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外から来る感情ー罪悪感

罪悪感という言葉の意味と行動の矛盾を整理します。
ちなみにこの記事の内容は本とは無関係で、中身読んでません。

表紙には「罪悪感」を悪者にし、解決できれば問題がなくなるかのような錯覚を与える表現。
購買意欲を掻き立てるキャッチーな感じです。

「罪悪感」は、ここ10年くらいの流行ワードです。


あとは、劣等感、自尊心、など。

罪悪感とは、以下ウィキペディアより抜粋。
自身の行動・指向・在り様などに関して、罪がある、あるいは悪いことをした、している、と感じる嫌悪の感情のことである。 自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。罪悪感の本質とは、集団から排除される危険を感じたときに生じる、本能的な生命の危機感の表出である。社会的には罪や不道徳とされる行為でも、その行為が外部の権威や同調者の存在などによって集団内で正当化できる場合には罪悪感が軽減することが、ミルグラム実験などによって明らかとなっている。
抜粋終わり。

ちなみにミルグラム実験は、教師と生徒役に分かれてテストを行い、生徒が誤答すると電気ショックを与え、誤答のたびに電圧を上げていく。というもので、権威(実験の提案者)が継続を促し、教師役が何回の試行で電気ショックを止めるかを実験したもの。(実際には生徒役は全て役者で電気ショックは与えられていません。)

この場合の権威者とは、神(宗教)、上司、親、みたいなものだと思っても差し支えないと思います。

先生が言ったから。
親が言ったから。
神が言ったから。
教祖が言ったから。

と、自分より立場の強い人に従う生き方が、罪悪感の出どころです。
なので、先ほどの実験で罪悪感が軽減します。

第二次世界大戦以前は国家がとても強く、国のために人は命を差し出すほどでした。さらに遡ると、村や家のために命を捧げた時代もありました。

上記の実験は、ナチスドイツの話をもとに考えられたものでしたが、
現代では、権威者の力がなくなり、従わざるを得ないわかりやすいグループは無くなったように見えます。

しかし、個々のうちに潜む罪悪感のような感覚がなくなることはありません。
以前は、国や宗教といった大きなグループに対しての感情だった「それ」は、家庭や友人といったさらに小さなグループの中で頻繁に取り扱われています。

思想や言論の自由が広がり、グループも多様化し、さまざまな在り方が認められるようになり、同時に罪悪感もさまざまな場所で生まれるようになりました。

ちなみに、以前は、罪(集団への裏切り)=罰=死だったのですが、現代では「罪」(集団のルール)そのものが明確で無くなり、法や条例以外での縛りはほとんどありません。

そうはいっても人の感情は必要以上に孤立を恐れるようです。

先祖代々から伝わるグループへの帰属意識は強いです。
その不明確な感情を受け入れる受容性と制御する強い自己を育てることが今後の課題のように思います。


前置き終わり。



ちなみに、小さな子供は罪悪感がありません。

子供には、快、不快があり、気持ち良ければ嬉しいし、気持ち悪ければ泣いたり、暴れたりします。

「なんでそんなことができないの?」「なんでそんなこともできないんだ。」
「しっかりしなさい!」「しっかりしろ!」
「ちゃんとしなさい!」「ちゃんとしろ!」
「うちの子は本当にダメな子。」「お前は本当にダメだな。」
「私がやってあげる。」「俺がやってやる。」
「もう、向こうに行ってなさい!」「役立たずは向こうに行ってろ。」

子供にとって、一番身近な権威者は親です。
ちなみに親にとっての権威者は・・・

さらにその親、国、上司、宗教、先生と呼ばれる人(医者や教師)、メンター、色々ありますね。

本来、自己肯定の塊(自由な表現)の子供が、繰り返し否定的態度を取られることで、自己否定感覚がパターンとして身について、堂々と自信を持って生きていけなくなる。


元を辿れば、親、親の親。先祖代々まで。また、さらに大きな単位では、部下に責任を取らせる上司、国民に責任を取らせようとする政治。

親を責めましょう、そして、責められた親はその親を責め、その親は国を責めましょう。

最終的に遡って、原初の存在の単細胞生物のせいなので、近所の水溜りにいるであろう見えない単細胞生物に、この罪悪感はお前の先祖のせいだ!とでも叫んでから、いったん現在に戻って具体的にどうするか考えましょう。

ちなみに、誰を責めても不快感が軽減するものの解決はしません。

グループへの依存から起こっている否定を超えるには、自分の在り方が親を超えて、グループを超えて、成長すること。


超えるというのは、視座。
相手の持っている視座よりも深く洞察し、広く世界を見ること。

過去を見て、未来を見て、周囲の人、自分の本当の幸せを考えること。
相手よりも深く、長期的視野で。









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