの歩き遍路の経験が今の私をつくってるなぁと思った。(もちろんそれ以外にも過去のいろんな経験で自分はできてるなぁと思うことはよくあるのだけど)
87番・長尾寺を打った後の、道の駅ながおの隣にあるお遍路交流サロンでは、申請すると歩き遍路は「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」がもらえる。(88番札所では「結願証」をもらえるが、それにはお金がかかるので、私はその代わりに無料でもらえるこちらを記念に残すことにした)
88番はこの先なので、この時点でまだ結願はしていないのだけど、多分「ここまで歩いたらもう一緒だろ!」というか「ここまで来た人は全員結願するでしょ!」みたいな感覚なんだろうな。
でも私の場合は、24番からスタートしたことを申請時に説明した。すると、結願したあとに電話で結願した日付を教えてくれれば郵送します、とのことだった。ありがたい!嬉しい!
というわけで、無事申請を終え、ついに88番札所に向けて再び歩き出す。
さて、大窪寺へのルートは3つある。
下の地図の写真、北にある長尾寺から南へ。真ん中らへんにお遍路交流サロンがある。その後のルートは、女体山へ登る道が2通りと、国道を歩く1通り、計3通りのルート。
このときも、どのルートにするかめちゃくちゃ悩んだ。女体山はキツイと聞くが、やはりここは登っておきたい!と思い、山越えをすることに一度は決めた。
写真の真ん中のお遍路交流サロンの後をよくよく見てもらうと、右に→を引いて、その後×印を書いていると思う。
これは、よし山越えするぞ!と意気込んで登り始めたものの、山のふもとで犬と出くわした。(さっきの写真の犬ではない)
以前の愛媛県・横峰寺のときにも書いたが、私は犬が大の苦手。嫌いではないけど、幼い頃のトラウマで恐怖。つながれている犬や、飼い主がそこにいたりすれば大丈夫だが、何しろ遍路の途中には、田舎だからか、つながれていない飼い犬も多かった。
そしてこのときは、山の登り始めのところに軽トラが停まっていて、人はいないが、その傍にひもでつながれていない犬がいた。猟犬かな?
それがめちゃくちゃ吠えてくる。でも軽トラあるし、人が来るかな?と思って少しずつ前に進んでみるも、人は来ない。人が山に入ってる間の軽トラの番犬的な役割をしてるっぽい。
大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせてゆっくり進むも、犬は吠え続ける。そしてやっぱりいつもの想像が始まった。もしこの山の中で盛大に噛まれても、どうしようもない。遍路は続けられなくなるかもしれないし、何より痛い。怖い。
試しに後ずさりしてみると、犬は吠えながらこっちに歩みを進めてきた。どんどん寄ってくる。
あぁ、これはもう無理……と、どうにか通れないか頑張っていたが、もう心が折れた。山に登るもうひとつの道もあったが、心が折れたのでもうやめた。
なんでみんな犬を放し飼いにするんだ!!とかなり腹が立つのと、自分の弱さと、悩んで出した自分の行きたい道に進めないことへの悔しさとが相まって、泣けてきた。
心が挫けた状態で国道を歩く。
長い。つらい。着かない。車が多い。道が狭い。怖い。
この感じは久々だった。
決めたこと(山越えすること)が出来ない自分が情けない。うじうじしている自分が情けない。
気分がいい日と、つらい日を繰り返す日々。
なんとか耐えながら国道をひたすら歩き続け、やっと辿り着いた88番札所・大窪寺は、紅葉のベストタイミングだった。
さっきまでつらかったものの、この紅葉の見事さに圧倒され、ひとしきり写真を撮ったあとはもう心は復活していた。
この見事なタイミングで大窪寺を打ててよかったな。
このあとは、お寺のすぐそばにある民宿「八十窪(やそくぼ)」へ。
歩き遍路さんはだいたいここへ泊まる。他にもポイントごとに「ぜひここに泊まるべし」みたいな有名な民宿があり、ここもそんな宿のひとつ。
でもそういう人気の民宿は直前に電話しても予約が取れないことも多いので、ここは絶対に泊まりたい!という宿には、普段より2・3日早めに予約を入れておき、そこに合わせて歩く距離・泊まる宿を調整する感じで私はやっていた。(普段は前日の夜に予約するか、当日の午前中に予約してた)
さすがの人気宿。宿の人は、結願おめでとうとみんなに言ってくれる。夕食を食べながら、みんなで朗らかに会話をする。
88番を打ったら1番まで戻らず帰ったり最後の高野山参りへ行く人も多いと聞いていたが、私が泊まったときはほぼ全員が、明日の朝は1番までちゃんと歩くと言っていた。
そしてこうやって長年お遍路さんを相手にしてきた宿の人はすごいなぁと思う。特にこの宿でいえば、1番からずーっと歩いてきて88番で結願したたくさんの人々を、毎日毎日、こうやってお赤飯を炊いて豪華な夕食でもてなしている。毎日毎日、毎日違うすべての人に、おめでとうと言っているんだなぁ。
きっと車遍路やバス遍路という文化が始まるもっと前、もう全然快適じゃなくって、遍路が本来の修行であった時代から、ずっとやってきたんじゃないかと想像する。
この宿がそうかどうかは調べてないし聞いてないから分からないけれど、本来、四国全体がそうなのだ。
修行のために四国へやってきて歩いていた昔の人々のことを、四国の土地に住む人たちは「お遍路さん」と呼び、自分は修行に出られないけれども、修行をしている人たちに自らすすんで「お接待」を施すことで、自分も徳を積み、救われるという文化。
近年では四国に住んでいても全然お遍路さんと関わりがない人も多いけど(実際私も今まではそうだった)、でもその文化はまだしっかりと根付いているんだなぁと実感した遍路旅。
私はまだ徳島県が残っているけれど、無事結願した人たちに囲まれて、なんだかつられて感慨深くなった夜だった。
また今回も長くなってしまった文章を読んでいただきありがとうございました。みなさんからいただく「スキ」が励みになっています!
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