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舟守(特別短編)


「私はこの船の番人であり、問う人であるニーナです。あなたは乗船者であり、問われる人です。では、まずあなたの名前を教えてください」
「僕は真澄。今日で二十七歳になった」
「真澄さん、苗字は?」
「二つ持っているよ。だが、ここではあえて言わないことにしようかな」
「わかりました。では真澄さん、早速問います。別に面接ではないので、気楽に答えてください」
「わかった」
「あなたは誰かを愛することができますか?」
「嫌な質問だね」
 しかし、答えなければこの船からは降りられない。僕もニーナも、沈没する。
「家族以外はできない」
「つまり、赤の他人は愛せないと」
「そうだね。僕は他人に対して、あるいは物に対してもそうだけど、執着がないんだよ。変わりが効くなんて思わないけど、自分の中で終わりが見えると、すぐに次の場所へ移動してしまう。そうやって、他人と距離を置いてきたんだ」
「だから転職が多いのでしょうか」
「まあ、そうだね。忍耐力がないと言われればそれまでだけど、おそらくそれ以上にあるのは、飽きだろう。仕事に対する飽き、生活に対する飽き、そして人間に対する飽き。もう少し、人を大切にする心があれば続いたかもしれないね」
 昔はそんなこともなかったけど、今は毎日同じものを好きでいられることはない。
「人と人は、結婚したり子供を作ったりするケースがありますが、真澄さんにそれは望めないでしょうか?」
「少なくとも僕の意志だけでは望めないかな。僕が衝動的に誰かと子供を作ったら、それは無責任で愚劣な行為だと言える。そもそも、僕は何かを愛することができないし、簡単に切り離してしまうから。そもそもそんな人間は結婚するべきじゃない」
「たしかに。真澄さんは昨年の秋頃に酷いことをしましたね」
「あれは酷いよね。十年くらい付き合いのあった人間たちと縁を切った。ただ、あのときはその選択が一番正解だった。そうすることでしか自分を守れなかったんだよ」
「真澄さんは、昔からあらゆることをリセットする癖がありますね」
 そのせいで、今の僕には友達がいない。
「逆に、今でも友達を持っている人たちがすごいなって思う。どうしてそこまで長い付き合いができるのか、不思議で仕方がない。つまり価値観が近いまま大人になって、社会人になったわけだろう? それって、奇跡でしかないよね」
「しかし、世の中は案外そんな人たちばかりで構成されていますよ」
「そうだね。しかしあらゆる世界線があったとして、僕が友達と繋がったままだとしたら、多分この船には乗っていないよ」
「その通りです。人間関係を変えて、環境を変えたからこそ、あなたはこの船に乗っています。それで、真澄さんは新しい選択肢を持っている状態ですね」
「夢か現実か。まあ、夢だろうね。死ぬ気で叶えたいわけではないよ。ただ、現実をまっとうに生きられるほど僕はまともじゃない。最近、余計に感じるようになった」
「まともだとしたら、どんな人生だったと思いますか?」
 僕の中で、まともな人間の像は決まっている。それが正しいのかはわからないけど。
「公務員でも正社員でもいいけど、ある程度地位を持っていて、パートナーがいて、マイカーがあって、そのうちマイホームを持つ。社会に順応していて、ライフステージをしっかりと考えていて、他人と共生できる人間」
「真澄さんに当てはまるのは、マイカーを持っていることくらいですね(笑)」
「通勤するのに買っただけだよ。なんのこだわりもない。まあ、流石に四年乗っているから親しみはあるか」
「真澄さんは、まともな大人になりたいですか?」
「全く。というか、なれないよ。フルーツアレルギーの人間がフルーツを食べ過ぎたらアナフィラキシーショックで死ぬ。それと同じだ。僕がまともな人間像を追い求めて生きたところで、呆気なく死ぬよ」
「つまり、生きるために夢を追うしかないわけですね」
「選択肢は一つしかないわけだ。自分で言うのもなんだが、かわいそうなもんだ」
 二人して、苦笑。
「今は人生が充実しているみたいですね」
「精神的にも肉体的にも疲弊しづらいからね。ただ、これ以上元気よく踏み込めば絶対に失敗するから、バランスよく生きている状態だ」
「いい仲間がいて、いい上司がいる。しかし、真澄さんの場合は安住はしないでしょうね」
「もちろん。僕は平気で彼らを切り離せる。罪悪感もないだろうね」
「そして最終的には、一人になりますね」
「僕は孤独で自由な作家だ。そう、自分で言い聞かせている。夢を叶えるとかそんな話ではなくて、孤独な作家であることが日常なんだ。それでもって、いずれは両親やよくしてくれる叔母を看取る。それだけが誰かに向けてやるべきことだろうね。兄妹は、僕がいなくても生きていけるだろうから」
「家族は大事、なのですね」
「逆に家族くらいしか大事なものはないよ。後はもう、僕の人生における登場人物でしかない」
「それも脇役、くらいの立ち位置ですよね」
「その通り。ああ、もちろん今の環境を捨てるつもりは毛頭ないよ。単純に金を稼げるし、得られるものも多い。メリットしかない。だけど、執着するつもりもない。時が来れば、たとえば僕が作家として飯を食えるようになったら別れるだろう。そして過去になってしまう。名残惜しいなんて気持ちにはならない。僕は転職が多いから、人と別れるのは得意なんだ」
「世の中から見たら、悲しい人間ですね」
「哀れだ」
 この船は二十七歳になった僕の本当の気持ちを乗せて、どこかへと向かう。
「真澄さんは明るい未来を信じますか?」
「今は信じるね。自分の明確な生き方を見つけたことで、怖いものがなくなった。己を持つということがこれほど大事なことだとは思わなかったよ。おかげか、僕の中にあった命日が消えた」
「たしか、真澄さんは2026年の2月8日に死ぬ予定でしたね」
「別に自殺するつもりはなかったよ。ただ、はっきりとした死の予感があった。それが今年の春ごろ、パッと消えた。四月に転職したことで、生きている世界線が変わったのかもしれないね」
「それはよかったですね。若者の死ほど胸が苦しくなるものはないですから」
「間違いないね」
 この船の行先は、僕が好きな青。
「結局のところ、僕は青い人間だ」
「一時期、緑色っぽい感じもありましたけどね」
「そこまで穏やかでもないし、平和でもないよ。僕は人を近づけることもできるし、遠ざけることもできる。空のように寛容だが、海のように残酷な人間だ」
「卑屈さが拭えませんね」
「卑屈で臆病で弱い。そんな性質は、おそらく変わることがない。ただ、そのほうが夢を追える。生きていられる」
「なら、仕方がないですね」
 船はもうすぐ、僕が望む場所に到着する。ニーナは最後に、僕に問う。
「真澄さんはどんな人間でありたいですか?」
 さて、僕はどんな人間になるべきか。この船に乗っている間は、正直に言うべきだ。
「この名前を轟かせるという夢を実現できる環境に身を置き、わずかな家族を大事にしながら、唯一無二であること。そして、自由であること」
「真澄さんって、昔から自由って言葉が好きですよね」
「それが僕にとっての一番の信条だからね。真澄って名前の通り、これからも自由に生きさせてもらうよ」
「ありがとうございました。また、いずれ」
「ああ」
 そして僕は船を降り、二度と会うことのないニーナに別れを告げる。


 



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