#11 嫌な気分の正体

昨日、書きたかったこと。

かなり話は端折るけど、とある人に「これが暗黙のルールだから」と言われて、何だか嫌な気持ちになった。

その時に何で嫌な気持ちになったのかを自己対話して自分の感情をノートに書いて見た。

そしたら、ルールを押し付けられた気がしたからだと気付いた。

その人は押し付けるつもりで言ったわけではないかもしれない。

教えてくれただけだったかもしれない。

どんな気持ちでその言葉を発したのかはその人にしかわからない。

私がそう感じただけ。

私自身が感じたことを否定はしない。

感じた感情をジャッジしない。

こんなにもルールを押し付けられること、制限をかけられることって嫌な気分になるんだと気付いた。

なぜ嫌な気持ちになったのか?

それは、不自由さを感じたから。

私が選んで決めていいことに対して、他人にルールや制限を決められるとすごく窮屈さを感じた。

その時にね、これってよく自分にもやってない?って思ったの。子どもにも他人にも。

私たちっていつの間にか自分に制限や自分ルールを作って自分で自分を檻の中に閉じ込めてしまってる。

だから、その自分ルールや制限を見つけて、手放して許した時、最高に心地よくなる。

なぜ心地良さを感じたのか?

自分が自由を感じられたからなんよね。

そう、私たちの基盤って自由なんだ。

自由を感じた時に人は気分の良さを感じる。

だけど、自分で制限をかけて不自由にしてしまっているのは

やっぱり自分自身なんだ。

そして、それに気づいて救い出せるのも自分しかいない。

人に気付かせてもらうこともあるかもしれない。

だけど、結局は自分ときちんと向き合って、気付いたら手放して、自分を許していくしかないのだ。

それって、自分と向き合うこと。
いわゆる自己対話なんだけど、実はこんなに地道で、コツコツやらないとわからない。

だけどね、これが最高にパワフルな自分になれる方法。


一気に変わる、一瞬で変わる魔法なんてない。

地味だけど、やればやる程にパワーが湧いてくる。

自分を知れる喜びという最大のギフトが返ってくる。

子育てしてる親なら頭が痛いけど、私はこのルールの押し付けを子どもにもよくやってる。

前よりかは減ったけど、今でも子どもに「あれはダメ!これはダメ!」と言ってる。

命の危険がある時や他人を傷つけるようなことをした時はダメだと伝えることをしていきたい。

だけど、それ以外はほぼ自分で決めたルールや制限を子どもに押し付けてるなって思った。

子どものためと言いながら、自分の都合がいいようにしたいだけ。子どもをコントロールしたいだけ。

痛い。。。痛すぎる。。。

だけど、この事実を見れたおかげで、私はまた自分を許せる。

子どもを許したかったら、
まずは自分を許すこと。

これしかない。

自分にルールや制限が多いと、子どもにも他人にもそのルールを押し付けてしまう。

だから、私はもっともっと自分でかけた制限やマイルールを手放していく。

この制限やマイルールこそが過去の私の生きづらさの原因だと今は確信してる。

ルールを押しつけられること、制限されることって、こんなに心地悪いのか。

子どもはまだ社会のルールとかわからない、知らないから、親に制限されたことにそこまで不自由さを感じていないかもしれないけど、今回、子どもの気持ちににも気付くことができた。

それが私は最高に嬉しかった。

だからね、一見嫌な出来事だと感じたことも自分の気持ちに向き合っていけば、どんなことも糧になる出来事だと思えるようになる。

エイブラハムの言う「人生の目的は喜び」ってまさにそうだと思ってる。

最後にエイブラハムの大好きな言葉。

人生の基盤は絶対的な自由であり、
人生の目的は絶対的な喜びであり、
人生の結果は成長である。

―エイブラハム―

はぁ~めちゃくちゃいい言葉。
エイブラハムくん、ありがとう♡

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