「死にたい」について考えてみた

どうも。実家の私の学習机が母方の祖父母の仏壇となっているますいけです。お骨もありますし、遺影も私の学習机に飾られています。祖父母は何年も前に亡くなっています。今回は「死」特にメンタル病んでいる人たちにはおなじみの「死にたい」気持ちについて考えてみたいと思います。

*今回「死にたい」気持ちやそれに付随する行動について書いてありますので、体調の悪い方、引きずられやすい方はご注意願います。

久々に襲ってきた「死にたい」気持ち

最近大きく体調を崩していない私ですが、昨日久々に「死にたい」と思っていました。それも仕事中にパソコンのキーボードを叩きながら。今(2020年2月)、私は仕事が忙しく職場の人間関係にも悩みを抱えています。仕事中は仕事に集中したいのですが、ふとした瞬間にぽこんと湧いてきた「死にたい」気持ちにとても動揺しました。今、「死にたい」なんて思っても仕事が楽になるわけじゃないし、人間関係の悩みや生活の悩みが消えるわけでもありません。でも急遽湧いてきた「死にたい」気持ちは私の心に暴風雨をもたらしたのです。(外から見たら単にキーボードを必死に叩いている人ですが。)

作業をおろそかにしないように注意しながら、「死にたい」気持ちにフォーカスしてみました。本当に死んでしまいたいのか?と自分に問い、心の奥底を覗いてみました。
「明日は、仕事の後中学の友達と久しぶりに会うし、週末も楽しい予定が入っている、来週も楽しいイベントがあるからそれらをしないで死ぬなんてありえない。」
でした。死にたくないのです。楽しみにしていることたくさんあるのです。

昨日仕事中に湧いてきた「死にたい」気持ちの正体について帰宅しながら考えました。なんで、色々楽しみなことあるのに死にたいと思ったのだろうと。「死にたい」と思った気持ちを具体的に表すとどうなるか考えました。それは「今の忙しく辛い仕事と人間関係と生活の悩みをどうにかしてなくしたい」というのが近い言葉であることが分かりました。

メンタル病むまでは

私がメンタルを病みはじめたのは24歳の時です。それまでも高校時代に「死にたい」と言うクラスメイトはいました。それを聞くたびに「どうして死にたいなんて考えるんだろう?」と思ったものです。
高校卒業して大学なり専門学校なりに行って新しい人との出会いが待っているし、20歳になればお酒だって飲めるようになる。就職して給料稼ぐ大人になったら、美味しいものを食べたり、楽しい事をするのができるようになるのに、それらを味わわずして、今死にたいなんて考えられない。
というのが私の感覚でした。将来に希望と現在に幸福がたくさんあったからこそ「死にたい」と思わなかったのです。

それはぽこんと湧いてくる

病む前は「今死ぬなんてとんでもない!」という考えだった私も、メンタル病んでしまってからは、ふとした瞬間に「死にたい」がぽこんと湧いてくるようになりました。通勤電車の中疲れ切って何も考えられない状態の時、ぽこんと頭の中に「死にたい」が浮かんでくるのです。それはずっしりと重い感情ではなく「トイレ行こう」とか「タバコ吸おう」とかの軽さでぽこんと湧いてくるのです。
本を読んでいたり、何か考え事をしている時よりも、頭の中が空っぽの状態の時の方が「死にたい」は湧いてきました。具体的な理由はあまり思い当たらず、漠然とした将来に対しての絶望があったように思えます。

「死にたい」でいっぱいになる

軽くぽこんと湧いてくる「死にたい」気持ちは比較的すぐに消えてくれます。別の事に気がそれたら「死にたい」はなくなることが多いのですが、怒りや不安、寂しさ、虚しさなどの負の感情で気持ちがいっぱいになっている時、うつ状態の時は「死にたい」は中々消えてくれません。消えてくれないし湧いて出る頻度も高くなるので、頭の中が「死にたい」でいっぱいになってジャックされてしまうのです。脳内「死にたい」だらけです。そんな時に「死にたい」について否定されたり、話を聞いてくれる人がいなかったりすると実際に行動に移してしまうきっかけとなります。きっかけがあったからと言って毎回行動に移すわけではありません。体を動かすこともできないうつ状態の時は行動できませんし、ぎりぎりのいいタイミングで家族や友人ととりとめのなく話せたりすると行動に移さずに済む場合もあります。

あぶない時

問題は行動に移してしまう時です。ギリギリ動けるうつ状態で脳内ジャックされてしまった時、気持ちは沈んでいても行動はできる双極の混合状態の時は本当に危ないです。

ぎりぎり動けるうつ状態だった時は、精神科から頓服としてもらっていた薬を何十シートも飲み居間で行き倒れていたそうです。当時同居だった姉が異変に気づき救急車を呼んでくれて応急処置してもらいました。2日ほど入院になりました。
朝に異変に気付いた姉は、ゴミ箱の中の薬のシートを見た上で一度出社して仕事の書類を提出して「家族がOD(過剰摂取)したようです。」と言って早退して救急車を呼んだそうです。救急車の中で名前を呼ばれ続けていたのはなんとなく記憶にあります。

また、頭の中がジャックされているのに、体は動き行動力だけはある双極の混合状態の時、私は手書きで付けている日記帳に「ばいばい」と書いて、自転車を走らせました。まずはホームセンターに行って、縄と脚立を買い自転車にそれらを積んで、ジョギングしていて気持ちよかった森の遊歩道へ向かいました。(この辺記憶があいまいなんですけど)何回縄で首を吊ろうとしても意識が中々飛ばず、苦しい思いを何度もしていました。そうこうしているうちに眼鏡はどこに行ったか分からなくなり、暗くなってきて眼鏡もなく視界も悪くなってきました。そこに現れた警察の人に「何してるの?」と声をかけられ「え?」となり「話聞くから。おいで。」と言われ警察に保護されました。
この時も姉が代わりの眼鏡を持って警察まで私を引き取りに来てくれました。
本当に姉には足を向けて眠れません。
この時は閉鎖病棟に一か月ほど入院となりました。

「死にたい」は「生きたい」?

「死にたい死にたい言う奴は本当に死なないし、本当は生きていたいんだ。かまって欲しいだけだろ?」という意見を聞いたことがあります。
確かに「死にたい」がぽこんと湧いてきた時、周囲に人がいれば実行に移す確率は減ります。前述したように、「死にたい」という話を聞いてくれる人がそのタイミングでちょうどいたら「死にたい」は消える可能性があります。

ですが、本当に「死にたい」で脳内全部ジャックされている時は「生きる」という事やこれからへの希望や現在の幸福など具体的な生きるための理由がが入り込む余地はありません。本当に「死にたい」でいっぱいになるのですから他の事なんて全然考えられません。思考も死の方へ死の方へと傾いていきますし、どうやって死ぬかとか、どこで死ぬかとか死に関することはどんどん具体的になっていくのです。

おわりに

ぽこんと湧いてくる「死にたい」と脳内をジャックしてくる死にたいの2種類の話をしました。私は病んでいない頃「死にたいと考えたことのなかった人間」なので、この感覚はメンタル病んでいる人特有なのかなと思いました。この感覚が出た時、私は自分自身の体調を見直すときかな。と思います。ぽこんと湧いてくる「死にたい」のうちに対処しておかないと脳内ジャックされてしまうので。
「死にたい」と思った時に、睡眠や生活、服薬など見直してみてはいかがでしょうか。完全に「死にたい」にジャックされる前に。

*「死にたい」気持ちのある方、心療内科や精神科でお話してみませんか?まだ「たまに死にたいと思う」という状態なら薬や医師の診察で楽になる場合もあります。一人で「死にたい」を抱え込まないでくださいね。


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