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今日は青森市にある青森県立美術館と三内丸山遺跡を見学した

今日は青森市にある青森県立美術館と三内丸山遺跡を見学した。この二つの施設は隣り合う敷地にある。美術館は青木淳氏による設計だ。地下2階、地上2階で、遺跡の発掘現場のような土の大きな溝(トレンチ)に凹凸の白い構造体を被せるという設計で、三内丸山遺跡と一体化したデザインとなっている。この、上向きと下向きの凹凸の間にできる隙間を「土の展示室」とし、それ以外は「展外展示室」や「創作ヤード」とすることで、全体が美術館として利用できるように設計されている。2005年にこの美術館ができた頃は僕が会社を始めてまだ4年目の頃、なかなか青森まで見学に来る機会はなかったのだがようやく見ることができた。今日は庵野秀明展を開催しているということでいつもよりも多くの人で賑わっているようだ。連休中の一大イベントなのだろうが、県外からも多くの車が来ている様子を見ているとアートの力を感じたりもする。この展示内容であれば熱狂的なマニアだけでなく、ウルトラマンや仮面ライダー世代のお父さんたちも十分に楽しめるだろう。家族みんなで楽しめる展示、そんな嗜好を感じることができた。

すぐ隣歩いて500mほどの距離に三内丸山遺跡がある。言わずと知れた縄文遺跡であるが実はここには野球場の建設計画があったそうだ。昔から遺跡があることは知られていたが、調査をしてみると実はとんでもない遺構があるということで、当時の青森県知事・北村正哉氏はわずか1カ月で、野球場建設を中止し、遺跡を保存・活用していくという英断を下した。こういう政治判断はとても良いことが、とても難しいことでもあると思う。

建築はいわゆる和小屋組に近い組み方で作られている。柱は基礎の上ではなく地面に掘った穴の中に直接立てる掘立て柱だ。地桁の上に丸太の根太を流して床を作り、棟梁から桁梁にかけて丸太の垂木をかけ、その上に茅葺き屋根を葺いている。床のない建物では地面を掘って内部の床面とする。周囲から水の侵入を防ぐために土盛をして壁を作るが、その技術は土壁の起源だそうだ。これは版築と呼ばれる土を突き固めて固める技術で、塀などを作ることができる。古くは万里の長城などにも利用されているし、今でも住宅の塀などに利用することもある。京都の街中にある瓦などが補強のために埋め込まれている古い築地塀も同じだ。土を練って塀にしたり、土を焼いて土器にしたりのデザインはずんぐりむっくりしているどこか優しい様相になるものだが、これは現代建築にも通じるデザインの手法である。特に茶室などにはよく合うであろう。

続いて青森公立大学の敷地内にある国際芸術センター青森を見学した。この施設は国内外のアーティストを招聘し、一定期間滞在しながら創作活動を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラムと、展覧会、教育普及を3つの柱に推進する施設として、2001年に開館したもので、設計は安藤忠雄氏によるものである。この見学は長男のリクエストである。鉄とコンクリートの建築見学に喜んで行く年齢はすでに過ぎたと思っていたが、やはりこういうところに来るとその造形美に心躍る。好きなものは何歳になってもあんまり変わらないのだなあの感である。

一路場所を移動して今日の宿泊地の十和田湖へ向かった。約15万年前の火山の噴火活動で中央部が陥没した地形となり、3万5000年〜1万5000年頃の巨大噴火で水が流入してカルデラ湖が形成されたそうだ。中禅寺湖など日本にはカルデラ湖がたくさんあるが、その中でも山の深さは一番であろう。隣に位置する八甲田山といえば新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を思い出す。中学時代に読んだ小説だがとても印象に残っている。十和田湖への山道はまだ残雪がたくさん残っていて、さすが北国の様相を感じさせた。急激な気温上昇で雪解け水が道路に大量に流れ出しているが事故でも起きなければ良い。能登半島で大きな地震が起きたようだ。余震も続いているというが連休中だけに混乱も大きいだろう。今日の宿は湖畔にある民宿かえで荘だ。とてもリーズナブルだけれど人情味のある宿であった。こちらもとてもおすすめの宿であった。流石にだんだん疲れてきたので今日は宿で早くに休むことにしよう。

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