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歩き遍路の話18 私の遍路旅で一番つらかった横峰寺
9月27日
この日は、西条市内の友人とゆっくり話したくて、その子の家に泊めてもらう予定をしていたので、歩いたのは約19キロだけ。
58番札所・仙遊寺~59番・国分寺~友人宅。温泉に連れていってもらってゆっくり話をした。
載せられる写真はなし。
9月28日
この日は、難所といわれる横峰寺を打つ。
友人宅出発~60番・横峰寺~平野林道~小松という地域の宿。
40.5キロも歩いた。昨日は友人宅が目的だったため極端に短かったが、普通に歩くとまたも40キロ越えになってしまった。
しかも石鎚山の中腹?あたりにある横峰寺、かなりきつかった。
遍路の中でキツイと言われるのは、横峰寺もそうだが、それよりもスタートして3日目くらいの11番札所・焼山寺。ここは「遍路ころがし」と呼ばれるほど大変な山道で、だいたいここが「一番キツイ」と聞く。
だが私は高知県の室戸から出発しているので、当然まだ焼山寺は経験していない。ある程度の山ならすでに何度も登ってきたが、石鎚山は話が違う。笑
というわけである程度覚悟して登り始めたが、案の定、というか予想以上に、きつかった。山の中の階段が、辛くて辛くて、数段登っては休んでの繰り返し。いつになったら着くんだ…!と、半泣き状態。
しかもこの日は大雨だった。私が山道歩くとき、大雨のこと多くない?泣
↑石鎚山ふもとのコンビニ。超ありがたい貼り紙。しかし私はルートの関係上、これはお願いせず、普通に荷物背負って歩いた。
↑道中の山道。キツすぎてあまり写真撮る余裕なし。ここはまだ川もあり、気持ちにも余裕があった。
私は平地は結構歩けると分かったが、坂道や階段になると極端に疲れる。普段まったく運動してないからだけど。
横峰寺までの道は、ほとんどが山の中の階段だった気がする。
しかも雨で霧が出てたし、他の人も全然いなかったので、まるで天国への階段かと錯覚してしまいそうだった。そんな中、本当に全然着かなくて辛かった。
↑やっと着いた横峰寺の山門。
↑横峰寺に着くと、車のお遍路さんがちらほらいた。
↑山から。
そして横峰寺から下りる道はまたいくつかルートがあり、山道にするか、道路にするか迷う。例のごとく山道を歩きたいが、雨だったし急な山道だったので(登ってきた道とは別)、かなり悩んでいて、横峰寺のお坊さんに尋ねた。
「山道で下りるのってこの雨だと危ないですかね?」と。
そしたらなんて返されたのか全然覚えてないけど、すごくそっけなくて、というか侮辱されたように感じてしまって、勝手にとても傷ついてしまった。
とりあえず標高の高い山で雨に打たれて、かなり身体が凍えていたので、お寺の休憩所で下りるルートを考えがてら、少し休憩してから出発することにした。
疲労と寒さの中、お坊さんの言い方や言葉に傷ついて、またも半泣きになりながら考える。
するとさっきのお坊さんがお接待と言って食べ物を持ってきてくれた。ありがたい。やはり相手には悪意などまったくなくて、彼からしたら毎日訪れるたくさんの遍路の一人でしかない。
こんなに辛い辛いと言っている私は、私の中の物差しで辛いと言っているだけで、他にもこの辛い山道を越えてきた人はたくさんいるのだ。それが普通なのだ。私だけが辛いのではないのだ。
私は一人しかいないけれども、全体的に見たら、私は大勢の中のただの一人でしかないのだ。みんなじゃがいもなのだ。
でも、だからこそ少し想像を膨らませてみたいと思う。
私が私にしかない体験をして私なりの考えや感情を持っているように、他の人にも他の人ひとりひとりにしかない経験をして、人格や人生を形成している。
目の前にいるこの人は、自分とはほとんど関わりのない人間かもしれないけれども、その出会いの一瞬が、嫌なものになるか良いものになるか、それは自分次第かもしれない。
何も変わらないどうでもいい、ただその場ですれ違うだけの出会いかもしれないけれど、それはそれで。
長くなったので今日はここまでにします。
次回は、とりあえず横峰寺から下りるところから。書く対象の日をまたいでしまいました。すみません。
最近まったく更新できていないので、それでも書けるときに書けるだけ、と思って書いています。
今回も読んでいただいてありがとうございました。
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