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必死に考えれば子どもでも商売はできる。

母と伊豆の温泉宿に宿泊しています。今夜アップする記事は午前中に下書き保存してから出発をしたのですが、母の話を聞いたら気分が変わったので別記事を。

お部屋に付いてる露天風呂まだ入ってません

母と旅行をすると母がずっと喋っているので私は聞き役です。1人暮らしの母は、誰かと一緒にいること、話し相手がいることが嬉しいのでしょう。

先ほど母は先に就寝しましたが、その前に昔話を始めました。

母「おばあちゃん(私の祖母)が亡くなる前に子どもたちに手紙を書いていたの。『恵子はちょっと変わった子でした。畑にいる人やすれ違う人に「おはようございます!今日は良いお天気ですね」って誰にでも挨拶をする子だった』と書いてあったのよ」

私「へえ~、そうなんだ。確かに変わった子」

母「でもね、そういう子だったから おじいちゃん(私の祖父)が『下駄が売れない』と言った時に、『わかった!私が売ってくる。紙とえんぴつちょうだい』と近所の酒蔵に行って『すみません、下駄を買ってくれませんか?』と38足も注文を取ってきて、おじいちゃんを喜ばせたのよ」

東京で生まれた母は、まだ幼いころ戦争で茨城県に疎開します。祖父母は親戚を頼って疎開したものの仕事はありません。下駄屋を始める経緯も話してくれました。

母「もっと凄いのが下館のおじちゃん(母の直ぐ上の兄)で、おじいちゃんが『お金がない』と言ったら『俺が作る』とウサギを買ってきてウサギを増やしては売って2万円を作ったの。それでおじいちゃんは下駄屋を始めたのよ」

当時の2万円は今ならどれくらいの金額になるのでしょう。

叔父が作った資金を元に下駄屋を始めたものの最初はお客様が来なくて、母が酒蔵に営業にいったのでしょう。その後、下駄は売れに売れて生産が間に合わなくなり、子どもたち総出で下駄作り。母も鼻緒をすげるのを手伝っていたそうです。

私「商人だね~!」
母「時代も良かったのよね。今下駄を売っても売れないから」
私「そうだね」

疎開先で事業を始める資金もない状態から、子どもがウサギを増やして事業を始める資金を作り、子どもが営業に行って注文を取ってくる。メッチャ面白い話でした。

祖父は母が高校生の時に亡くなったので会ったことはありませんが、どちらかというと「おい」な人ですね(笑)

話を戻して。
資金がないなら作る手段を考えればいい。売れないならどうやったら売れるかを考えればいい。当たり前のこと。

私の父も商人でした。父方の親戚を見ても、母方の親戚を見ても、会社員は1人しかいません。全員商人ですので、小さいころから商売を見ているアドバンテージはあります。

けど、お金を作る方法、販売する方法は子どもでも考えられることなんだなと。戦後のものがない時代、食べていくために必死に考えて行動をした結果です。

食べるのに困っていなければ必死に考えることも行動をすることもないのかもしれません。それはそれで幸せなことなんですけどね。

今も中学生や高校生で起業して成功している人たちがいますよね。

もし、本気で商売を成功させたいなら、真剣にお金を作る方法、販売する方法を考えてみませんか?

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