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「移動祝祭日」ヘミングウェイを娘に伝える。

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」

アーネスト・ヘミングウェイ最後の作品「移動祝祭日」の最初の1ページを開いたところに書かれている言葉です。

この言葉に20代の初め頃に出会っていたかったなぁと思う。
もし、出会っていたら「移動祝祭日」を何度も読んできっとパリに行って、何年かは住んで今頃フランス語を話していたかもしれない。

僕の歴史にもifはないから、どうすることもできないけれど、今大学でフランス語を勉強している長女には伝えられる。

ぜひ、ヘミングウェイの「移動祝祭日」を読んでほしい。

この本は、最初の妻ハドリーと文学修業をしていた貧しく若きヘミングウェイの回想録なんだ。1920年代のパリは、ガードルード・スタイン、「グレート・ギャツビー」を書いた直後のフィッツジェラルド、「ユリシーズ」をシェイクスピア書店から出したばかりのジョイス、ピカソなど、多くの芸術家たちと交流しながらパリで過ごした日々を、郷愁いっぱいに描かれているよ。

1920年代のパリの虜になることまちがいないでしょう。

そして、この本を読み終えたら、ウッディ・アレン監督の映画「ミッドナイト・イン・パリ」を観てほしい。

1920年代のパリを美しく描いている。

この映画を観てパリに行きたくない人はいないだろうと思う。
こんなにも雨が似合う街があるだろうかと思う。

これでもう、パリ行きは決まる。

あとはいついくか決めるだけだ。

セザンヌ、ピカソやブラック、ルソーを勉強したり、美術館めぐりの計画を立てたりすると、ワクワクは止まらないだろう。

来年あたりいくかな。


一緒にいってあげようか?

あ、友達とかといくか。

大丈夫、ママといくから。

「移動祝祭日」から偽りの春の抜粋です。

「冬と春には、きまってチンクが懐かしくなるね」
「そう、必ずと言っていいくらい。もう春がすぎてしまったいまだって、あたし、懐かしいもの」チンクは職業軍人で、サンドハーストの陸軍士官学校を出るとすぐにベルギーのモンスの戦場に立った男だった。彼とは最初、第一次大戦中のイタリアで知り合い、私の大の親友になった。妻と共に交際するようになってからは、私たちの大の親友になって久しかった。その頃は何度も私たちと共に休暇をすごしていたのである。
「こんどの春も休暇をとりたがってるぜ、彼。先週、ケルンから手紙をくれたんだ」
「そうよね。あたしたち、いまこそ人生を楽しまなくちゃ。一分、一分を大切にして」
いま、川の水が橋桁に当たっているところを見下ろしているだろう。川上のほうを見ると何が見えると思う」
私たちは顔をあげた。すると、愛するすべてがそこにあった。私たちのセーヌと、私たちの街と、私たちの街の中の島とが。
「あたしたち、幸運すぎて怖いみたい」妻は言った。
「チンクがきてくれるといいんだけど。彼のことだから、またあたしたちの面倒を見てくれるわ」
「そんなつもりは彼にはないよ」
「もちろん、ないわよ」
「新しい土地を探訪するときは三人一緒だと彼は思ってるんだ」
「現にそうしてるわよね、あたしたち。どこを探訪するかにもよるけど」
それから橋を渡り切って、自分たちのホームグラウンドである側に立った。
「またおなかがすいたかい?」私は訊いた。「二人でずいぶんしゃべったり歩いたりしたから」
「もちろんよ、タティ。あなたはすかない?」
「素晴らしい店にいって、掛け値なしに豪勢な夕食をとろうじゃないか」
「というと、どこ?」
「ミショーはどうだい?」
「言うことなしね。すぐそこだし」
で、私たちはサン・ペール通りをのぼってゆき、ジャコブ通りと交わる角まできた。途中、いろいろな店のウィンドウを覗いては壁の絵や家具を眺めたりした。ミショーの前にくると、立ち止まって、掲示されているメニューを見た。ミショーは込んでいた。もう食後のコーヒーの段階まできているテーブルに注目しながら、私たちは客が
出てくるのを待った。
そこまで歩いてきて、二人はまた腹をすかしていた。
 
出典:新潮文庫「移動祝祭日」偽りの春(アーネスト・ヘミングウェイ著、高見浩訳)

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