選挙の思い出

高度経済成長のころ、地元の商売人はだいたい保守派の政党を支持していた。実家もそうだったし、市会議員、府会議員との付き合いもあった。祖父は府会議員と親しく、後援会に入っていたと思う。よく近所の人たちが困りごとを相談しに来るのを議員に繋いでいた。

子供の私にもわかったのは、どこそこの道路が危ないから横断歩道を作ってほしいとか信号を付けてくれとかいうようなことくらいだったけれど、政治家は大人たちと一緒に町を良くしてくれる、頼りになる存在だと思っていた。昭和の時代には、固定電話のそばの柱によく各家の電話帳をかけていたものだが、漢字を覚え始めたころの私が電話番号を書き込む役を仰せつかった。我が家では本名の横に屋号やニックネームを書き込んでいたが、幼い私は「府会議員」などと言う言葉がわからず、議員の名前の横に「えらい人」と書いたのである。

議員になる人というのは独特の魅力がある。恰幅のいい人が多く、無言で立っているときは堂々とした「偉い人」という感じがする。その偉い人が、いったん話をするときには腰を低くして、ぐっと距離を縮めてくる。彼らはこの距離の縮め方がめちゃくちゃうまい。そして愛嬌がある。愛嬌があるのは、特に大阪では非常に重要なことである。

この「偉い」は、勉強もスポーツもそこそこ出来るがそれを鼻に掛けることなく、その他大勢と一緒に馬鹿なこともして先生に怒られるという、そういう「偉い」なのである。
クラスの皆が馬鹿なことをするときに、ただ一人正しいことを貫くのも「偉い」が、そういうタイプの偉さではない。ましてや先生にチクって可愛がられるようなタイプではない。自分がクラスメートに支持されないのは、あいつらの頭が悪いからだと言うようなタイプでは決してない。


大人になり、初めて選挙に参加できるようになった私は、公約を読み比べた結果、保守派ではなく革新派の政党に投票した。どこに投票するのも自由なのだが、前述のように保守派の議員と親しい付き合いのあるような家だったので、どことなく後ろめたい気がし、親の手前、勇気の要ることだった。

結果は保守派の圧勝だった。テレビ画面では当選者があの愛嬌のある笑顔を見せていた。私らの生活をよくしてくれるのは別の人やのに、みんなアホやからわからんのや……と私は落胆した。

翌日、市役所前を通りがかると、私が投票した人物がメガホンを持って立っていた。私らの生活のこと、あんなに考えてくれてはったのにな、ごめんなみんなアホで……と思いながら近づいた。周りの人が配っているチラシを自分から手を出して受け取ると、そこには「憲法9条を守れ」と書いてあった。

私は混乱した。そら憲法9条は大事や、でも私とこら商売人のあれやこれやの話はどうなったん? 昨日まで言うてはったことは? 9条は大事、でも店も大事やねん、このままやったら店つぶれるねん、最初に言うのが私らの生活のことちゃうの? なんで? なんで?……

候補者はちらと私の方を見た。目が合ったが厳しい表情のまま9条の大切さを訴えていた。私はチラシをぎゅっと握り締めて、心の中でつぶやきながら通り過ぎた。
あの人は愛嬌がない、愛嬌がない、愛嬌がないんや。 

ありがとうございます。