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開発学を学ぶ - エピソードワン -

プノンペンに来たのは4年前、NGOの職員だった時です。それから職員を辞して若者をとっくに通り過ぎているのにカンボジアでわざわざ学生になったのはなぜだったか、自分の人生巻き戻し中。英語嫌いがニュージーランドで暮らして、英語の必然性にビリビリとやられ、英語ガリ勉オンナになった続きです。

日本に戻ったらコレをやりたいと思ったこと

ニュージーランドから戻って、英語のガリ勉意外にやったことがあります。それは文章を学ぶこと。小学生時代から日記を書くとか作文を書くとかを得意にしていましたが、書くことが職業としてあるということを初めて意識しはじめたからです。
南島のカンタベリー地方にある、ウィンチェスターという人口数百人の小さな町の小学校で働いたときのこと。新聞にわたしの活動が紹介されました。JAPAN DAYという日本に関するイベントを子どもたちと一緒にやったときのことでした。取材にきた新聞記者の女性の振る舞いが、あまりにも素敵で生き生きとしていて衝撃を受けたのです。そして、思いました。
あ、コレをやりたい!!!
日本に帰ったら話を聞いたり文章を書いたりする仕事に就きたい、そう心に決めて戻りました。
しかし、経験のないわたしがいきなりそんな仕事ができるわけないので、特許法律事務所で国際出願というカチンカチンに固い仕事をしながら、夜間に編集の学校・文章の学校というところに通いました。運よく、1年もしたら某雑誌でライターデビューをさせていただけたので、固い仕事は2年で辞めて、フリーランスのライター・編集者になったのです。あの新聞記者さんに近づけるかなぁなんて思いながら。

フリーランス失敗

出版社とフリーランス契約をして、終電後タクシー帰宅という生活を送り、友だちとも飲みに行けず彼氏を作る暇もなく、好きなことをして楽しいはずなのに生活が擦り切れてゆきました。原稿料を稼ぐために東奔西走、でもなかなか安定しない日々。やっぱり会社ってすごいな〜、人事や総務が面倒見てくれるシステムってじつは最高じゃんか! そう思い直しはじめたのです。2年ほどして結局、某企業の編集部に就職しました。
人生初フリーランス、大失敗です。好きなことが書きたくてライターになったのに、稼ぐために興味のないジャンルでも好きじゃないテーマでも大袈裟に書きました。物欲がなく、どちらかというとエコでナチュラル思考なのに、「ボーナスが入ったら大型テレビを買おう! 」なんて家電は大きければ大きいほどいいという読者の購買意欲を掻き立てるための、まったく心にもないこと(むしろそういう考えが嫌い)を書きながら、文章をお金と交換することに嫌気がさしてしまったのです。そんな考えがわがままだとはわかっているんですけどねぇ。

心の支えは英語のガリ勉

このころの精神を支えていたものは何かというと、英語のガリ勉ガリガリ大復活でした。大型テレビじゃなくて、海外に興味があるんだ! そんな気持ちをエネルギーに、仕事が終わっても真っ直ぐ帰宅せず、2時間喫茶店で英語のディクテーションと単語の暗記をしてから帰りました。週に2日、アテネフランセという学校の英語コースにも通って、ひとりじゃなくて一緒に勉強する仲間ができたのは心強かったです。お金をかけず英語を上達するには外国人の友だちを作ることだ! そう考えて、Exchange募集の広告にあったカナダ人の女性ふたりと定期的に会ってお互いの言語を教え合うということもやりました。マクドナルドへの感謝、まだまだ健在です。
ガリ勉には明確な目標があって、
「増子さんってどこに留学していたの?」
「え? わたしは日本で独学だよ〜」
という切り返しを何度も何度も(気味悪くも)夢想していたのです。フリーランス失敗オンナ、この努力はいつかきっと役立てると信じて。

仕事の隙を見てはあちこち旅行しました。アフリカのケニアに18日間滞在したことが、今思えば、その後10年近くNGOで働くことになる転機だったかもしれません。
エピソードがもう1本続く程度にわたしは長く生きているようです。

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