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歩き遍路の話35 人生=遍路

年が明けてからだいぶ経ってしまいましたが、みなさま、新年明けましておめでとうございます。

昨年継続的に私のnoteを読んでくださった方々、ありがとうございます。

私は新年早々、例の流行り風邪にかかってしまい、寝込んでおりました。まぁ、夏に阿波踊りにもよさこいにも遊びに行って、よくぞここまで一度もかからずにこれたもんだなと思ってたので、まぁいいんじゃないでしょうか。

ベタですが、健康な身体の有難みを実感しました。

さて、遍路の記録の続きを書こうと思います。

と、当時のノートを開いたら、なんと!もう残り5日分しかありません。早い!更新がたびたび滞っていた私のnoteの進行ですが、それでもずっと書いているといつかは終わるものなのか、と今思っております。

残りわずかですが、歩き遍路の記録、お付き合いください^^

11月19日

歩いた距離、約31キロ。
徳島市内の旅館~18番札所・恩山寺~19番・立江寺~勝浦町泊。

歩き遍路を通してずっと、楽しいこと、嬉しいこと、辛いことがいつも何かしらあった。

けれどもう終盤になると、あまり覚えていない。

というのも、私は元々記憶力が悪く、昔のこと、過去のことはかなり記憶がないことが多い。(そりゃもう、友達も彼氏もびっくりするくらい)

でも多分歩き遍路も終盤ということで、色々慣れてきてたんだろうなと思う。もちろん何かしらあって、何かしら色々と考えていたんだろうけど、今現在の私は、このあたりのときのことはあまり覚えてない。

それでも写真に撮ったものは覚えているもので、恩山寺に行く途中、いろんな動物が飼われている民家があった。

動物に癒され、そして手書きの看板にも思わず笑顔になったのを覚えている。

ウサギ


めっちゃみて見てくるヤギ



にわとり


思わず笑った手書きの看板

こういうふうに、地元の人が私たちを笑わせにくるオブジェ(これは看板だが)が、道中たびたびある。

一人でひたすら歩いていると、そういうのに非常に癒される。

実際にその人に出会ったわけではないけど、その土地の人たちのおちゃめさとか優しさを感じられる。

それって歩き遍路ならではの特権だなぁと思う。

車でまわるのもバスでまわるのもいいけれど、歩きでしか見えない景色は、絶対的にある。精神的にどうこうではなくて、単純に物理的なものとして捉えてもらっていい。

車では物理的に通ることができない、集落の小道や、山道、抜け道などを通ることができるのは、歩き遍路ならでは。だってそういうところを用事のない外部の人が通ろうとするだけでも、普通は訝しいのに、歩き遍路だと堂々と入っていけるわけ。(だからといって悪用はしないでほしい)

それって四国の文化だよなぁ。歴史とか文化とか民俗的なことが好きな人は、絶対的におもしろいと思う。歩き遍路。

もちろん遍路をする理由は人それぞれなので、そういったおもしろさを感じなければいけないというわけでもない。

なんなら、ただただ辛かった、もう二度とやりたくない!という声も聞く。それはそれで、その人の遍路なのだ。


恩山寺でバスのお遍路団体とかち合う

さて。札所で団体遍路さんとバッティングしてしまうと大変。だけど土日祝はよくあること。

まず、本堂と大師堂で参拝する際、場所がなくなる。そうなると待たないといけないので、時間もかかる。

そして一番は納経に時間がかかる。

とはいえ私は、最初らへんにも書いた通り、納経はしてもらっていなかったので、別に納経の時間の心配をする必要はなかったわけだけど。

納経は関係なくても、狭い境内で気を遣ってゆずりあって参拝しないといけないので、どうしても時間がかかる。

1日にこれくらい歩きたい、という大まかなスケジュールがあるので、暗くなる前にできるだけ歩きたい心情がどうしても出てくる。しかもこの頃の私はなぜか宿に到着するのが、あたりが暗くなってきてからだったので(陽が落ちるのが早くなったことももちろんあるが)どうしても少し焦ってしまう。

そんなこと焦っても仕方がない、と今なら思えるんだけど。

こういうふうに思い出して書いていると、歩き遍路と普段の人生って、やっぱり一緒だな、と思う。

ただ歩き遍路の場合は、普段自分が向き合わずにスルーしてしまっている問題を、可視化し、そして約一か月半の中に凝縮してくれるから、わかりやすく「修行」といえるんだろうな。

普段は日常やこれまでの人生のいろんなことを理由にできるから、責任転嫁も容易だし、ひとつの問題にフォーカスしていられないし、する必要性もない。だけど遍路は、ただただ歩くだけのシンプルな毎日。考えること(=自分)にひたすら向き合う、そんな時間と機会しかない。

これまでは漠然と、「遍路=修行」というイメージが自分の中にあったが、遍路が終わってから分かるようになったのは、実は人生も修行だったということ。遍路と人生は同じだったということ。

もちろん遍路も人生も、楽しいと思えば楽しいし、辛いと思えば辛い。まぁ私はその辛さも含めて、おもしろいと思ってるのだけど。やっぱり辛いときは辛いよね。


勝浦町に入って、道端にあったみかん

勝浦町に入った。山間の町だ。

このときめちゃくちゃ寒くて、それまでの服装ではとても耐えられず、思わずコンビニでネックウォーマーとニット帽を買って速攻装着したのを覚えている。

あと、このみかんが今まで食べたみかんの中で一番美味しかった。

私はみかんは、有名な和歌山のみかんや愛媛のみかんよりも、高知の「山北みかん」が一番だと思っているのだけど、このときに食べた勝浦のみかんは、山北みかんに勝るとも劣らない美味さだった。

みかん食べに、また勝浦に行きたいと本気で思っているほど。

まぁ遍路中の食べ物は、普段よりも美味しさ5倍増しくらいになっていると後で気付いたので、このみかんも普段食べたらどうか分からないけれど。笑

この日泊まった宿は、昔の学校を宿として再利用しているところだった。

立地が辺鄙なので、電話をすると車で迎えに来てくれるのだが、険しい山の上にある集落の細いくねくね道をひたすら登っていくようなところにあった。とてもおもしろかった。

同じ四国内でも、こんな高い山に住む人たちがいるんだなぁ。

そういえば、ここもまた泊まりに行きたいな。



そんなわけで、この日の記録を終わります。

今回も読んでくださってありがとうございました。

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